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2011-09-14

将兵たちそれぞれの戦い

前回のあらすじ:
陶さんが意外に力士体型だったとわかって非常に嬉しい。
もとい、戦に破れて敗走する陶入道は、
落ち延びるために船を探し出すか、引き返して悔いなく戦うかの選択を迫られる。
落ち延びて再起すべきだと言う三浦越中守の説得に心動かされた陶は、
追跡の足止めを買って出た三浦を後に残し、船を探しに行くのだった。

でも今回は他の人たちの戦闘シーンだから
あんまり関係なかったりする。


毛利右馬頭元就、厳島へ攻め渡り同所で合戦のこと(9)

さて、小早川隆景は他の敵には目もくれず、陶入道の跡をつけて、
大鳥居の前から大元浦の谷へと追いかけていた。
ここに羽仁越前守・同将監と名乗る三、四十人ばかりが、谷の死角から斬りかかってきた。
石州の出羽民部大輔元実の家来衆、
東越前守・二ツ山何某などが渡り合い、ここを先途と交戦する。
中でも二ツ山は真っ先に進んで戦っていたが、
このとき散り散りに逃げていた防州勢五百人ばかりが、
所々から戻ってきて斬り返してきた。
芸陽勢は少し油断していたところだったので、
切り立てられて一気にさっと引き、押し返すのが難しくなった。
そこに吉川冶部少輔元春、藤の丸に三引両の旗を押し立てて斬りかかった。
粟屋伯耆守が大音声を上げて、
「吉川元春これにあり!
 おのおのがた、よくも引き退かれるものかな。返せ、戻せ!」と呼ばわった。
出羽の家来衆はこれで力を取り戻し、羽仁兄弟をはじめとして、敵を多く討ち取った。

元春が加勢に加わったのを見て、芸州勢はまた後から引き返して戦った。
そのとき吉川勢で敵を多く討って高名をなした者は、
二宮杢助・森脇市郎右衛門・山県四郎右衛門・粟屋三河守・同伯耆守と、
その他にも数多くいた。吉田勢では庄原兵部少輔・桂善左衛門・
福原惣右衛門・同左京・佐藤惣領右衛門・中原善左衛門・坪井将監・
児玉四郎兵衛尉・波多野源兵衛尉・志道源蔵・渡辺甚右衛門など、記しきれない。
天野紀伊守・同中務も落ち行く敵と渡り合い、数人を討ち取る。
その中に陶の郎党、手嶋清左衛門と名乗る者が引き返して戦っていたのを、
天野中務少輔元明が駆けつけて渡り合い、ついに手嶋を討ち取った。
その年十七歳の初高名だったので、元就様も大いに感心した。

(陶軍の)大和伊豆守は手勢七十余人ばかりで取って返し、
追いかけてくる敵を突き退けたが、
討たれたり逃げたりなどして二十四、五人ほどになった。
そこへまた敵が追いかけてきて渡り合っていると、
誰とはわからなかったが銀の四手(槍印)を腰に差した武者一人を槍にて討ち取り、
そのまま騒がず落ち行こうとした。
それを香川左衛門尉光景が四、五十人ばかりで追いかけ、
相手が大和伊豆守と気づいて「戻って来い」と呼びかけた。
伊豆守も日頃から互いに見知った仲なので、「香川か」と引き返して戦ったが、
二十四、五人の手勢もほとんどがそこらで討たれ、残りの者は逃げ散った。
伊豆守は主従五人になるまで一歩も引かず、左衛門尉を討とうと進んだ。
香川もまた伊豆を討たんと渡り合い、突き合っていると、
香川の郎党、川名石見守が助けに入った。
川名が槍を振り下ろした瞬間、伊豆の槍が打ち落とされた。
やぶれかぶれに組み伏せようとつかみかかって来る伊豆を突き殺そうとしたものの、
香川は、元就様の言ったことを思い出した。

