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2011-11-19

おまえの因果の果てを

ぬがぁ。
訳してたテキストがマシンの強制シャットダウンで吹っ飛んだぁ~。
せっかく粟屋さん登場まで読んだのに、おのれ熱暴走……(泣)
どう考えてもこまめに保存しない私が悪いですね、はい。
「♪しーねーばーいーのにー」が頭の中にサワヤカに反響するんだぜ。
もういいや。今回はこれだけで。

そんなわけで前回のあらすじ:
遺産分配をめぐって兄に恨みを抱いた杉原景盛は、兄の元盛を呼び出してヌッ殺しました。
あとは杉原の家をまるっと我が物にするだけだよウヒヒヒヒ。


杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(2)

景盛はやがて元春に使者を送った。
「兄の元盛は、羽柴殿に味方したので、是非もなく討ち果たしました。
先にこの旨を申し上げ、ご検使を一人遣わしていただき、
すべて終わってからこれからのことをご相談したいと思っておりましたが、
すでに南条と話し合って、元続・元清の手勢を
八橋並びに尾高の両城へ引き入れる手はずになっておりましたので、事を急ぎました。
敵と合流してからでは千度悔やんでも意味がないと思い、まず討ち果たしました」

使者からこれを聞いた元春・元長は、
「実に忠節の至りである。
血肉を分けた同胞の仲をも割いて味方に心を尽くすとは、さすがは盛重の子であるなぁ」
と感心して見せながら、事の成り行きが不審だと感じ取っていた。

去年からのことを細かく尋ねていくと、景盛の悪逆が露見した。
「さては景盛が陰謀を企て、無実の兄に罪を着せてこんな所業に出ているのだな。憎い奴だ。
急いで討ち果たさなければ」とは思ったものの、
諸国の兵乱がまだおさまっていないので、知らぬ振りをして様子を見ていた。

景盛は、これは騙しきれたぞと思っていたが、尾高の城は伯耆の大山の麓にあるので、
景盛が兄を殺した非道ぶりを、大山大権現並びに伯耆房などと呼ばれる大天狗が見逃さず、憎まれたのだろう。
元盛を討ってからは、その城には変化の者が我が物顔で徘徊した。
あるときには大きな山伏柿が篠掛けに頭巾を引っ掛け、景盛と対座して浮世の物語をすることもあり、
またあるときは、大きな男が素っ裸で相撲などを取って客殿の真ん中で上へ下へと動き回り、
ドッと笑って掻き消えるようにいなくなることもあった。
また手拍子をチョチョンと打って、人間なら五十人から百人もいるような声で歌を謡い踊りを躍ることもある。
こうしたことは数知れず起こっていた。

その上、景盛はある夜、こんな夢をみた。
兄の元盛が鎧を着込んで景盛に打ち向かい、「おまえの因果の果てを見せてやろうか」と問う。
夢心にも、「元盛は私を恨んでいるのだ。念仏の功徳は五逆十悪の罪人をも助けると聞く。
念仏を唱えよう」と思い、六文字(南無阿弥陀仏)を唱えると、元盛はカラカラと笑う。
「悪心を持ちながら念仏を唱えても、砂を噛んで飯にするようなものだ。
仏のなした四十余年の説法は、心の悪を去らしめ善に回帰させるためのものだぞ。
千万回念仏を唱えようとも、心が磨かれないのであれば、功徳などがあるものか」
元盛がそう言ったところで目が覚めた。
景盛は驚いて、「ここは大山に近いからこんなことが起きるのだ。
佐田の方に城を構えてそちらに移ろう」と決めた。
そして佐田明神のおわす松原に城を築き、完成すると、尾高を引き払ってそちらに移った。


以上、テキトー訳。まだ続く。

後ろ暗いことがある人は、実に臆病になるね。
どんな非道なことでも後ろ暗いと思わずに実行できる人間て、実はすごいのかもしれない。
たとえば某殿下とか佐野道可事件のときの宗瑞さんとか。

しかし景盛の夢枕に立った元盛兄ちゃん、なんか優しいなぁ。
けっこうまっとうなお説教してるもんね。
べつにそんな怖がらなくてもいいんじゃないかと思うんだが。
物の怪さんたちも、歌ったり物語したり相撲取ったりだから楽しそうなんだけどな。
引っ越すほど気味が悪いかなぁ?

さて次はいよいよ粟屋彦右衛門さん登場シーンまで絶対入れてやる!
ところでこの粟屋さんは、関ヶ原のときに東軍内通の証人(人質)として息子を送った
粟屋彦右衛門と同一人物なんだろうか。
イヤ普通に考えれば同一人物なんだろうけど、粟屋姓多いんだよね、ここん家。
いろいろとワカランわぁ。
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