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2011-10-09

冨田城攻め――吉川勢の場合

前回のあらすじ:
出雲に来た輝元がじい様に初陣をおねだりしたため、
毛利勢は三手に分かれて尼子勢をいたぶることになった。
塩谷口担当になった吉川勢の働きやいかに!?


冨田の城下三ヶ所における合戦のこと(3)

また塩谷口へは吉川治部少輔元春・嫡子少輔二郎元長を大将として、熊谷伊豆守信直が付き従って押し寄せた。
ここでもまた抜け駆けした者が多かった。
まず吉川衆の笠間刑部少輔・香川兵部大輔・二宮右京亮・須子平左衛門・森脇采女正・朝枝市允、
熊谷の郎党の細迫源右衛門・阿曽沼の若党山本何某など、五百ばかりで一番に塩谷へ押し寄せた。

この者たちがこうして深入りしたのは、二宮右京亮と須子平左衛門とに、先を争う競争心があったためである。
どうしてかというと、先日、カラカラ橋を架けた際、元春が須子平左衛門尉を橋の奉行に任じた。
二宮は元春に、
「このカラカラ橋を架けるときに、もし敵が打ち出てきて不意に戦闘にでもなれば、
味方は大きな損害をこうむります。
だから、多くの人がいる中で須子を選び出され、あの人も実に鼻が高いことでしょう。
あの須子という人はいつも自分の武勇を誇って、
我らのような若輩者を膝の下に敷いた虫程度にも思っておりません。
舌が回るに任せて、勇ましく荒っぽい言葉を吐き散らすような意地の悪い人です。
今度カラカラ橋辺りで戦があっても、須子と正面から勝負して勝利できる者は、
敵の冨田勢のなかにもそうはいないはず。十中八九は須子が大勝すると思います。
そうなればあの人は以前にも増して自分の武勇を自慢し、我らのような若者を風下に置こうとするでしょう。

及ばずながら、私もカラカラ橋の普請の奉行にしていただきたく、元春様に申し上げます。
それというのも、カラカラ橋の完成を待たずに敵が打ち出てきて不意の戦になれば、
須子一人では危ないと思うのです。
ものの役にも立たない身ではございますが、是非私に任じてください。
一人は橋を架けるために普請の奉行を務め、
もう一人は敵が来るのか来ないのかをうかがうのに偵察などを出して、交戦の準備に専心できます」
と進言した。

元春は二宮の意見を聞いて、「おまえの言うことはまったく道理だ」とすぐに了承し、
二宮もさし添えて任務に当たらせた。
このときから、二宮と須子はさらに武勇を争うようになった。
だから、今度も負けてたまるか、遅れてなるものかと競って先に進み、
気付かぬうちに塩谷の奥深くまで攻め入ってしまっていた。

ここで山上をキッと見れば、敵は三、四千ばかりで待ち構えている。
森脇市正・平野又右衛門・大西十兵衛・立原源太兵衛尉など七百騎が真っ先に進み、
左右の尾根の上から下ってきて射手を先頭に立て、ヒタヒタと近づいてきた。
寄せ手の五百騎がこれに渡り合い、槍の先から火炎を出して激しく戦う。
こうしたところに尼子方の秋山三郎左衛門尉・秋山伊織助・福山次郎左衛門尉ら三百人あまりが、
茶磨山という小さな丸い山の麓を回って、横槍にドッと突きかかってきた。
寄せ手が二手に分かれて戦っていると、笠間刑部少輔は兜の半月の立物(飾り)を少し突き折られた。
そのほかの者も手傷を負っているうえ、不意に横槍を入れられたのではかなわない。
しかし一騎当千の精鋭らしく、命を限りに防いでいる。

尼子方の横道源介が、尾小森口に抜け駆けして寄せる敵の後ろを遮ろうと、百五十騎ばかりで駆けてきたが、
塩谷口の合戦が大きく動いたと見て取って、山上から一直線に下り、
後陣に進んでいた細迫源右衛門と渡り合った。
いずれも劣らぬ勇士なら、突きつ突かれつの激戦となった。
ついに細迫の命運が尽きたのか、草摺の脇をしたたかに突かれる。
しかしそれでも物ともせずに戦っていると、次の槍に鎧の内側を突かれ、
さしもの細迫もこの深手には目の前が真っ暗になり、しりもちをついてドウと倒れた。
城中の兵たちはこれに力を得て一気にドッと突きかかってきた。
寄せ手の後陣はたちまち壊乱し、退却する。

先に進んだ兵たちは、後陣が敗れたので一人残らず討ち取られているかと思えば、
皆勇士なのでまったく騒ぎ立てず、槍を構えたまま足並みも乱さずに静かに退却していく。
さしもの冨田勢も近付くことができず、敵の足並みが乱れたときに虚を衝いて討ち取ってやろうと、
同じように静かに跡をつけていった。

