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2011-11-01

豊前一揆@城井谷

昨日の次の章。二回に分ける。
さあさあ、黒田長政がコテンパンにされた城井に、広家はどう立ち向かうのか。


城井(きい)の屋形降参のこと(上)

同(天正十五年十一月)十二日、広家様は小倉を出発し、
城井の屋形、宇都宮弥三郎(城井鎮房)を討伐するために進軍した。
同十六日には城井の谷に隣接する萱切山に上り、手勢一万余りを率いて陣を張った。

こうなると、黒田勘解由・子息の吉兵衛尉も二千騎ほどでその山に着陣し、広家様と共に陣にいた。
宇都宮は元来、勇猛さに優れた人物なので、あちこちの一揆勢と示し合わせ、
手勢三千ばかりで山の麓に攻めかける。
宇都宮はまず備えを堅固に設け、魁の足軽を、生い茂ったなよ竹の一群の陰から突如として襲い掛からせる。
萱切山からこれを見て、「おっと、敵が出てきたぞ」と言っていると、
田の畦や畑の畦の枯れ草を刈っている味方の草刈役を追い立ててくる。
そこに黒い馬に乗った武者が一人駆けつけ、馬上から草刈役を一人突き伏せた。
そのまま馬からヒラリと飛び降りて、首を押し切って掲げた。
これを見て、先陣の古志因幡守・湯佐渡守・津軽三左衛門が「あの敵を逃すな」と追いかけると、
宇都宮は一段高い岸を前に、谷を後ろにして二手に分かれた。

広家様は「ああ、敵が出てくればいいのに、と願っていたところに、こうして打ち出てきた。
これこそ望むところなので、躊躇せず一戦したいところだ。
しかし私が敵の意図を察するに、我々が目前の敵に気を取られて皆追いかけてしまえば、
その隙を狙って後ろの山から本体が現れ、不意に戦を仕掛けようという魂胆だろう。
それではこちらが負けてしまうかもしれない。
ここで負けないようにしてから、敵に勝つ策を講じよう」ということで、
後陣の三沢へと粟屋彦右衛門を検使として差し向ける。

「敵がもし我々が目前の敵に向かっている隙を狙って虚を突かんとかかってきたならば、
その敵を追い散らしてくれ。くれぐれも討とうとしてはならぬ。ただ味方の陣を破られぬようにせよ。
我々は今の敵をすぐに切り崩してくる。
そうなれば搦め手に回った敵も自ずと退散するだろう。
ゆめゆめ小敵と侮って危ない一戦をするな」と軍令を厳しく制定し、
三沢のいる猿尾の陣へと差し向けた。

味方の兵たちは北を追って次第に宇都宮の旗本に追いついた。
広家様は桂次郎兵衛尉をはじめとして軍使数人を差し遣わし、
「敵が退却できないようにしておけ。すぐに私の旗本勢も攻めかかって、
一戦のうちに切り崩すぞ」と命じて切りかかろうとするところに、
黒田勘解由が鎧の袖にすがり、「これからすぐ一戦する必要はありませんぞ」と諫めてくる。
広家が「さて、それはどんな道理があって言うのです」と聞くと、黒田は
「今言うことではありません。まず一戦を差し控えてくだされ。
この私がどうして広家のためにならないことを申しましょうか。今日は戦を取りやめてくだされ」と強く言う。

広家様は「今から一戦すれば絶対に勝利を得られましょうが、黒田殿が強く反対されるなら、
ともかくもご意見に従いましょう」と、先陣へまた軍使を遣わし、
「味方の兵を引き上げよ」と命じた。
先陣が進むのをやめたので、宇都宮もまた退却していった。
また猿尾の三沢の陣へは、案の定、六、七百ばかりの敵が打ちかかり、
この陣を切り破ってから広家の旗本に迫ろうと切りかかってきた。
粟屋彦右衛門・三沢摂津守たちは示し合わせて、鉄砲数百挺で散々に撃ちかけたので、
敵はやがて退却していった。

翌日、広家様は城井谷に押し入り陣を敷いた。
左右の手先には益田越中守・熊谷豊前守、その次は三沢摂津守・三刀屋弾正左衛門・
三刀屋監物・羽根弾正忠・佐渡越後守・佐渡又左衛門尉以下、総勢一万二千騎。
敵に不意を突かれまいと、まず味方の陣を堅く構える。
城中からも敵の強弱を確かめようと、百や二百の足軽を度々出して挑発してくると、
そのたびに寄せ手が鉄砲数百挺を一斉に撃ちかけ、次第に敵も出てこなくなった。
こうしているところに秀吉公から御内書が届いた。

  その表に在陣し、いろいろと精魂こめて指示を行っているとのこと、小西摂津守からの報告で聞いている。
  厳寒の折、長々と苦労をしてくれて、いたく感謝する。
  城井のこと、追い詰めて絶対に落ちのびさせることがあってはならない。
  武将たちが別に肥後表で和仁・辺春を取り巻いており、今後の見せしめとするためにも、
  一人も逃さず攻め殺すように。
  残党については、来年の春までには人数を出して、無残なことを仰せ付けるつもりであるので、
  その意を汲んでほしい。また追々報告するように。
   (天正十五年)十二月十日     秀吉
  吉川蔵人殿  (吉川家文書之一-一一一)

  その表に在陣していること、小西摂津守からの報告で聞いている。
  寒空の下で大変な苦労をかける。和仁・辺春を取り囲んだとのこと、
  今後の人々への見せしめとするため、一人も逃さず討ち果たすように。
  残党については来春には人数を出して無残なことを申し付けるので、そのつもりでいてほしい。
  また追々報告するように。
  (天正十五年)十二月十日     秀吉
  小早川左衛門佐殿  (小早川家文書一-四八九)


以上、テキトー訳。続く。

わーん、マジで手紙が読み解けないよう。もう知るか!

さて、いやもう広家ったらマジ天才だわー(棒)。
まあヨイショだったとしても、実際にも長い戦歴があるからけっこう読みは鋭かったと思うよ。
しかしクロカンが広家を止めるとは……いったい天才軍師(?)には何が見えてるんだろうな。
てゆうか、簡単にすがりついたりできるほど近くにいるんだな。
別々の隊を率いる大将数人が同じ陣に集まってることもあるのか。
これまで、伝令がいくつもの陣を行き来してるイメージだったよ。
まあ今回、先発隊との間で二往復しなきゃならなかった伝令には「ご苦労様」としか言えないw

次回も続き。
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