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2011-12-13

九州征伐、中国勢前哨戦

カウンター見たら昨日・今日といきなりアクセス数が増えてるんだけど何でだろう。
まじめに調べ物しててこんなサイトに出くわしてしまった方は実にご愁傷様です。
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検索よけとかしたほうがいいのかな? やり方を調べないとわからないんだけど。

さて「陰徳記」の続き。
九州征伐で先陣を切った長曽我部・仙石隊が
まんまと島津に釣られてコテンパンにやられた、まで読んだ。


備前小倉城合戦のこと

毛利・吉川・小早川にも、九州征伐に出発するようにと殿下(秀吉)から通達があった。
輝元様からは、まず三浦兵庫助を大将に、
三刀屋弾正左衛門・桂兵部丞・福原彦右衛門尉をはじめとして、
主力兵三千騎ほどが豊前の地へ送られ、門司の関の城に入れられた。

こうしたところに、小倉の城から高橋の手勢が打って出てきた。
足軽が出て、弓や鉄砲を射かけ撃ちかけて迫ってくる。
三浦は「どうにかしてまず高橋の端城の小倉を攻め落とせば、
古所山の麓の馬見の城に立て籠もっている秋月は、城を空けて退散するだろう。
そうなれば高橋も賀春之嶽にとどまることができないはず。
帆柱の城に立て籠もる麻生重郷、山鹿の城の麻生元重はもとより中国方なのだし、
豊前一国はばらばらとなびき従うだろう。まず目の前で踏みこらえている小倉を攻め取ろう」
と策をめぐらしていた。

そこに、小倉の城から稲津見羽右衛門が足軽隊の先に出てきた。
手勢は五百ばかりで、敵に「かかってこい」と挑発する。
三浦はこれを見て、「敵が四、五百ほどで出てきたならば、城中の兵の半分以上が出てきたのだろう。
あの勢に取り結び戦ってすべて討ち取れば、城はあっという間に陥落するはずだ」と、
二千ほどで打って出て、ひしひしと対峙する。
矢の射かけ合いがはじまると、稲津見は次第に人数を繰り出してきて、
これも二千ほどになって突きかかってきた。

門司の城からも、これを見て、城中の兵をすべて繰り出して打って出て小倉勢を追い立て始める。
と、そこに一千騎あまりが敵の援軍として現れた。
これは秋月が事前に用意していた策だった。
思いも寄らずに横合いから突きかかってこられそうになって、門司勢は突き立てられ、
先備えの足軽の足が乱れて退却を始める。
これはもう大崩になるだろうと見た福間・桂は後ろに下がり、大音声を上げて全軍に下知し、
備えを乱さずに退却しようとするも、
敵が大勢で鬨の声を上げて攻め寄せるため、これでは諸勢が次々に追い討ちをかけられてしまう。
そこで福間彦右衛門は十文字を軽やかに提げて引き返し、
向かってくる敵を数多く掛け倒し突き伏せ勇猛に戦って、たちまちのうちに戦死してしまった。

桂兵部丞はこれを見て、
「今ここで引いては、日頃から誇っている武勇が台無しになって大臆病者の汚名を着るだろう。
いざ討ち死にしてやろうではないか」と、馬からひらりと飛び下りて槍を提げ、
「エイヤッ」と声を掛けて敵を待ち構えた。
三刀屋は「桂は討ち死にと思い定めたようだ。
ここで討ち死にしても、味方が少しでも助かるわけでもないだろうに」と言って控えていた。

小倉勢は桂が立ち向かってくるのを見て、これはいい敵だと思ったのか、
自分が討ち取ってやろうと、数百人が打ってかかる。
桂は名高いつわもので、勇んで迫ってくる敵兵に少しもひるまず、
無手と渡り合い、突き立て切り立て散々に戦った。
しかし敵は勢いに乗っているうえに、新手を入れ替えながらかかってくるので、
兵部丞もその身は鉄や石でできているわけではなく、切り傷・突き傷を多数受けて、
ついにその場所で討たれてしまった。

