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2012-01-03

広家の甘え考

昨日の輝元の書状に対する広家の返書、の案文。
下書きしてから清書するんだね。
ていうかこのときはそれぞれどこにいたんだろう???
そのうち時系列をまとめないと頭がこんがらがるわ。

●吉川広家自筆書状案 宛先:輝元 時期:慶長2年6月

   ご推察のように、隆景様のご他界については世間に知れ渡っています。
   あちこちからお聞きになっている通り、仕方がないことだと思います。
   さてさて、どれほど長生きしてほしかったといってもきりがないのですが、
   あと五、六年ほどはご壮健であってほしかった。
   これからはとにかくあなた様のことです。
   心中お察しいたします。恐れながら私も同じ気持ちです。

 一、元清の病気については、確かにあなた様のおっしゃるとおりなのでしょう。
   もしかして何か手を打てば持ちこたえてくれるかもしれないと思って、
   以前夜に訪ねてみたのですが、もうまったく手の打ちようがない様子でした。
   ご外聞も実に口惜しいことです。
   ご養生、ご配慮のこと、口さがなく申し上げることも、これからはなくなるのですね。

 一、沼田、隆景様の職の後継について、上意をお伺いになってお決めになるのはもっともです。
   きっと別儀もないでしょうし、上様もご憐憫の裁定を下されると思います。

 一、私のご奉公、身上のこと、お気にかけてくださり、本当にかたじけないと申し上げるのも
   かえってよそよそしいですね。
   さきほど渡飛(渡辺長)・佐石(佐世元嘉)・二信(二宮就辰)へ申したように、
   私は不調法なうえ病気がちなので、特にお知らせしないこともありましたが、
   ご心配には及びません。できる限り養生を心がけて、
   御手足の苦労を御意のままご奉公しなくてはと、内々に考えております。
   私の養生のことまで、今朝もお尋ねくださって、ありがたく思います。
   御意を守って、絶対に気をつけるようにします。

 一、世情のこと、人々の口に上る話題など、耳にしたことは御意のとおりすべて申し上げます。
   このことは必ず心がけるようにします。
   あなた様のためになると思えば、遠慮容赦はいたしません。
   もちろん、ほんのちょっとしたことでも、思ったことは差し出がましく申し上げます。
   私の言うことに正義がなければ、あなた様の胸中に捨て置いてください。

 一、いつも申し上げているように、私は一向に人のことを考えないで育ってきました。
   元春もまったく私にかまわないで置いておいたので、助言をくれる人もいません。
   隆景様がこんなことになってしまったからには、主君としてはもちろんのこと、
   あなた様お一人を親のようにも頼りたく思います。
   物事をわきまえた者であっても間違えることはあるといいます。
   万事ご指南をくださいますよう、ぜひともぜひとも、お願いいたします。

 一、事によりますが、申し上げたりするのには誰を通せばいいでしょうか。
   これを指示していただければ、その人にも御意を通して相談しておきます。

   それではまた。恐惶謹言


以上、テキトー訳。

広家かわいいよ広家。
隆景のことは「様」つけて呼ぶんだね。どんだけ隆景の存在が大きかったかわかる。
あと五、六年隆景が生きていればどうなったかなぁ。
まあ隆景に限らず、元就の時代を知ってる老臣はこの時期にどんどん死んでいくよね。
熊谷のジーチャンだって文禄2年に亡くなってるしな。寂しいし心細い。

しかし広家、「元春がまったくかまわずにいたから、助言をくれる人がいない」てのは、
ちょっとソコ座れと言いたくなるな。
長文の手紙(説教)を山ほどもらっといて「かまってくれなかった」とは何事か。
親の心子知らずって草葉の陰でトーチャンが泣いてらぁ。
助言をくれる人だっていっぱいいるんじゃないかな。
熊谷のカーチャンとか元氏ニーチャンは蚊帳の外ですかまったく。
それこそ頼れる家臣もいっぱいいるわけだし。毛利直臣や寄騎にも仲いいのがいるでしょ。
あと如水さんとかngmsとか市松とか鎮西無双はどうした。ああ、安国寺はいいや(ヒドイ)。

広家の身近な人への書状を読むにつけ、この人は実はすごく甘えん坊なんじゃないかと思うようになった。
父親にものすごく反発するのも甘えだよね。
その父親への不満や育ちのことを「いつも申し上げ」てるのか。言い訳や愚痴が言えるのも甘え。
自分の病気のことを息子にあれこれ語ってみたりってのも一種の甘えかな。
末っ子(厳密には違うけど弟は夭逝してるから実質末っ子、女子は除外)だから甘え上手なんだろうな。
兄貴たちとも歳が離れてるし、きっと家族総出で可愛がられたんじゃないかと思う。
輝元にしても8つ年上なんだから甘えが出るよね。
甘えがいけないって言うつもりはなくて、逆にものすごく大好物なんだけれども。
家族にしろ他人にしろ、人に素直に甘えられるって幸せだと思う。
隆元や元長は、長男のサガなのか、甘えられずにいい子ちゃんで生きてきて苦悩してるっぽいしな。

で、この甘えっ子が何か問題起こすたびに輝元が世話を焼くパターンがある。
まだ経言と名乗ってた広家がグレていたころ、勝手に他家に養子入りしそうだったのを止めたのは輝元。
広家と元康(元就八男)が仲違いしたときも輝元が仲裁したし
広家が伏見で浅野長政と喧嘩に及んだときも輝元が出張った。
広家と秀元の家中の仲が険悪になったときだって、輝元が頑張って収めた。
なんだ、輝元ってなかなかやるじゃん。
このほか秀元と益田元祥の家臣同士がよりによって関ヶ原の行軍中に喧嘩騒ぎになったときも、
輝元と広家が協力して仲裁してたはず、だったと思う。
そのあたりの書状もそのうちちゃんと読みたいな。
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