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2020-12-31

はじめに:当ブログについて

当ブログは、戦国武将に興味を持った管理人が、
軍記だの当時の書簡だのを非常に適当に現代語訳しながらチビチビ読んでいくものです。
開始当初から読み進めているのは『陰徳記』ですが順番を気にせず拾い読みをしています。
なお、管理人は戦国時代に関する知識に乏しく、
かつ古文・漢文の素養は中学・高校の授業で習った程度しか持ち合わせておりません。
なるべく調べて書くようにはしておりますが、
解釈が間違っている場合も多々あると思いますので、どうぞご注意ください。

★★★目次はこちら★★★
『陰徳記』 上巻 目次 / 『陰徳記』 下巻 目次

その他の注意事項:
・管理人の脳は腐っています(遠い目)
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2018-04-12

帰還報告

私事ながら、腹切ってきまして、退院いたしました。
祝杯を上げたいところだが「まだ駄目」ってことなので、ノンアル飲料で我慢さ。
これからしばらく、出血で失われたヘモグロビンを補填することに注力します。
燃えあがれ、おれの造血細胞!!

小笠原騒動の続きは、元春夫妻の経言宛てお手紙読もうと思う。
いま途中まで進めてるけど、意味不明な個所の多さに躓きまくっています。
でもしばらく仕事はお休みだから、ここぞとばかりに没頭してやるぜ、ヒャッホ~~~~!
2018-04-02

経言小笠原入嗣騒動考⑤

しばらく更新しませんでしたが、今後も2週間くらいできなくなる見込み……
ちょっと入院してきます。はっはっは、私もついに切腹ですよ。
はやく退院できるといいなぁ。

さて、輝元の剣幕に鬱入ったところで、今度は元春側の様子を見ていこう。
天正9年6月3日の輝元書状(③にてテキトー訳)を受けた吉川家の反応は?


●吉川元春自筆書状(吉川家文書 1225)

   元 まいる御返事申給へ     駿河 元春

去る五日の書状、同月の七日に到着し、拝見した。
吉田(輝元)からの御書もつぶさに読んだ。
実に驚いてしまった。なんという御文体だろうか。

(輝元から)私にも同様の通達があったので、その御書を書き写し、
大蔵に託しておまえに届けさせようとしていたところだった。
そちら(元長は伯耆八橋に在陣)にも御書が遣わされたのだな。
こちら(新庄)に届けてくれたので、よく読んだ。

お前や私としては最初から、吉田の裁定に背いてでも
あの家(小笠原)との養子縁組を結ぼうなどとは、微塵も考えていないというのに。
吉田のお疑い、あの書かれようはいったいどうしたことなのか、
まったくどうしようもない。

ここで申し開きをしようものなら、かえって吉田に反抗する形になってしまう。
まずはとにかくご命令に従って、そのうえで調整しなおすのがよいと思う。

このことを経言(広家)に申し聞かせたところ……想像してみてほしい。
内(元春夫人)と私の膝元に(経言を)引き据えて説明した。
あの者(経言)は非常にがっかりした様子で当然ながら腹を立てた。
あれこれと言ってなだめたのだが、(経言は)
「ぜひ一緒に河本まで行って引き破ってしまいましょう」などと言うのだ。

私たち夫婦ではどうにもしようがなかったわけだが、
そこにお前が香彦を遣わして申し送ってくれた。
お前が深く考えてくれたことは、少しも外れていなかった。
実にこちらの現状に合っていたので、経言もその方向で納得したし、
気分も和らいだようで、鳥取に出張することに決まった。

そのあらましを大蔵に言い含めてある。
内々にお伝えする。 恐々謹言

   (天正九年)六月十一日     元春(花押)
     元長 御返事申給へ

それにしても、お前の考えがぴたりと当たった。
今回、経言は強硬に主張していたが、(お前のおかげで)態度が軟化した。
吉田と我が家の関係が左右されるほどのことなので、
いろいろ推量してみてほしい。森太に言付けておく。

