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2011-09-11

阿鼻叫喚

興が乗ってしまったので本日のもう一発。
前回のあらすじ:
嵐の夜を縫って進軍してきた毛利軍にいち早く気づいた
陶軍の弘中たちは、こっそり山中の陣を引き払って本陣に合流、
元就の目をごまかし迎撃体制を整えることに成功した。
しかし、いかんせん大所帯なのと慌てていたので、
いつの間にか合流していた隆景とともに攻めまくる毛利軍に
まともに抗戦できないまま押されていく。
弘中「陶さーん!塔ノ岡、閉鎖できませーん!」


毛利右馬頭元就、厳島へ攻め渡り同所で合戦のこと(6)

元就父子四人が
「敵は大崩れと見えるぞ。ここで一気に叩け!」
と重ねて命令して進んだので、防州勢は一度にどっと崩れた。
陶入道は、
「これはどうしたことだ、あれっぽっちの小勢に
 押されているようではないか。返せ、戻せ!」
と采配を打ち振り打ち振り下知するも、
大勢が弓手の波打ち際に引き退いてしまい、妻手の山中に逃げる者もあり、
入道が命令した左右の脇の守りを少しも顧みずに逃げて通る者も現れた。

こうなってしまえば、後陣に控えていた大勢の兵士も
入道を打ち捨てて大元浦あたりまで引き退いてしまい、
船を敵に取られないうちに乗ってしまおうとでもいうように、
我先にと船に乗り込もうとした。
小船に大勢がひしめき合って乗っているので、
いくらも乗らないうちに沈んでしまって、海で溺れ死ぬ者もいた。
これを見て、先に乗った者は後から乗ろうとする者を乗せまいと、
船の側面に取りすがる仲間の腕を斬りつけてのけた。
一艘の船べりに二十人ほども取りすがってくるのを、
薙刀や太刀で腕を打ち払って払いのけるので、
大元浦・芦屋あたりの有様は、平家の一ノ谷落ちを髣髴とさせた。

陶入道は、味方の先陣も破れ、
後陣がたまらず逃げていくのを見ながらも少しも騒がず、
「臆病すぎる者は足手まといになる。逃げてくれたほうが好都合だ。
 私の旗本衆なら精鋭ぞろいで二、三千はいる。
 元就と最終決戦に臨もうではないか。皆静まれ」
と気にしない様子でいたが、
その旗本の兵も皆逃げ失せて、ようやく五百ばかりが残った。

こうしたところへ三浦越中守・弘中三河守・同中務・大和伊豆守の四人が
踏みとどまって防戦したと見えて、他の軍勢より遅れてやってきた。
「まず、入道殿は大元浦までお引きください。
 そこで社壇を前にして一合戦おやりください。
 緒戦は仕損じましたが、あの程度の小勢相手に負けるわけがありません。
 ここは場所柄、狭すぎて人数がひしめき合い、
 大軍勢の我が方がかえって不利となります。
 大元浦で備えを整えられるまでは、我らが引き返して敵を防ぎます」
と言えば、陶は「いやじゃ。私もここで討ち死にするぞ」と拒否した。
刻一刻と迫ってくる吉田勢の鬨の声に、
三浦は、入道に物も言わせず、肘をとって引き立てた。
伊香賀民部小輔も「お早く大元浦まで退いて最後の決戦に臨みなされ」と
無理やり引き立て、大元浦目指して引いていった。

弘中三河守・同中務小輔は神殿の背後、観音堂のあたりで入道たちと別れ、
滝小路を背に、総勢五百ばかりで待ち伏せた。
いちばんに吉川冶部小輔元春が追いかけてきたが、
弘中三河守父子は、もとから戦死するものと覚悟していたので、
何のためらいもなくまっしぐらに打ちかかっていった。
元春より先に進んだ兵は不覚にも十四、五間ばかり押し戻された。
元春は、これは何としたこと、と自分の槍で叩き立て、
弘中もふさわしい敵だと目をつけて、父子が一所に進んで槍を合わせて戦う。
大将が手を焼いていると、宮・庄・今田・粟屋・境・朝枝・森脇といった者たちが、
自分の命など塵芥よりも軽いとばかりに切り入る。
弘中がついに押し負けて滝小路へと後退するのを元春が追撃すると、
柳小路から青景・波多野・町野ら三百あまりが横から衝きかかってきた。
吉川勢の危機に、熊谷伊豆守信直・天野紀伊守が後から駆けつけて渡り合い、
斬りつ斬られつ戦って、ついには弘中も青景以下も押し立てられて引くほかなかった。

