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2011-09-25

兄上を差し置いてとか、そんなのカンケーねえ!

やっぱ有名なエピソードははじめに押さえとくべきだろ。
というわけで、元春の嫁取り話。

前後関係をちらりと見ると、
吉川家への養子入り決まる→嫁取り→吉川家相続
という流れらしい。
つまり養子入りが決まったからこそまだ17歳の元春が嫁さんもらうわけだ。
7つ上の兄ちゃんのお相手はまだ決まっていないというのに・・・


少輔次郎元春、熊谷信直息女と嫁娶りのこと

元就様は言う。
「元春にはまだ妻がいない。しかるべき者の息女を選んで婚姻の契約を結びたいものだ」と、
寝ても覚めてもこのことを考えていたが、とりあえず元春の気持ちを聞いてくるようにと、
児玉三郎右衛門就忠に言いつけた。
就忠は「かしこまりました」と、元春のところへ行って元就様の用向きを告げた。
元春は、「誰を妻にしたいという希望はない。すべては元就公のおおせ次第だ。
しかしながら、私に任せていただけるということであれば、
胸の内を言わないというのも何なので、就忠には言っておこう。
熊谷伊豆守信直の長女がいいかと思う」と言う。

「なるほど、しかと承りました。元就公にもそう申し上げましょう。
しかし、信直の長女はとんでもなく器量の悪い女だと聞き及んでおります。
これはなんとも申し上げにくいことではございますが、いざ妻にしてみて、
その容色が聞いていたよりも悪かった場合、後悔も深くなり、愛せなくなるのではないですか」
と就忠が言えば、元春はにっこりと笑った。

「信直の娘を望むのは私が好色だからだとでも思っているのか。
それならば就忠の考えはどうあれ、父元就公のお考えには沿わないだろう。
将たる者が第一に慎むべきなのは好色である。
唐の玄宗皇帝が楊貴妃のせいで天下を奪われたことは、皆知っているだろうから言う必要はないな。
日本でも漢でも、将が女色に耽溺する例は枚挙に暇がない。
かの新田義貞は義経以来の名将ともてはやされたが、
勾当内侍の色香に溺れて西国への出発を引き伸ばしたために、尊氏に戦で負けてしまった。
将であれ兵であれ、好色が災いして名を汚し命を失う者がとにかく多い。
最も戒めるべきなのはこの道である。

私は元就の次男として生まれ、わずかな間ですら武芸の精進を怠ったことはない。
もし御仏や神々に頭を垂れて祈り、一度は武名を天下にとどろかせ、
昨今の諸将のうちでは抜きん出た才覚の持ち主だと世間の評判となったとしても、
それでも父に比べれば雲泥ほどにかけ離れて劣っているはずだ。
昔の楠正儀は、当時の勇将と称された細川清氏・桃井直常らより十倍も優れた武将であったけれども、
父正成に比べれば半分にも満たないと嘲笑われたという。
父元就公は、武将としては正成に勝るとも劣らない。
私もまた正儀と大して違わない。
だから私がどんなに愚かだったとしても、重大な期待を背負っていることは知っている。

今回、信直の娘を望むのは、その女の容貌が優れていると聞いたからではない。
おまえが言うように、姿が醜いと耳にしている。
姿が醜ければ、この女を嫁にしたいという人はいないだろう。
父の信直もまた、この娘を妻に望む者は少ないと思っているはずだ。
だからこそ私がこの女を求めれば、信直も、世間での婿・舅の間柄よりも百倍して、
私の心を汲み取ろうとするはずだ。そして私の志に身命を投げ打って報いてくれることだろう。
今現在、この中国に熊谷信直に勝る侍大将はおらぬ。
私が彼を舅にして先陣を務めれば、どんな強敵・大敵であっても破れぬことはあるまい。
こうして武威を振るえば、元就の武勇の核心とまではいかないまでも、
何らかの片鱗を私のものにすることができよう。
また、私が信直と縁を結べば、信直もまた元就公に対してさらに忠節を尽くすことだろう。
そうすればますます毛利の武運は増す。
これを考えれば、醜い女を妻にするのは、父に対しての孝心だと言える。
また私にとっては、武名を上げるための計略になるから、これを望んでいる。
決して好色な思いからではないぞ」

