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2011-11-21

佐田を取り巻くアレコレ

前回のあらすじ:
兄を殺して杉原の家を自分のものにしようとしていた景盛は、
その陰謀に感づいた元長によって追い詰められようとしていた。
元長から景盛征伐を任されたのは香川兵部大輔・粟屋彦右衛門の二人。
さらに景盛の退路・援軍の進路をふさぐ人員も大規模に動員されてるぞ。
どうする、景盛!


杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(4)

さて、三沢摂津守為虎・三刀屋弾正左衛門久祐・その子の監物・羽根弾正忠・湯佐渡守・
牛尾大蔵左衛門・福頼藤兵衛尉・小谷刑部少輔・小森和泉守、そのほか毛利七郎兵衛尉元康、
出雲の国は冨田の城に詰めていた杉森少輔十郎元秋たちは、
かねてから取り決められていた通りに、小土産の山の普請も半ばに、警戒に余念がなかった。
「もしかしたら南条が軍勢を出して不意に決戦を挑もうとしてくるかもしれない。
その押さえとして、早々にお出ましあれ」との触れがあると、
元康・元秋はこの謀略の内容を知っているものの、
ほかの国人衆は皆、城の普請の人夫を出し、
そのうえ敵の押さえのために軍勢を率いて出ろと言われたのだと理解して、軍を率いてきた。

香川・粟屋は吉田肥前守の調略を済ますと、伯耆に駐留していた福原真俊・渡辺飛騨守にその報告を行った。

さて、諸軍勢が小土産の周辺に着くと、香川・粟屋は
「景盛を討ち果たすようにとの輝元の仰せである。
元長から、この二人が検使として遣わされた。
急ぎ佐田の城を取り囲み、攻め破ってほしい」と言い渡し、
同八月三日、寄せ手八千騎が佐田の城をクルリと取り巻いた。

ちょうどこのとき、杉森元秋と毛利元康は事情があって兄弟の仲が悪くなっていた。
今回も、「この元秋が兄なのだから、鬨の声は我が陣から上げよう」と言われた元康が
「軍門に兄弟の礼などないという。こちらの手勢から鬨頭を上げてやる」と争い、一触即発となっていた。
福原と渡辺が「無益な争いをしている場合ですか。
元長様から御名代として香川兵部大輔が遣わされているのです。
鬨頭も春継の陣から上げるのが筋でしょう」と諫めると、
この兄弟も、とりあえずこの二人の裁定に任せようということになり、
香川の陣から鬨頭を上げ、三回鬨の声を上げると、城中でも二千騎あまりがその発声に声を合わせた。

香川・粟屋は、景盛の手勢のなかで、宗徒の兵と言われている者たちに、
城を落としてくれば本領をまるごと安堵すると話してあった。
すぐに了承した兵たちは、石原助次郎・馬屋原孫兵衛尉・横道権允・中原弥介・中原市太夫・
新庄兵庫・丹比七郎兵衛尉・その弟の秋里主水正・内坂織部・大塚内蔵丞・
土肥内蔵丞・入江左衛門進などだった。
横道源介は「景盛はここ数年、自分に良くしてくれた。
今は籠の中の鳥のようになったとは言っても、最後に暇乞いをしなければ、
どうにも気持ちがおさまらない」と、しばらくそばに留まっていた。
しかし景盛は、味方がことごとく離反していったので、
横道源介もきっと的に味方して城に火でもかけるつもりだろうと邪推して、
「こちらに留まってくれ」と騙して殺してしまった。