元春は、二宮杢助・吉川与次郎・森脇市郎右衛門・山県四郎右衛門たちに
「今日は、抜け駆けして塩谷の奥深くまで入っていった者がいるようだ。行って止めてこい」
と言って差し向けた。

四人の者たちが冨田川のこちら岸まで出て行くと、先駆けした味方の後陣が総崩れになるのを見て、
これは抜け駆けした者たちが戦に負けたなと見て、急いで川を駆け渡った。
冨田勢は大いに勇んで追いかけてくる。二宮たちは応戦しようと足を進めた。
先に退却していた笠間・香川たちはこれに力を得て一気に取って返し、
二宮・森脇と一緒になって遮二無二突きかかったため、
冨田勢は二度目の合戦に敗退してはるか山上まで引き退いてしまった。

横道は細迫を押し倒して首を取ろうと二太刀ばかり浴びせたところに、
敵がわめいてかかってきたので、仕方なく打ち捨てて退却した。
細迫の郎党たちは、手負いの主君を肩に担いで味方の陣に引いていく。

その後、吉川治部少輔元春・嫡子少輔二郎元長が旗本衆を率いて塩谷口へ攻めかけ、
熊谷・阿曽沼も従って、五千余騎が鬨の声を上げて進んだ。
城中からも九郎倫久が四千余騎で打ち出で、互いに弓隊・鉄砲隊を先に進めてしばらく野戦をしていた。
やがて足軽を押しのけ、突きつ突かれつ入り乱れて戦った。

城中でも立原源太兵衛尉・山中鹿助・黒田右京などが真っ先に進んで武勇を示す。
井上豊後守は、河内の畠山家人丹下に従っていたが冨田に寝返り、
このときは川添美作守の手勢に加わっていた。
川添がこの口に出陣したので共に打って出て、井上弥四郎と名乗って比類ない槍働きをした。

少輔二郎元長は、熊谷伊豆守信直にとっては、娘が産んだ孫である。
信直はそばを離れず付き添って先陣に進み、元長・信直と名乗って吉川衆熊谷勢を一手にまとめて戦う。
元長が真っ先に駆け出て行くのを見て、信直は
「さすがは元春の子、真の獅子児だ。あなたもまた鬼吉川と呼ばれるようになりましょうな。
外戚の私に似たとしても、武勇を人に笑われることなどありますまい」と自賛して、
世にも嬉しそうにしていた。

冨田勢が少し押していると見た九郎倫久は、
「さあ、味方が大勝利を得るぞ。一気に抑えてやれ!」と采配を打ち振るって駆け出る。
尼子勢も鬨の声を上げて進んだ。
寄せ手が引きそうになっていると、元春の旗本衆七百ばかりが左の方へ押しまわして攻め懸ける。
熊谷・阿曽沼たちも身命を捨てて熱戦したので、尼子勢は突き立てられて散り散りに逃げていった。
塩谷の奥まで追い込んで、寄せ手が討ち取った首は六十以上にも上った。詳細は省く。


以上、テキトー訳。あと1回でオシマイだと思う。

吉川勢は吉田勢と違ってお笑いもなく、マジメに戦しとるなー。
やっぱり抜け駆けとかライバル心むき出しの競争はあったみたいだけれどもw
丁々発止といった緊迫感だね。さすが。
細迫さんはかなり重傷のようだけど、助かったんだろうか……

さて、待ってました。
もう一人のおじいちゃん、熊谷信直さんのデレっぷりが描写されてるよ!
信直さんも大好き。
この人は、「平家物語」に登場するあの熊谷直実(平敦盛の首を取った人)の子孫で、
もともと安芸武田氏についてて、父親を有田中井手(毛利と吉川VS安芸武田)の合戦で亡くしてる。
なんやかんやあって毛利勢と力を合わせて戦することがあって、元就の才能に惹かれたらしい。
元春と娘の縁談が整ってからは、毛利にべったり。
だいたい「吉川勢」てのが出てくると、お神酒徳利のように熊谷さんの名前が登場してるね。
つまり婿の元春にべったり。いい舅だなあ。

そして今回は孫にべったり!!!
「うちの孫ってば超天才!」な、ジジバカっぷりを披露してくれて最高に嬉しい。
信直さんのイメージはごついコワモテなんだけど、
そういう人が孫とかにデレデレになってるとギャップに萌えるよね。
しかし、ホントにいい家族だなぁ……こんなおじいちゃんが欲しい。

次回は菅谷口に配備された隆景たちのお話。
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2011-10-09

エ/ロ/ゲ/塗/りテスト(隆元)

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