就忠はこれを聞いて、
「これほどまでに若君のお心立てがご立派になっていようとは、露ほども存じ上げませんでした。
信直の息女が美しいとお聞きになったために望まれたのだと思い、愚かなことを申しました。
こんなことを申せばお心のうちでは大変迷惑にお思いになるでしょうが、
実にあなた様は、天が下された聖武の器に成長なされました。
斉の閔王が宿瘤という大きな瘤持ちの農家の娘の一言に心打たれ、
賢女だと見抜いて后(第一夫人)に迎えたところ、その徳は数ヶ月のうちに隣国にも及び、
諸侯が挨拶に訪れるようになり、晋の三国を脅かし、秦や楚の脅威ともなったという話を聞いたことがあります。
若君も熊谷の息女と婚姻を結ばれれば、おっしゃるとおり、
熊谷は比類ない戦働きをするでしょうから、若君の武名が日ノ本六十余州にとどろくのは間違いないでしょう。
元就公がこれをお聞きになれば、どんなにかお喜びなることでしょう。急ぎこのことをお知らせせねば」
と帰っていった。

元就様は元春の思いを聞くと、
「そんな風に考えているとは、実に殊勝な心がけである。
この一言は毛利家の武運がますます隆盛となる予言に違いない。
元春は竹馬に鞭を振るっていた幼いころから良将の器量の持ち主だと思っていたが、
我の目は曇っていなかったようだな」と大いに喜び、
すぐに熊谷伊豆守へ元春と息女との縁談を持ちかけた。

熊谷はことのほか喜んで、天文十六年(1547年)、めでたく祝言を挙げた。
元春が言ったように、熊谷は元春に対して身命を惜しまず戦働きに邁進した。
これによって元春は勇将と評判になり、
遠くには先祖の伊豆守基経が「鬼吉川」と世間に恐れられた跡をなぞり、
また近くには厳父元就様の名将の名を継ぐことになった。
世にも稀なことである。


以上、テキトー訳。

元就が元春の嫁の心配をするのは養子入りが決まったからだよな。
家督した長男にはまだ嫁さんいないわけだけど、
兄貴がまだ嫁もらってないのに・・・ってのは一言も出てこないw
こういうのは江戸期に広まった儒教的な発想なんだろうか。

信直の娘が醜女だとするのは、この「陰徳記」が初出らしい。
また、信直の妹は絶世の美女と言われていたので、姪である元春の妻=醜女説には再考の余地があるとか。
この説がデタラメだった場合、なんでそんな設定になったのかというと、
・「陰徳記」を著した香川氏が熊谷氏とライバル関係にあったために意地悪をした説
・元春のイメージアップのため、あえて故事にも通じる挿話を入れた説
などがあるようだが、私としては後者だろうな~と思っている。
香川氏と熊谷氏って、ほぼ同時に安芸武田傘下を抜けて毛利についてるはずだから仲いいと思うし、
もし仮に不仲だったとしても、そんな個人的な鬱憤を晴らすために
偉大な藩祖、広家の母君を悪し様に描くわけないだろ、と。

この話で意外だったのは、元就が元春に希望を聞いている点。
本人の希望とか、一応聞くこともあるんだね。
実際聞いたかどうかは別としても、そういう決め方も一般的にあったとうかがわせる。
エピソード的には、元春が突っ走って熊谷に求婚に行っちゃって、
元就が後からフォローしたって話のほうが面白いけど、これはこれでナカナカ。
17歳のやりたい盛りに「好色じゃないもん」とか言っちゃう元春がカワイイ。
そして「あいつは小さいときからデキる男だと思ってた!」とデレる親バカ元就もかわゆい。
竹馬にまたがって鞭をくれている幼児元春を想像するとさらにホンワカする。

元春はこの後、すぐに子供作って翌年には第一子が生まれてるし、
ずっと側室を持たずに正室の新庄殿との間に四男一女をもうけてるし、
三男がグレたときには両親連署で諫める手紙を送ってるしで、
夫婦仲はものすごく睦まじかったんだろうなー。うらやましい家庭だ。

明日は、やっぱり少し気になった、吉川への養子入りの経緯を読もうと思う。
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2011-09-25

隆元をざっくり描いてみた

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