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2012-01-17

韮山・下田の成り行き

さて昨日の続き。

あらすじ的なもの:
小田原征伐に動き出した中央勢に対し、北条の継嗣氏直の反対がありながらも北条側は籠城を決断。
地の利に勝る峻険な山中城も秀吉の多勢の前に落去し、中央勢の矛先は次の端城へと向けられた。


韮山の城を抱え詰めること並びに下田の城明け渡すこと

韮山の城には北条美濃守が立て籠もっていたが、土佐の長曽我部をはじめとして、
四国の勢が二万余騎で取り囲んだ。
美濃守は少しも意に介さず、
「どんなにでもお攻めになればよい。我らは矢の一つも射出したりすまい。
それもこれも、私が諸陣を切り払って大勝利を得たとしても、
小田原が落城して氏政父子が切腹してしまえば、私も共に自害するつもりだからだ。
秀吉公も、いかにこの城を攻め落としたところで、本戦で負けてしまえば意味のないことだろう。

小田原が落城するか、もしくは和睦となるか、この二つのうちどちらかだ。
この美濃守は、氏政と同じ運命をたどる覚悟である。
いくら攻められたとしても、要らぬ骨折りの防戦はするまい。
たとえ気の済むまで攻めたとして、意味があるかどうか。
よくよくご思案あれ」
こう言いのけて少しも取り合わない。
四国勢もその後はあまり強硬には攻めず、ただ何をするでもなく守っているだけだった。

また、下田の城は輝元卿が攻めるようにと秀吉公が命じたので、
吉見三河守広頼・益田越中守元祥・山内大隅守広通・三沢摂津守為虎・熊谷豊前守元直・
宍道五郎兵衛尉正義・阿曽沼豊後守・小笠原弾正忠など、約一万騎が取り囲んで攻め戦った。
あるとき、熊谷の郎党の波多野次郎右衛門という者が仕寄番についていたところ、
城中の者と何くれとなく言葉を交わし、四方山話が始まった。
波多野が「ちょっとこっちに来てみろ、言いたいことがある」と言うと、
城中の兵は「いったい何だ」と、すぐに近くまでやってくる。

波多野は、「籠城していても、とてもかなうものではないぞ。
早く城を明け渡して、一命が助かるようにするといい。
小田原も近いうちに落城するだろう。それから降伏したいと言い出してももう遅い。
まだ決着がついていないうちに和睦を請うんだ。
そうすれば私の主人である熊谷にそのことを伝えるから、
そこから秀吉の耳に入れ、皆の一命に別条がないように取り成してほしいと、私が働きかけよう。
城中の人々にこの件を伝えてくれ」と言った。

相手は「心得申した。城主へこの通り申し聞かせよう」と答えて帰っていったが、
波多野を頼んで降伏した後は、どこへともなく落ち延びていった。


以上、テキトー訳。

うーん、そういえば私、静岡出身だったわ。
戦国時代にはほとんど何もなかったような山奥だけど。
あ、源平関連なら頼朝さんが狩とかやってたかもしれない。そんな土地。
韮山、下田なんかは行ったことある気がする。
当然そのころは戦国に興味がなかったので、地元の古戦場跡とかよう知らんなぁ。
今度調べて、帰省したときにでも足を運んでみようか。

ああ、熊谷・益田・吉見なんて文字に心躍るわ^^
いや今回は戦らしい戦してないけどね。調略でもいいよね。
しかも愛しの熊谷さんとこの手勢だぜヒャホーイ!

なんかね、前線の兵同士、しみじみ話したりするんだねぇ。ちょっとしんみりする。
どんな話してたんだろう。
どこから来たんだ、ここからどれだけ遠いんだ、どんな土地だ、そっちの女はきれいか、
女房はいるのか、子供はどうしてる、今までどんなやつと戦った……まあそんなところだろうな。
こういう場面をしっとり描いた映画とか小説があれば見てみたい。
うん、いまさらだけど、敵兵同士のほんわかする触れ合いが私のツボなんだな、きっと。
丸山城の狼狩しかり。

次はいよいよ小田原、隆景や広家もほんのり登場する気配だよ。
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