●吉川元春、同元棟(元氏)、同経言(広家)連署状(吉川家文書 1226)

例の件について、吉田からの御書を拝見した。
あまりの文面に、じつに驚いた。
申し開きをしたいところだが、このようなときにはそうもいかない。
とにかくご命令に従い、当方からの反論は控えることにする。
そのことについて、森太に詳しく言いう含めておく
それではまた。恐々謹言

   (天正九年)六月十一日     元春(花押)
     元長 御返事申給へ     経言(花押)
                       元棟(花押)

以上、テキトー訳。

各自の反応は、だいたい下の通りだろうか。

経言=輝元の裁定に非常にショックを受け、反乱を起こそうとするほど激昂した。
元春=輝元の剣幕に驚きはしたが命令に従おうとした。
     また経言の過激な反応に対処しようとするも、どうにもできない。
元長=輝元からの通達をすみやかに元春に知らせ、自分の考えを伝えた。

元長がいちばん冷静に動いてんな。
いや、この当時の元長書状がないからそう見えるだけかもしれんけど。
元長はこのとき、伯耆の八橋に駐屯してるんだよね。
対して元春・経言・元棟は、新庄に帰っている、という状況。

元長が使者の香彦(香川彦右衛門?)を遣わして考えと伝えてくれたことで、
経言が納得し、態度が軟化した、という状況が見えるので、
私はこの件については、元長がキーマンだと思うのですよ。
いったいどんな考えだったのかは、この文面からはわからないけれども、
経言の鳥取出張を提案したことだけは読み取れるね。

さて、いつになるかわからないけれど、次回は、
時系列をいったん整理するか、元春夫婦から経言あての教訓状を読んでみたいと思います。

んじゃ、ちょっくら腹切ってくるわ。
2018-03-26

経言小笠原入嗣騒動考④

はい。今のところ予定通り読み進めてます。
今回は、小笠原騒動で輝元・元春間の使者を務めた、児玉春種に対する輝元の書状を読んでみます。
3通ぶっ続けで行くけど3通目はもはや意味が分からないよ!
相手もわからないよ!

てゆーかさ、今までさんざん輝ちゃんダイスキって言ってきた私の心が折れそう。
昨日プロレス見て元気を補充してきたはずなのに折れそう!


●毛利輝元書状写(吉川家文書 1183)

「児玉市允(春種)方への御書の控え」(端裏書)

このたび元春が言うには、絶対に毛利家との筋目をおろそかにしないとのことで、
あの件(小笠原氏)からは速やかに手を引くようにするそうだ。
しかしながら、又次郎(経言、広家)が短慮をしでかすかもしれない、とも言ってきた。
私はこれが理解できない。

もしこの件がおかしな成り行きになったなら、
そなた(児玉市允)も平佐藤右衛門(就之)もただでは済まないから、
今から覚悟しておくように。

元春はきっと、又次郎にその「短慮」をあえてさせ、元春自身は責めを負わないように、
あの件をひっくり返そうとしているに違いないと、私は推測している。
言うまでもないことだが、私としては、この件については
この命を捨てる覚悟でいるので、裁定をし直すつもりはない。

そなたの将来のために、今申し聞かせておく。
そなたはこの件について使者を務めているので、この推測が当たっていたならば、
私はそなたらをきっちり問い詰めるぞ。
今からその覚悟をしておくように。
まあそうなったときには、私もこの世にいないかもしれないな。 謹言

   (天正九年)六月二十四日     輝元(血判)
     児市(児玉春種)

●毛利輝元書状写(吉川家文書 1184)

「控え」(端裏書)

昨日の返事を読んだ。もう、何もかもどうでもいい。
あの次郎右衛門尉(小笠原長治)とその仲間の悪人どもに、いよいよめちゃくちゃにされてしまった。
元春は又次郎(経言、広家)に騙しぬかれ、又次郎は悪人どもに担ぎ上げられて、
無理にでも強行しようと申し合わせているはずだ。
もうこうなったら、三家(毛利・吉川・小早川)は滅亡するしかない。
そう思い詰めている。