香川兵部大輔春継は、佐田の城の攻め口には軍の掟を固く定めておき、
粟屋彦右衛門を残して、自分は吉田肥前・牛尾大蔵左衛門を連れて、尾高の城に向かった。
景盛から尾高を任された木梨中務少輔を取り囲み、使者を送る。
「景盛は悪逆非道にして兄の元盛の罪をでっち上げて殺した。
輝元に事の次第を申し上げ、元長から景盛を成敗するようにと、私たちが動員されている。
あなたについては、杉原家譜代の家之子郎党ではなく、備後の本国を諸事情によって後にし、
杉原を頼って仮に足を休めているに過ぎない。
であるから、今兜を脱いで降伏したとしても、年来の武名は少しも傷つかない。
不義の景盛に協力し、その身を滅ぼし命を失えば、後代までの名折れとなろう。
さあ、早く城を明け渡し、真っ当な将に仕えて、忠勤に励まれよ」と伝えると、
木梨は説得に応じて、同五日に城を空けて、捕虜となった。

河口刑部少輔久氏は、景盛にとっての姉婿だったが、こ
れも景盛のあくどい所業を心底憎んでいたところで、すぐに城を去って寄せ手に加勢した。
景盛は、「切に頼んでいた尾高の城の木梨は降伏してしまった。
また一方を防いでくれると頼っていた河口も、野心を抱いて敵に迎合してしまった。
これはどうしたことか」と、茫然自失して途方に暮れていたが、
さすが盛重の子と言うべきか、武勇だけは人より優れていた。
城中の兵を集めて、「これから十日間ほど持ち堪えよ。
南条兄弟・宮部善乗坊・本下備中守などに言い含め、援軍を送ってくれる手はずになっている。
今こうして元長から攻められているのは、以前から私が想定していたことだ。
南条と胸を合わせ、羽柴秀吉の内意もひそかにうかがっている。
秀吉も、一旦は和睦したとはいっても、長年矛楯を交えてきた遺恨を忘れてはいらっしゃらない。
この機会を見逃すものか。

中国に軍勢を差し向けたいと思われていたから、私に対して
『おまえが毛利家に対して恨みが山のようにあるのなら、謀反を企てよ。
そうなったら南条を先陣として伯耆口から攻め入ってやる』と、内々に密約を固めておいたのだ。
今に見ておれ。秀吉の出馬があれば、毛利家は滅亡するだろう。
毛利家が滅亡すれば、私も大身になるのは自明の理だ。
おまえたちにも所領を多く与えてやろう。
そうすれば、子孫は無窮の栄華を誇るだろう」と、舌が滑るに任せ、
ないことをさも本当のように言い立てて、
味方を鼓舞するために弓矢・鉄砲を隙間なく乱射すると、
たちまち三沢摂津守為虎の郎党、山崎与次郎という者を一人射伏せた。
これには城中の兵たちも矢間の板を挟んでどよめいた。


以上、テキトー訳。まだ続くよ。

この章長いわw 面白いけど。
ていうか元康と元秋、くだらねえ兄弟喧嘩してんじゃねーよw

なんか、今回はいっそ、景盛の嘘吐きっぷりに舌を巻くね。
よくもまあ、これだけないことないこと喋れるもんだ。
ていうか、実際この事件に秀吉が噛んでてもおかしくないと思ってしまうあたり、
私は元長によって滅ぼされるのは必定なのかもしれない。
うん、元長に殺されるなら後顧の憂いはないや。
でも贅沢を言えば経言の刀の錆びになりたい。

でもやっぱり口先だけじゃなくて日頃の行いとかが大事なんだね。
ぼろぼろと味方が抜け落ちていくのは寂しいというより恐ろしいよなぁ。
できれば味わいたくない気分だ。
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2011-11-21

存在の耐えられないナントヤラ

おおおお、また「記事を保存」押す前に寝ちゃった><。
酔うとろくなことねえ。

前回のあらすじ:
遺産分配をめぐって兄に恨みを抱いた杉原景盛は、兄の元盛を呼び出してヌッ殺しました。
けれど新庄(吉川家)にあることないことフいたので、かえって疑われるハメに。
まあ元春も元長も疑ってるのを気取られるほど素人じゃないけどね。
景盛は悪逆がたたったのか物の怪やら兄の亡霊やらに悩まされたので引っ越しましたとさ。


杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(3)

