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2012-01-14

大仏造営するから材木差し出せってさ

広家の嫁の母に関する章の次から読んでいくよ。
今回は単発記事的なうえ短いけど、次から小田原征伐のお話。

いや最近吉川家譜に浮気してるわけだがそっちが面白くてな。
でもブログに上げられるほど読み解けてもいないんでな。
まだ読みやすい陰徳記を細々と読みつついつか家譜の記事を上げたりしたいと思いますハイ。


大仏造営のこと

明けて天正十七年己丑、秀吉公は大仏を造営すると言って
国々の太守へといい材料を京都へと送るように申し付けた。
「なかでも中国は深山が多い地である。昔は俊乗坊(重源、東大寺大勧進職)も
周防の国から大仏の材木を取り寄せたと伝え聞いている。
これは古い記録に載っていることだ。
それに先年、薩摩追討のために下向したとき、防府の奥で、
俊乗坊が例の良材を捜し求めたときの風呂釜という、
口の広さが九尺あまりもある釜が今でもあると聞いている。
きっとそこには今も大木が数多くあることだろう」

秀吉公は、中国の材木を探して大阪に差し上すようにと、
寺沢志摩守を通じて輝元卿・広家様へと命じた。
輝元様と広家様はすぐに領内の深山に山師を数千人分け入らせ、
大木をいくらともなく探し出して献上した。
その中に、芸州の三田というところに木の切り口が一丈一尺もある大木があったが、
これも大船数艘に乗せて漕ぎ上らせた。
秀吉公は「こんな大木がこの世にあるのか」と、大いに感心した。
このような大木を、もう一本琉球から取り寄せたということだ。
やがて大仏造営に取り掛かった。大仏供養以下のことは追って調べて記す。


以上、テキトー訳。

あれ、大仏造営に絡んでくるのって刀狩令だと思ってたわー。
百姓や町人の持ってる武器を鋳潰して大仏造るって名目での刀狩。
まあ普通、社会の授業でそう習うよね。
中国勢には木を刈ってこいってお達しもあったんだね。
九州とかでは太閤検地をきっかけに大一揆とか起こるし、ホント秀吉ってば迷惑☆

学校で習った知識しかないころは、検地ってのは測量のしなおしや単位の統一のためにやってたと思ってたけど、
あれって増税が目的だったみたいだね。隠し田の摘発とか。
領主によってはわざと小さい枡で年貢を計量して実負担を軽くしてやることもあったようだけど、
単位が統一されてしまうとそういうこともできなくなるわけだ。
だから検地をすると一揆が起こる。

一揆が起こると鎮圧しなきゃいけないから、一揆を起こせないようにするために刀狩令が必要になる。
百姓から武器を取り上げてしまうと、戦の際に百姓を徴発しても「武器は自前で」なんてことはできない。
それまでは徴発した百姓が自前の具足・武具で戦に参加してたっぽいけど。
それで身分制度というか軍人とその他が必然的に分けられていったのかしらどうなのかしら。
自分の理解の足りなさに日々ため息ですわ。

まいっか。次からの小田原征伐に関しては、毛利勢はほぼ留守居役なので見せ場は少ないと思う。
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