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2012-01-08

元長が家族大好きっ子すぎて泣ける

そんなわけで吉川家文書別集、元長から西禅寺の周伯恵雍さんへの手紙を流し読んでみた。

「先日いらしたときにお引止めしたかったんですができなくて。
 年内に一度ゆっくりお話でもしましょう。近日元棟のところにおいでください(12月14日)」
「得魚を元棟(元氏)が拝見したいというので、明日見せてください(3月21日)」
「松寿丸(元春四男)が病を得たのでこちらまで下向してくださったと聞きました。
 本当にありがとうございます。少し良くなったようなので安心してください。
 私は明日か明後日には罷り上がります。(天正6年10月23日)」
「元春の瘧病が快気したと聞いてすぐに見舞いをくださり、ありがとうございます(8月5日)」
「昨日はお越しいただいてありがとう。取り紛れて挨拶できずにすみませんでした。
 元春は今日は一段と気分がいいようです。
 晩にどうなるかはわかりませんが、まずはよかった。(8月11日)」
「元春も今私の家にいますので、今日はお疲れでしょうから、明日の昼くらいにおいでください」
「経家が論語抄を返したそうで、よかったです。(3月8日)」
「元棟のところに来てもらえますか。相談したいことがあるんです」
「今日は元春が疲れきっているので、明日の朝おいでください」
「梅の花を二枝ありがとうございました。ちょうど老母が私の家に来ているので
 帰るときの土産に持たせたいと思います。きっと喜びます(12月1日)」
「元春の死去は是非に及びません。元春は周防の龍門寺雲庵東堂の弟子ですので、
 その弟子筋を呼んで、まずは一通り引導をすることになりました。
 ご門中の衆も集まって打ち合わせをしておいてください。
 貴僧はおいでになっても、おいでにならなくても、お心にお任せします。
 後々の供養は貴僧が調えてくださいますよう。(天正14年11月15日)」
「以前頼んでおりました、日頼(元就)の衣で九帖袈裟を新調する件、進んでいますか。
 余計な事ながら、進捗を聞かせていただきたいです。
 元春の位牌のこと、先に進めないでください。まずは寺号を定めなくては。
 新しい土地が必要ならそのようにします。悪いところでは後悔しますから。
 よくよく考えてください。私も考えます。(天正14年12月19日)」

なんなの、もうこの子かわいい。
まだ他にもあるけど追いきれてない。
「黙然」などの雅号を使ってる書状もいくつもあった。
元棟の登場回数が多いのは、西禅寺がどうも元棟の所領にあったためらしい。
元春はダントツの登場回数だね。ホント孝行息子だね。
それにじいさまの遺品の衣で九帖袈裟仕立てたいとかもうもうもう!
お袈裟ってのは本来、古布を継ぎ合わせて仕立てるものらしい。
さすが仏教オタク。金襴緞子なんて目もくれない。
あの、陰徳記呼んでて「さっさと陣に行け」なんて毒づいて申し訳ありませんでした。

で、究めつけはこれ。元長の書状じゃなくて、恵雍さんの奥書。
    ↓ ↓ ↓ ↓
「右は御臨終にいたるまでの御自筆の御書なり。文数五十三、紙数七十五。
 端の一封は他筆ではあるが、末後の書状なので添えておく。
 御自筆の御書の総数は文数百六十八通、紙数二百六十九枚なり。
   天正十六年丁亥六月五日     西禅野衲周伯記」

恵雍さん、元長の一周忌に合わせて、もらった書状整理してたのかよ!
泣けるわ!!! もうその書状の束は増えないんだぜ、切なすぎるよ。

最後に、兄を亡くした弟たちから恵雍さんへの書状。


元棟(元氏)書状
「元長様のこと、何度言ったところで是非もないことです。
 かねがね万徳院に建ててあった廟所に葬ることになりました。
 とはいっても、元長様は生前、内々の雑談でも、
 西禅へ行けばひときわ心が清浄になっていい気持ちだと言っていましたから、
 香兵(香川春継)などとご相談のうえ、御舎利(遺骨)を貴寺にお預けして
 廟を建てていただき、御酒掃(供養?)をお願いしたいと思います。
 第一、元長様と貴翁の仲ですから、これがきっと最善の弔いでしょう。
 お局方もそうお考えです。恐惶頓首
  (天正十五年)六月十七日     宮内太輔 元棟
  西禅丈室(周伯恵雍) 侍者御中」

経言(広家)自筆書状
「私から連絡をするべきでしたのに、取り乱しているうちに、
 あなたから音信をいただいてしまいました。
 それにしても当家は、不慮のことで難局に立たされ、言葉を失っております。
 私の言い分は十分お聞きになっていると思いますのでそれはいいのですが、
 御家を預かることはまさかあるまいと思っていました。
 末代までの名誉ではありますが、私などは結局のところ大間抜けで不調法者なので
 きっと御家を滅ぼしてしまうと思います。でも仕方ないことです。
 このことは言葉にも筆にも尽くしがたいのです。
 名誉だと申し上げなくては、まったく気も晴れません。
 元長の御他界について、敵のことはもちろん、家の無力がこれほどまでに極まるとはと、
 どうにもならない思いでいます。
 あれこれとわきまえもせずに、今の時勢の成り行きに従って、
 または元棟(繁澤元氏)と家中の者たちに助けてもらいながら、
 吉川の名字を続かせるようにしていくつもりです。
 またお会いしてお話しましょう。恐々謹言
  (天正十五年)八月二十一日      経言(花押)
  西禅寺(周伯恵雍) 尊報      蔵人 経言
 箱崎まで細々と御音信をくださいましたが、
 行き違っているのではないかとご心配だったでしょう。
 確かに確認いたしました」

えーっととりあえずアレだ。広家、いっぱいいっぱいなのはわかるけど、空気嫁。
まあでも、これ以降も広家は恵雍さんを気にかけて細々と手紙を出してるのでよしとするか。


明日から陰徳記に戻ろうかと思うんだけど、朝鮮出兵が読みたくてうずうずしてる。
いや、アレですよ。広家に加えて黒田さんちの息子さんが活躍するので。長政大好き。
ただ朝鮮に行くと、終わりまで抜け出せない感が強いよね。
どうするか……また明日考えるか。

以下、拍手コメいただいた方への返信です。

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