弘中はさすが古強者である。
滝小路の左右の家に火をかけて、それにまぎれて引いていった。
元春は、「弘中らを逃しても問題ない。神殿を燃やすな」と敵には目もくれず、
消火に当たっている隙に、弘中は大聖院の上まで引き退いてしばらくそこに控え、
合戦の成り行きをうかがって息を整えていたのだった。

弘中の戦に力づけられたのか、防州勢五百ばかりが引き返し、
隆元様の旗本衆に斬ってかかる。
互いに身命を惜しまず攻め合い、隆元様も自ら兵士に先立って戦うと、
双方の兵たちはただ討ち死にを願って猛り狂った。
なかでも内藤河内守・長井右衛門太夫など、槍を合わせて比類ない働きをした。
粟屋又次郎は槍にて討ち取られた。敵も、ここを先途と戦うも、
元就様が「あの敵を追い崩せ」と命じれば、
福原左近允・児玉内蔵允・粟屋与十郎をはじめ
二、三百ばかりが助けに来て打ちかかったので、
防州勢は皆追い立てられて右往左往と逃げ去った。


以上、テキトー訳。まだある。

ちょ、脇を抱えられて引き摺られる陶さん(35)かわええ。
この人の直情的な性格をよく現してるよな。
三浦さんも、口で言っても聞かないから実力行使に出でたんだろうし。
そんなんだから元就の術中にハマってしまうんですよ!
カワイイけども。うっかり萌えるけれども。
やっぱりな。先を知ってるから悲しいんだよなぁ。

そして弘中さん、なんというカッコよさ。
カッコよさでは弘中無双。
てゆーかみんなカッコイイな。読んでてすごい楽しかった。

いや、前半はマジでちょっと阿鼻叫喚なんですが。
大軍って、転がった小石が土砂崩れ起こすようなリスクも併せ持ってるんだね。
動揺の伝播力、パない。
船さえ確保しとけば、乗り込まなくてもいいじゃない?
これだと合戦の死人より溺死者の方が多そう。
てゆうか船にへりにしがみついてきた味方の腕斬りつけるとか
そんなんするくらいだったらYOU降伏しちゃえYO!
やっぱり士気とか軍隊教育とか大事なのねって思った。
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2011-09-11

火蓋、切って落ちる

昨日は炎天下、バーベキューだったので調子に乗って飲みすぎた。
ウナギのような犬やら同僚のお子様たちと戯れすぎた。小1女子と相撲とか(*´д`*)
赤子かわええ~(*´д`*) 抱っこするとビチビチ跳ねよるw
のはいいけど、調子に乗りすぎたか、首の爆弾が久々に炸裂。
酔いと眼球の日焼けと
左上半身のみに襲い来る不思議な激痛にダウンしておりました。

そりゃそうと前回のあらすじ:
暗闇の中の登山を強行した毛利軍は案の定道に迷うも、
厳島大明神が使わした鹿の案内によって無事予定の場所に出た。
元就の機転で湿らしてきた手ぬぐいを用いてのどの渇きを癒し、
さて進軍。先陣を仕るのは、もちろん我らが元春様だぜ!


毛利右馬頭元就、厳島へ攻め渡り同所で合戦のこと(5)

先陣の新庄勢のところに
鳥毛空穂をつけた武者五人が足早に通り抜けようとしてきたので、
二宮杢助は
「どなたでございますか。今日の合戦は元春が先陣を承っております。
 先へは一人もお通しするわけには参りません」
と言った。
「いや、ご心配なさるな。桂左衛門太夫(元延)、
 同兵部丞(元親)、同民部太輔(広繁)らでございます。
 一足も早く進み、敵と打ち違えて忠死を果たそうとまかり越しました。
 どうかともに連れて行っていただきたい」
と返事があった。
元春様は「実に見事な心構えよ」と感心して、そのまま連れて行った。