「もし今度、陶に打ち勝てたならば、生け捕りにしたい者が二人いる。
 大庭加賀守は西国一の和歌の名手だ。
 これを助け置いて、我の老後の歌の友にしたいものだ。
 また、大和伊豆守は文武に秀でた勇士である。
 とりわけ軍艦の扱いに究めてよく通じているので、まだまだ生きてほしいものだ」

これをハッと思い出し、自分も武器を手放して伊豆に組み合った。
大和伊豆は有名な怪力の持ち主だったが、相手は数に任せて
手を捕り足を捕りしてきたので、逃れようもなく生け捕られてしまった。
これに続いて香川淡路守・同左馬助・猿渡壱岐守らが郎党を討ち取り、
そのほか十四、五人も討ち取った。

伊豆守は生け捕られたあまりの無念さに、香川をキッと睨みつけ、
「この大和ほどの武士を難なく生け捕り、人に顔を晒し恥辱を与えるとは何事だ。
 さっさと首を取らぬか。捕虜にして何の得がある!」と怒った。
香川は、
「伊豆守殿のことは、私が以前山口に下向いたしましたとき、
 とりわけ親密にしていただいたので、お命をお助けしたく思います。
 また元就も常にあなたのお噂ばかりおっしゃっていますので、
 お命を失われるまでのことはありますまい。そう思って生け捕りました。
 防長に平穏が戻りましたら、本領は安堵していただけましょう」
と宥めた。
すると伊豆守は
「香川殿、それほどのご芳志ならば、ただ早く首を打ってくだされ。
 元就と対面するにも、生け捕られたままでは面目が立ち申さん」
と言って、その後は物も言わなくなった。

宮左衛門佐は手勢の郎党が皆逃げ出してしまって、たった一人になったところに、
三須筑前守房清が二十ばかりで追いかけた。
こうなったら逃げられまいと、宮は岩の上に駆け上がって自害しようとした。
杉原若狭守が遅れて駆けてきてこれを見つけ、
「どうした、左衛門佐! 意味なく自害などしてどうしようというのだ。
 あなたは大内譜代の侍ではない。備後の宮だ。
 惣領下野殿に遺恨があったから、しばし山口に身を寄せていただけではないか。
 このことは元就様もよく知っていらっしゃるので、一命を助けてくだされよう。
 そうでなければ、私の一門がこの合戦で挙げた功に替えて、好意でお助けしよう。
 自害などやめて、降伏してくだされ」
と制した。
左衛門佐一家、従者たちは、まさか方便ではこうも言うまいと思ったので、
自害を取りやめて降伏し、命が助かったということだ。
問田・平井は熊谷に討ち取られた。


以上、テキトー訳。たぶんあと二回くらい。

元就さん、ヨユーじゃないスかw
誰それを生け捕りにしたいとか。しかも老後の友てw
友達はそうやって作るもんじゃないと思うぞ。

それにしても大和伊豆は不憫だ。
「こんなの恥だから早く殺せ!」と息巻いて、
情けをかけられたと知ってシュンとしてしまうとか、ちょっとかわいい。
元春と陶は義兄弟になったから、両家の家臣も交流があったんだよな。
それでなくても大内勢として一緒に戦ってきた同士だから、
かつての友が今日の敵になるってのは、やるせない。
でも仕方ない。
見知った顔だからこそ、退こうとしてても引き返して相手をする。
その心意気がなんとも言えない。

一方で、相手の事情を慮って、手柄にできる首をみすみす逃し、
命を助けようと降伏を勧める人もいる。
うまく言葉にできないが、いろいろあるんだなぁ、なんてしんみりしてしまう。

今回、うまく訳せなかった言葉で「分捕高名」ってのがある。
高名はなんとなくわかるが、そこに「分捕り」が当たり前にくっついてくる。
討ち取った首に脇差や得物、兜なんかを添えて取ってくることだそうだが、
それって追いはg(ry
・・・まあ当時は当然のことだったんだねー(棒)。
生々しい息遣いが感じられるようでちょっと震撼。

あと熊谷さん、さり気にすごい。
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