とにかく討ち果たすしかない状態になったとしても本望だ。
いくら又次郎でも、元春の命令に従わないことなどありえないだろう。
そなたもそう思わないか?
こんな風にいろいろと騙しあって、三家が滅亡するとしても構わずに、
この件を成立させようとしているのなら、罰が当たって当然だ。

又次郎の進退については、おとなしく私の裁定に服すのであれば
他の機会に引き立ててやろうと、あれこれと考えていたというのに、
次郎右衛門尉に味方したばかりに、数代続いてきた三家を滅亡させ、
自身は筋目もない非道を行って死んでいくことになるのだ。
まったく言語道断である。

とにかく、裁定が破られたなら、「そのとき」だ。
元春の考えはよくわからない。
そなたは、この三家の興亡を賭けた使者を務めているのだから、
そういう運だったと思うといい。心得ておくように。 かしく

     児市(児玉春種)

●毛利輝元自筆書状案(吉川家文書 1185)

「御書控え」(端裏書)

重ねての返事、承知した。
誰が何を言ったというわけでもないが、この間の春、
あの人が言っていたことはおそらくこのことだろうと思われるので、
これからの心得のために申し聞かせておく。
市介(児玉春種)のところへならば、そなたの内緒話として話を通しておいてもいい。
とにかく裁定したのだから、まさか春(元春)が抵抗するはずはないとは思う。
かしく

以上、テキトー訳。

はーい、輝元社長、それ、パワハラです……
輝元・元春間の使者となった児玉さんに、なんつう圧力かけてるんですかあなた。
当事者じゃなくて使者なのに責めを負わなきゃいけないのか?
ブ、ブラック……こりゃ元長もびっくりするはずだわ。
あと、身の破滅に話を結び付けたがる様子が、なんとも中二っぽい。

この児玉春種さんは、元就・隆元の代を優れた行政手腕で支えた児玉就忠さんの三男だね。
輝元側室二ノ丸さんの父、元良さんの弟にあたります。
元春の奉行人と言われてるけど、隆元死後の輝元の反銭徴収にも「児市」が関わってる形跡が。
これは想像だけど、毛利・吉川両家にまたがる被官だったのかもね。
児市さんに限らず、そうした形態で動いてた家臣は探せばたくさん出てきそう。

その、毛利にとっても吉川にとっても大事な人材を、輝元はもうあからさまに脅迫しているわけで。
これにビビった児市さんが元春に泣きついたため、
この書状の写しが吉川家文書に載っかっているという経緯なんだろうね。

これらの書状のハイライトは、学者の方々によると、
輝元の認識として、経言が元春の指示なくして輝元に抵抗を試みるはずもなく、
経言の抵抗の背景に元春の意思があるという理解だった、という解説があるわけですよ。
つまり輝元の疑いの目は、経言なんかではなく、元春に向いていたわけだ。
これには異論はありません。

元春から言わせれば、「そんなこと言われても、あの子マジでおれの言うこと聞かないんだぜ」ってとこだな。
まあ輝元も、自分の息子が成長するにつれ、思春期~青年期男子の実態がよくわかるようになったとは思うけど、
この時点では理解できなかったのかもしれないね。
というより、このときの輝元自身が、両川からの自立を模索する真っただ中だったのかも。
二十代後半だし、対信長戦争で強いリーダーシップを求められる時期でもあった。

もしそうだとしても、パワハラはパワハラだけどな。
価値観の異なる数百年前の事象を、今現在の倫理価値観で評価するのは避けたいところだが、
同時代の元春・元長が児市への輝元の態度にドン引きしたようだし、
これは輝元の暴走と受け止めても差支えないんじゃないかと思う。