元長様はこれを聞いて、
「さては景盛め、自分の罪科からは逃れられないと思って、
南条・宮部に一味して当家に弓を引こうと考えたな。
急ぎこやつを討たねば千度後悔したところで意味もあるまい」と考え、
すぐに吉田に赴いて、輝元様にこのことを注進した。
輝元様は即沼田に使いを送り、
「いささか話し合いたいことがあるのでこちらに来てほしい」と伝えると、
隆景様が吉田へとやってきた。

こうして景盛誅殺について会議をした。
隆景が「定は東伯耆の堺だから敵城に近い。
悪くすれば景盛は南条を頼って退却してしまうでしょう。
もし仕損じれば武門の名を汚すことになります。
元春は一昨年隠居してしまったし、元長はまだお若い。
年寄役として私が出て行き、景盛を成敗しましょう」と言うと、元長様はカラカラと笑った。

「景盛が南条に一味したとしても問題はありません。
押し込めて討てば苦労もないでしょう。
私の旗下の景盛を討ち果たすのに、お手間を取らせるわけにはいきません。
また私自身が向かうまでもありません。
いずれにしても家人を一人検使として差し向かわせ、
北表の勢力を動かして、すぐに討ち果たそうと思います」

これを聞いて、隆景様は
「これは由々しき一大事ですぞ。先ほど申したように、敵城に近すぎる。
また、父盛重の代から、勇名をほしいままにする恐れを知らない集団です。
今の景盛も、武勇は人並みに備わっているようです。
そのうえ、手勢も皆、大博打・夜盗・強盗の元締めたちで、
命など永らえたいとも惜しいとも思わない者ばかりなのだから、易々と討ち果たすのは難しいでしょう。
さて、誰を検使にするつもりですか」と問う。
元長は「香川兵部大輔(春継)をやるつもりです」と答えた。
隆景は「兵部は勇も智も一通り全備している。最適な人選だと思います。
では、どのように事を運ぶおつもりか」と重ねて問うた。

「それはですね、討手が迫っていると噂にでも聞けば、
景盛は城を捨てて南条に身を寄せようとするでしょう。
ですから、まず何条への押さえとして小土産(ささづと)の山を城郭に築くと発表して、
普請の者を出すように国人衆に呼びかけます。
そこで軍勢を整えて南条側への通路を遮断した後、佐田の城を取り囲みます。
何条は後詰など寄越さないでしょう。
一昨年、家城を捨てて播磨に逃げていったときも、
秀吉が『南条はきわめて臆病者ではあるが、わしをひとえに頼ってきて不憫に思う。
これの家城を返してやってほしい』としきりに頼んできたので、
羽衣石の城を返し与えてやったのです。
このような大臆病者なので、軍勢の一人として加勢に送ってくることはないでしょう。
一両日の間に景盛を攻め滅ぼしてやりますよ」
元長の返答に、隆景は「その策がいいと思います」と同意した。

元長様はやがて宿所に帰ると、供に連れてきていた香川兵部大輔を呼んで、ひそかにこのことを伝えた。
「いよいよ景盛を討ち果たすことになった。
輝元・隆景へも、おまえを検使として差し向けることは言ってある。
急ぎ伯耆の国へ向かい、景盛を討ち果たせ」
兵部はかしこまって、「ご当家は他家よりも武勇に優れた人が多くいます。
どなたでも、景盛を簡単に討ち果たせる器量の持ち主をお選びになり、仰せ付けくださいませ。
私のような者が愚蒙な我が身を省みずに仰せに従ったところで、
もし仕損じてしまっては、ご当家の武名を傷つけることになりましょう」と固辞した。
元長様は、「仕損じては当家の名折れになると思うからこそ、おまえに命じると、
輝元・隆景にも申してきたのだ。さあ、早く」と急かす。
兵部大輔は「このうえはお断りするべきではありませんな。
しかしながら、もう一人誰かを差し添えてください」と答えた。

