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2011-09-22

敗戦の一風景

生け捕りや掃討戦を免れた将の身の処し方。

重見因幡守自害のこと

重見因幡守という者があった。
出身は伊予の国の河野対馬守の一門で、河野十八家のうちの一人である。
その家も昔から派閥が真っ二つに分かれていて、与州を独り占めしようと争い、
宗家の望みも忘れて数世代に及んで合戦を繰り返していた。
そのようなわけで因幡守は国に住むことができず、
防州に渡って太宰大弐義隆卿を頼って身を寄せたところ、陶尾張守に預けられた。
そうして今度は陶に従って厳島に渡り、衆目を集める一戦を果たそうと思っていたが、
味方の本軍が負けて壊滅してしまった。
重見はなんとしても陶入道に合流しようとしたものの、敵に押し隔てられて、仕方なく山中に潜んでいた。
陶入道はどうされているのか、せめて耳に入れようと思い、
数日間は木の実を食べて飢えを忍び、露を舐めて渇きをしのいでいたところ、
ある谷陰にきこりが休んでいるのを発見した。

「陶の入道だか、禅門だかがこの島に渡って攻めてきたときは、兵も三万以上いたと聞いておるが、
五万だったか、さて三万だったか。わしらのような下賎の者にはよくわからんな。
この島の長瀬辺りから小浦・有ノ浦・大鳥居前に本陣を置いて、沖には船を掛け並べておった。
あの入道は人間を生きたまま噛み千切って食べるぞ、などと言って、
子供たちを震え上がらせるほどのお方だったが、これより勝る大将がいたのだなあ。
元就という人がたったの三千の兵で夜中に渡ってきて、鬼神のごとき入道を易々と仕留めてしまった。
今は三万人のうちの三人も残っておらん。
この島は開闢以来こんな戦が起きたことはなかったと、長老たちも言っておる。
まあ、神主や僧、商人たちしか集まってこなかったから、合戦なんてものがあるわけないな。
ここにはいつも僧・神主・町人だけで噂しあっているばかりで、
どんな法要に行こうと、どんな仕事をしていようと、武士なんてものは見たことも聞いたこともなかった。
あるとすれば平家物語の演舞くらいだな。
だから今度こそ近くで戦なんていうものを見たが、武士というものは実に恐ろしいもんだ。
鎧をつけて槍を持った姿はいかめしいけれども、
戦では二つとない命を賭けて戦うんだから、なかなかに危ないもんだ。
腰が痛いだの肩を壊しただのと言っていても、
こうして薪を切って楽々と世を渡っていくほうが、よっぽどマシだ」

きこりの話を聞いた重見は、「さては入道は船で退却できずに討たれてしまわれたか」と思い、愕然とした。
また、もう一人のきこりが口を開いた。

「陶の入道の首は廿日市の洞雲寺に送られ、土中に埋められて菩提は弔われたというぞ。
敵の死骸を手厚く埋葬して僧たちに供養させるなんて、
元就は鬼神のように恐ろしいのかと思えば、ことのほか情け深いところもあるもんだ」

老いたきこりたちは、日陰から出て暖かい方にに場所を変えて休んでいたので、
重見は近くに忍び寄ってこの語らいを聞いた。
「やはり入道は討たれてしまわれたのだなぁ。となれば、もう誰のために命を永らえる必要があるのか。
潔く自害して、入道に長年かけていただいたご恩をお返しせねば」と、
有ノ浦に出て、そこで年齢の近そうな者を呼んで、
「私は重見因幡と申す者です。
何としてでも全薑と共にいるべきだったのですが、
急な合戦のさなか、敵に押し隔てられて入道と別れ別れになってしまい、最期を見届けられませんでした。
これまでは、入道の生死を確かめようと思い、山中に忍んでおりましたが、
入道は既に討たれてしまわれたとのこと、とある機会に耳にしました。
私も腹を切り、同じ道に赴こうと思います。ですので、御検使を一人よこしてくだされ。
成行、結果をお見せしたく思います。
そうでなければ、重見はこの島に渡ったものの情けなく逃げ隠れ、飢え死にしたなどと噂が立ってしまいます。
それでは故郷の一族の面汚しになりますので、どうぞお願いいたします」と伝えさせた。