毛利・吉川間の利害衝突というよりは、輝元・元春間の(主として輝元による)信頼関係の崩壊。
ここまで読んできたなかで、私は小笠原騒動をこのようにとらえました。

続きを読む

2018-03-25

経言小笠原入嗣騒動考③

宣言通り、本日は、小笠原問題に関する輝元の書状行ってみよう!
……えー、この件に関しては、輝ちゃんかわいくないです。
先に言っとく。

まずは、天正9年に比定される、元春宛ての書状から。
おそらく元長宛にも同様の書状が届いていたことが、①の起請文からわかるね。


●毛利輝元自筆書状(吉川家文書 196)

彼の家(小笠原家)のことについて、下野守(口羽通良)を通じての申し入れを聞いた。
この件は、三家(毛利・吉川・小早川)の盛衰にかかわる問題だと思う。

経言が小笠原家の養子となれば、ほかの国人衆は全く道理に合わないことだと思うだろう。
そうなれば、いつ何が起こっても不思議はない。
それに、銀山の経営に支障が出ると予想され、そうなれば、
戦をしようにも思うようにいかなくなるはずだ。
私自身は今以上に、生きていても仕方ない身の上になることだろう。

この毛利家が外聞も内実も失ってしまったら、次はあなたの番だ。
日頼(元就)の書き置かれた一通のとおり、
三家のうちで一人でも欠けようものなら、遅かれ早かれ三家はすべて滅ぶ。

ぜひとも今は、日頼への報恩だと思って堪忍され、
二郎五郎どの(経言)にも意見を加えてほしい。
三家の再興は今この時にかかっているのだ。

どうか元春、よく考えてほしい。
まさ、か日頼の御一通を忘れたわけではないとは思う。

詳しくは使者から申す。     恐々謹言

  (天正九年)六月三日     輝元(花押)
     元春まいる 人々申給え   右馬頭 輝元

以上、テキトー訳。

続けて、これも天正9年に比定されてる(大日本古文書)けど最近の研究では天正10年のものらしい、
輝元から経言への書状。


●毛利輝元書状(吉川家文書 1190)

   経言 まいる申給え     右馬頭 輝元

申し入れる。
小笠原の件について、去年、元春父子に対してお断りしており、
あなたも納得したということだったので、胸を撫で下ろしていた。
あなたの安全を保障することについて、忘れてはいない。
元春と相談して固く約束したことなので、安心してほしい。

当時、あの家中(小笠原)では様々に雑説が飛び交っているとのことだ。
次郎右衛門尉(小笠原長治)はあなたに何と言ってきたのだろう。
あなたの御存分を耳にして、本当に驚いた。
次郎右衛門尉は近頃、あなたに対しては、
すべてうまくいっているかのように伝えているかもしれないが、
それは次郎右衛門尉が好き勝手に言っているだけに過ぎない。
それに、「長旌(小笠原家当主)から祟られるぞ」などと言っているそうではないか。
また、次郎右衛門尉は不義(反逆?)を企てている。
それに同意するとは、なんとひどい話だろう。

一、そもそも、よく考えてみなさい。
  あなたが小笠原に養子に行く必要などないだろう。
  まったくの他人なのだから、私がわざわざ止めるまでもない。

  私はなるようになると思って日々を暮らしているけれども、
  以前から、日頼(元就)さまは私にこのように仰せになっていた。
  「他の国ではそうではないが、この安芸の国では、
   国人の仲間たちで相談して対応を決め、これまで戦い抜いてきた。
   なので、国人衆に対する心持が重要だ」
  このように時々聞かされていたので、国人衆に対する私なりの考えがあった。
  あなたの養子縁組はそれに合わないため、差し止めた。

  あなた一人の心持ち如何で、すべての戦略が台無しなるのだ。
  このことをよく考えて、納得してほしい。
  最近はどの人も、当座のことしか考えずに物を言うようになった。
  誰が何と言おうと気にせずに、あなた自身が覚悟を決め、
  道理というものをよく考えなければならない。