厳島大明神が初めてこの島に渡っていらしたとき、
兵裏を下し置きになったことから、その石は包の形に似た。
よってここを包ヶ浦と呼ぶようになったという。
合戦で勝利したあと、社壇を一宇建立された。それで裏の明神というとのこと。

さて、とても高くそびえた山の尾根をよじ登ると、
元就様に「ここは何というところだ」と尋ねられ、
兵たちは「博打尾でございます」と答えた。
「敵陣に賭けたこの首が、道中で博打尾に登ったのは、
 敵に打ち勝つという印である。
 源義経は勝浦に着いて平家に勝ち、今我らは博打尾に登っている。
 敵に打ち勝つのは間違いあるまい。勇めよ、ものども」
との元就様の命に、将兵たちはますます士気を高めた。

合戦は一日(ついたち)の卯の上刻(午前六時ごろ)と決まっていたので、
前後左右から登ってゆく兵士たちは「えいえい」と声をかけていたのが
次第に鬨の声となって、自然と雄叫びを上げて登っていった。
敵陣は思いもかけず、夜中なのでとんでもなく慌てふためいた。
けれども博打尾に陣取った弘中三河守(隆兼)の陣は
少しも騒がず、篝火を煌々と焚き続けた。

弘中隆兼は大和伊豆・三浦越中の陣に使いを送り、
「敵が山の傘に登ってきており、この陣に攻め降りてくるでしょう。
 陶入道殿の陣へはまだ遠く隔たっておりますので、
 ここの兵力だけで合戦に及ぶのは難しいかと。
 先にここを去って塔ノ岡に集合し、大御堂と有ノ浦の町の小路を先に入って、
 入道殿と一緒に合戦をしたほうがよいでしょう。
 味方は大勢だといっても、あちこちに分散して戦えば、
 小勢を相手にするにも不利なものです」
と伝えると、大和・三浦ももっともだと同意し、
それぞれの陣に篝火を焚かせておいて、ひっそりと塔ノ岡へ引いた。

吉田勢は篝火に騙されて敵が未だに陣中にいると思っていた。
あまりに暗かったので、せめて道の分かれ目が見えるようになるまでと思い、
夜明けはまだかと待っていた。
東雲がほんのりと明るくなってくると、全軍雄叫びを上げて切りかかってゆくも、
よく見てみれば、敵は博打尾にも城ノ頸にも一人として残っていなかった。
さては塔ノ岡の陶入道の本陣に集まっているに違いないと、
一丸となって突きかかっていった。
案の定、塔ノ岡から大御堂の間で、陶軍が堅く備えをして待ち構えていた。
互いに矢を次々に射かけ、槍を交えてさんざんに戦った。

陶軍は大軍でああるけれども、兵士たちは鷹揚に構えており、
まさか討ち死にするとは思っておらず、
一方、吉田勢はわずかであっても死を覚悟していたため、
射られても切られても痛みを感じず、一気に攻め破ろうと切りかかっていく。
元就様・隆元様・元春・隆景、いずれも、ここが最後とばかりに働いて、
大声を上げて命令をくだし、自ら真っ先に進んで戦った。

陶軍の先陣、弘中・大和・三浦が難なく押されてしまったので、
陶入道が「あとから入れ替えよ」と自ら抑えて命を下した。
しかし夜中に敵の鬨の声に驚いて慌ててこしらえた備えだったので、
前後が込み合って槍や長刀を振り回すこともできず、
しかもまだ午前六時ごろなので未だ暗くて、
先陣からなだれかかってくる毛利勢に、
二陣の兵たちは武器に貫かれてあっけなく倒れ伏した。
二陣の兵は先陣に入れ替わろうとするも、
大勢充満していたので通れるような場所はなく、
槍や長刀をさばくこともできないので敵に渡り合う様子もない。
これはどうしたことだと、早々と全軍が浮き足立った。
吉田勢はこの勢いに乗って攻め続けた。


以上、テキトー訳。当分続くな。

いやいや、さらりと書いてますが、香川さん。
隆景いつの間に合流したん!
もひとつ。
合言葉決めたんだから使えよ!!!

それにしても陶軍の弘中さんは、落ち着いてて智将なイメージだけども、
結局陶軍全体を窮地に追い込んでる張本人だよね。
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