三刀屋弾正左衛門は、手勢二百ほどで控えていたが、家之子郎党たちが久佑の前に来て、
「桂殿は討ち死にいたしました。何を待っているのですか。かかって一戦しましょう」と声を上げる。
三刀屋は「お前たちは戦術など知りもしないだろう。
勝機を得た大軍に、敗色濃厚になった小勢が打ちかかって一戦したところで、
どうやって勝利を得られるというのか。かかるのも待つのもそのときによる。
ここでかかっていけば桂の二の舞になるぞ。
時を待って戦えば利もあるだろう。
そのうえ敵は勝ち誇って少々備えが乱れているように見える。
こちらが備えを固くして待ち受ていれば、敵も引かざるを得ないだろう」と言って馬から下り、
「この久佑の手の者は、一人も立ち上がらず、座ったまま討ち死にせよ」と命じ、
山のようにどっしりと控えた。

敵は三刀屋が討ち死にと言ったのを聞きつけて、さらに勇んで押し寄せてくる。
三刀屋の郎党たちも一歩も引かず、敵と刺し違えて十七人が枕を並べて討ち死にした。
敵がこれには三刀屋も堪えられないだろうと目をやれば、
さすが雲伯では武勇を極めた久佑というべきか、少しも騒がずに槍衾を作って待ちかけている。
さしもの高橋勢もこの勢いに辟易して、まったく近寄れず、それから次第に退却していった。
久佑がこうした働きを見せなければ三浦も討たれてしまうところだったが、
三刀屋の武勇のおかげで十死に一生の難を逃れたということだ。

こうして中国勢は一戦のうちに勝利を失い多くの兵が討たれてしまった。
三浦はどうにかしてこの憤懣を晴らすべくひと合戦したいと思っているところに、
ちょうど三村紀伊守が備中から馳せ下ってきた。
三刀屋弾正左衛門とも軍議をして、伏兵を七曲に置き、斎藤寺口から三浦兵庫助が二千騎あまりで打ち出た。
高橋・秋月らはこれを見て、
「三浦の武勇の程は先日試してよく知っている。今日は一人残らず追い討ちにしてやる」と、
三千騎あまりで懸け合った。

三浦は作戦通り、一矢射てはさっと引き、引いては一矢射ち、次第に下がっていく。
高橋の郎党たちは、秋月の手勢より早く攻撃して高名しようと進み、
秋月の兵は、高橋勢に後れを取るものかとはやって、我先にと進む。
いよいよ三浦が退却を始めると、それを策略とは知らずに、
「先日大敗して臆病神が頭に乗り移っているのではないか。
今日は一度も槍を合わせることなく逃げていくぞ」と言いながら、馬に鞭をくれて追いかけた。
三浦は取り決めていた場所まで敵を引き付けると、今度は鼓を打って兵を返す。
七曲に伏せていた三村紀伊守・三刀屋弾正左衛門、総勢七百騎あまりが敵の後を遮ろうと打って出ると、
さしもの高橋・秋月勢も前後の敵を防ぐことはできずに退却していく。
これを追いかけて散々に討った。
高橋・秋月の兵が多く討たれた中に、千寿の何某・秋月の一族の一人がいた。
ようやく三浦は、先日勝利を失った会稽の恥を雪いだ。


以上、テキトー訳。

いいねいいね~。三刀屋さんかっこいい。
敵もさる者ながら味方もなかなかどうして。押しつ押されつ渡り合い、策を重ねてだまし合う。
こういう合戦は読んでて楽しいね。文章それ自体はあまりノッてはいないんだけど。ビバ頭脳戦。

しかし三浦だの三刀屋だの三村だの「三」がつく人が多すぎると思うの。
それを言ったら毛利家なんて「元」だらけで泣きたくなるけどね。
あと豊臣政権下では「秀」がゲシュタルト崩壊を起こしそうだよ。

次はその「元」とか「秀」がつく人たちも出てくるよ。
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