  この問題は、三家(毛利・吉川・小早川)の盛衰にかかわる。
  私は今、どうにか毛利家を領知している身だが、
  不肖者なので、あなたの心中を顧みずに言おう。

  次郎右衛門尉のことだが、このような者は、どこの家にも一人くらいいてもいい。
  しかし彼は、他国とは異なる安芸の国の慣習を理解していない。
  日頼さまの代までは、法律を適切に適用していたため、困ることはなかった。
  次郎右衛門尉は、これまでは毛利に忠節を尽くしてきているが、
  将来的にはどうなることやら、といったところだ。
  自分の本意に背いての馳走は、敵であろうが見方であろうが、
  それほど頼りにできないと思う。

  小笠原家中のことは、だいたいこの通りだ。
  ただただ、将来の吉川家、毛利家、その他の人々のためを思って
  あなたが納得することを願っている。
  小笠原を措いて他にないという考えならば何も言うことはないけれども、
  何もあの家にこだわることもないだろう。
  それというのに、最初の一念を貫くため、数代続いてきた吉川家を捨て、
  われらを困らせるようなことにでもなったら、非常に残念だ。
  どうかよく考えて、あなたの本心を知らせてほしい。

  この件については、元春父子からあなたに詳しく話しているだろうから
  私からは申し入れていなかったが、
  あなたが納得できていないように聞いたので、困ったことだと思って
  今回、こうして申し入れたものである。
  なお、この使者から申し述べる。

  あなたの進退については、元春父子と相談して、必ず取り立てるようにする。
  これは当然ことなので、安心してほしい。それでは、恐々謹言

   (天正十年)三月十四日     輝元(花押)
     経言 参 申給え

以上、テキトー訳。

輝元がどうしても経言を小笠原家に養子入りさせたくない理由。
 ・他の国人衆が納得しないはずだ(割と遅くまで抵抗してたから?)
 ・銀山の経営に支障をきたす(小笠原本領、河本が銀山にほど近い要害)
 ―――ここまで対元春(&元長)、以下、対経言
 ・次郎右衛門尉(小笠原長治)が都合のいいように言っているだけ
 ・吉川は小笠原に養子入りする筋目がない
 ・輝元の国人衆への政策があって、それに合致しない
 ・次郎右衛門尉は今は忠義を尽くしているが、この先はわからない

このなかで私が妥当だと感じるのは、「国人政策に合致しない」という部分かな。
その他のほとんどは、元長が①の起請文でことごとく反論していたね。
最後の「今は忠節だけどこの先はわからない」なんつーのはもう、すべての国人に言えることで、
これこそ、なにも小笠原家に限った問題じゃねーのよ。

この2通の書状(主に1通目)は、読んでて非常に違和感があった。
経言と小笠原が銀山の近くにいると銀山経営が混乱する(理由不明)
→戦の支度も十分にできなくなっちゃう →三家滅亡
なんだ、その論法。「風が吹けば桶屋が儲かる」かよ。
まあこの際、論理は置いておこう。ここに突っ込んでも、あまり意味がなさそう。

この書状のキモは、「毛利の外聞実が地に落ちたら……次はあなたの番だ」って部分だと思うの。
これって恫喝じゃない。
元春や元長が驚いたのは、断られるにしても、恫喝されたからなんだろう。

「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
『おれは 三男の養子縁組のお伺いを立てたと
思ったら よくわからん理由で脅迫されていた』
な… 何を言っているのか わからねーと思うが
頭がどうにかなりそうだった… 許可するだとか断るだとか
そんな通常の返答じゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…」

てな感じか。もう使い古された感あるけどポルナレフ好きだよポルナレフ。

ここにきて、経言の養子縁組そのものに加えて、
毛利家と吉川家の関係、という問題まで勃発してしまったわけだ。
ちなみに、ごたついてた天正9年といえば、鳥取で経家さんが籠城してるそのときじゃねーかコノヤロー。

経言の問題に端を発してはいるけれど、喧嘩売ってんのは明らかに輝元だと思われるわけですよ。
次回はもうちょい、これに関する輝元の基本姿勢を追っていきたい。
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