元就様はこれを聞き、
「重見因幡守は剛の者であるばかりか義士である。一命を助けて召使たいものだ」と、
児玉内蔵丞・兼重左衛門尉を遣わし、
「重見殿は陶譜代の家臣ではなく、予州の河野の一族なので、特に怨敵というわけではありません。
全薑はすでに自害されましたので、今度はこちらに力添えしてくだされ。
お命をお助けするだけでなく、全薑が以前から与えられていた扶持の倍を領地として差し上げます」と伝えた。

重見はこれを聞いて、
「これはなんとありがたい仰せでしょう。この重見からすれば、生前の面目、死後の名誉ともなります。
この仰せを聞いて、とっとと兜を脱いで降伏しないなど、実に鬼畜か木石かといった所業ですとも。
けれども私は、仰せのように河野一族ではございますが、
事情があって義隆卿を頼って身を寄せ、陶入道に預け置かれました。
全薑はどう思われることでしょう。
あのお方は、ひとかたならぬお心がけで親切にしてくださいました。
ご自分の衣を解いて私に着せ、ご自分の食べ物を節約して私に食べさせてくださった。
その恩は須弥山よりも高く、蒼海よりもなお深いものです。とてもお返ししきれるものではありません。
せめて命運を共にできれば、入道の厚恩を九牛の一毛程度でも報いることができましょう。
先に申しましたとおり、敵に押し隔てられて入道の最期を見届けられなかったことだけは口惜しく思います。
元就公のありがたい仰せに従おうとすれば、陶入道の年来の恩を忘れたことになり、
私は入道の怨敵となってしまいます。
全薑禅門の累年のご芳志に報いようとすれば、
これは元就公のご憐憫のお恵みを無視することになってしまいます。
何を是とし、何を非とするべきかはわかりません。

けれども今降伏してしまったら、入道は草葉の陰でなんとも恨めしく思われることでしょう。
またどんなにありがたい仰せであっても、私はもうこんな有様ですし、
命が惜しくて降伏するような者は、もう義士とは呼べませぬ。
身に余る仰せ、誠にありがたく、命も惜しく、妻子への名残も深いものですから、
ここで助けていただいて身の後栄を期するべきなのでしょう。
しかし義に背くことになり、私は名が惜しくございます。ですから自害をいたします。
このことをよくよくご両人からお断りしてください」と言う。

二人が元就様に伝えると、「重見のこのような所存を聞いては、なおのこと助けたいものだ。
心のない鳥や家畜だとて子への愛情は深いもの。重見も木石ではないから子を想わぬわけはない。
ふむ、次に自害の決心を覆せないようならば、西条木原に妻子がいると聞いているので、
これを探し出して因幡守の目前で首を刎ねてやると言え」とのことだった。

因幡守は「たとえ妻子にどのような罪を着せられようとも意味はありません。
入道の厚恩に報いなければ、どうして生きていけましょうか。
妻子や親類も共に死ねば、入道の恩徳により深く報謝できるというものです。
それこそかえって都合がいい」と、唯一筋に言い切った。

「忠といい、義といい、たぐいなき仁義の勇士であることよ。
節義の士に対しては威刑を用いて脅してはならぬという。
妻子を殺すなどと言わずに、もっと礼を尽くし姿勢を低くして当たるべきだったのに」と、
元就様は深く後悔した。

さて、検使には入江与三兵衛尉を差し遣わした。
重見因幡守は「お願いしたとおりにしていただけるとのこと、大変ありがたい」と、
入江に向かって合掌して喜び、謝辞を丁寧に述べてから、潔く自害した。
「忠臣二君に仕えず」とは実にこういうことを言うのであると、世の人々は皆感心しきりだったという。
元就様は重見の二人の子を召し出して所領を与え、家臣とした。
嫡子は木原兵部少輔、次男は次郎兵衛尉といって、
子は父の業を受け継ぐ習いなのか、二人とも群を抜いた勇士になったという。


以上、テキトー訳。

なんつうか、元就公はアレだな、Vシネに出てくるヤクザそのものだなw
「下手に出とったらいい気になりやがって!てめえの女房・子供がどうなったっていいってのか!」
うんうん、よくある噛ませ犬のパターン。
パターンと言えば、親父を殺して子や遠い親戚を取り立てるのも
元就のパターン化した行動のように感じる。重見の場合は自害だけども。

いやいや、もっと元就が美化されて描かれてるのかと思ったけど、
こういう失敗は失敗として描いてるんだな。
「陰徳太平記」になるとどう描かれるのか興味がでてきてしまったじゃないかw
またもや散財の予感・・・

次はまた別の武将の話っぽい。
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