元長様が「人選は、ともかくもおまえの望みに任せよう。
誰なりと好きな者を連れて行くがよい」と言うので、兵部は、
「それでは粟屋彦右衛門をつけてください」と要望した。
元長様は「粟屋は源次郎と言う名だった十五歳のときから何度も勇名を馳せている。
また智もそれなりに備わっている者だ。おまえの望むとおりでいいだろう」と、
すぐに彦右衛門を呼ぶと、この旨を伝えた。
粟屋は「かしこまりました」と承って御前を退出した。

粟屋は香川兵部に向かい、「さてさて、当家には人も多いというのに、
私を選び出してくれたとは実に面目の至りだ。この芳恩は未来永劫忘れるまい。
あなたと私で謀を運べば、景盛も簡単に攻め滅ぼせるだろうよ」と、兵部の背中を撫で、
「ああ、私が濡れ衣を着せられてあなたに棒で六十回打ち据えられたとしても、
振り返ったりはしないよ」と手を合わせて喜んだ。
香川も、「あなたはまだ志学の歳から赤川又五郎を討ち、その翌年には木原兵部を洗合で討ち果たした。
その後も、何度も武名を上げていることは皆承知だ。
あなた一人は、余人千人にも代えがたいと思って、元長公に望んだのだ。
聞いている通り、景盛はまだ乳臭い青二才だ。
大して困難もない。とっとと片をつけてこよう」と打ち笑って、二人一緒に宿所へと帰っていった。

同(天正十二年?十年?)七月二十八日、景盛は、来る八月朔日の祝賀のために、
浅山与三左衛門という若党を使者として新庄に送ってきた。
これを捕らえると土蔵の内に閉じ込め、
香川兵部大輔・粟屋彦右衛門、その日に新庄を出発して伯耆へと旅立った。

さて、二人が佐田へ到着し、
「小土産の山に、南条への押さえとして築城することになったので、普請奉行として二人して参った次第です。
景盛殿からも人手を出してください」と言うと、景盛はこれを謀略とは夢にも思わず、
「それがしも佐田の城の普請の途中ですので、今回はお許しいただきたい」と、特に注意もせずに答えた。
そこで香川・粟屋は相談して、
「吉田肥前守は景盛の姉婿だが、かねてから景盛の悪逆を憎み、仲たがいをしているという。
そのうえあの男は大変な律義者で、また並びなき忠義者だ。まずこれと相談しよう」と、
使者をやって呼び寄せ、二人の計画をこっそり話した。

吉田は、「景盛の無道を罰しようとの策略は、実にもっともだと思います。
あんな無法者の縁者だからといって、どうして道理をわきまえた良将に弓を引いたりしましょうか。
ご安心ください。私が策を練って景盛など易々と討ち果たしてみせます」と言った。
香川も粟屋も、吉田がもし景盛に協力したなら、
無双の勇士だけに簡単には打ち滅ぼしがたいと思っていたところなので、
自分たちへの協力を取り付けられて、
これは早々に景盛を葬ることができるぞ、とすっかり気分を良くして
笑いを抑えきれない様子で帰っていった。


以上、テキトー訳。まだツヅクノデス。

重要な中心人物のはずなのに、会話にまったく参加してこない輝元が不憫でならない……ッ!
まるで……空気……! 二人が話してる間何してたのさTERUよ。
逆に元長兄ちゃんが驚くほど頼もしい。惚れてまうやないの。

まあ、吉川家傘下の問題に、いくら万能とはいえ別家の叔父様に出張ってほしくないわな。
吉田の会議では「うちの傘下の杉原ヌッ潰すけどいいよね?」って
了解だけ取れればいいんだもんな。

さてさて、私の待望の粟屋さん登場だね。たすけてヒコエモン~。
元長兄ちゃんにご指名された香川さんにご指名されてかなり喜んでる。
これが十五歳くらいで笑いながらふざけるふりして自分に惚れてる男を斬り殺した人だなんて。
しかし香川さんによるヒコエモン昔話はいきなり順序が違ってるしw
まあ些細なことなんだけどね。
しっかし香川・粟屋ペアは仲のよろしいことで。
その仲の良さを少し景盛・元盛兄弟に分けてやってほしいよマジで。
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