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2012-01-27

桜の隆元、梅花の元春、隆景は次回

♪はるか昔 無名な三人のおじさんが 長い長い話をしていた……
厳島に集まった三人のおじさんが、毛利家について論評しているようです。
昨日の続きで、まだ爺さんが話してる最中。
元就の話は終わったようなので、ここから三矢の話題に移行。


厳島宝前物語のこと(2)

「嫡子の大膳大夫隆元は、とても懐が深く情け深い人で、とりわけ孝心ではずば抜けている。
父の元就が重病に侵されて命も危ういというようなとき、
自分の命を替わりにしてほしいと願書をしたためて、この島(厳島)の社壇に納めなさった。
舜(中国神話の君主)は孝をもって天下を治めたというから、
この隆元も武勇だけでなく仁徳にも優れ、毛利の家を相続するのにもっともふさわしい器量だといえる。

隆元は常にこう言っていたそうだ。
『弓矢とを取って我が父元就に劣らず名を上げられるならば、
先立って父を悲しませるよりは、長生きしたほうが孝行になるだろう。
しかし私はどうやっても父の半分の徳すら身につけられないと思う。
堯(中国神話の君主、舜と並び称される)の子(丹朱)は自分が堯の爪先にすら遠く及ばないと知っていた。
父よりひどく劣った子は父の名をも貶め、遠い先祖にも顔向けできなくなるのだから、
早く死んでしまったほうがいい。私がただ願うのは、父元就に先立って死ぬことばかりだ』

こうして自分の身を省みることのできる賢将であったが、
どういうわけか、四十あまりで世を去ってしまった。
勇も仁も命の短さも、鎌倉の基氏に似ているのではないかな。
また昔の平重盛は、父の悪逆を諌めきれずに、熊野権現に祈りながら絶命してしまった。
隆元は、智勇仁徳が父に及ばない自身を省みて死ぬことを切望した。
父の善悪は違っても、子の賢才は同じだ。
今現在の輝元卿も、父隆元に劣らない良将だと思うぞ。

さて吉川元春は、先ほど元就と似ていると言った義家などの良将にも劣らぬ将と見える。
当世でたとえるならば、甲斐の武田入道信玄は武勇に優れており、
また危うい戦を慎む良将だが、元春の戦の手際と遜色がない。
東西に引き分かれてはいても、智勇はまったく同じだと言える。
また嫡子の元長は、父にも祖父にも劣らぬ勇将だ。
当代の武将と比べると、越後の上杉入道謙信と似ている。

また、元就を楠正成にたとえたなら、元春は嫡男の帯刀正行にたとえられるだろう。
どうしてかというと、正行は智勇を兼ね備えているといっても、勇がはるかに勝っている。
元春もまた同じだ。
隆景は正成三男の又次郎左衛門正儀にたとえられる。
正儀は策謀を優先して戦を後にする良将だ。これは隆景の戦のやり方と同じである。

そして隆元・元春・隆景を花木にたとえるなら、
隆元は父元就にも劣らぬ良将であり、毛利家を相続するにふさわしい器量の持ち主だ。
隆元は桜だ。桜の花は、その色香がほかのどの木より勝っているからこそ、
我が日本でその名を呼ばずに『花』といえば、必ず桜を指すようになっているのだろう。
これを考えると、さまざまな花が美しさを競い合っても、まったく桜には及ばない。

次男の元春は梅の花だ。
なぜなら、智・仁・勇の三徳を兼ね備えた良将であり、向かってくる敵を必ず打ち倒し、
囲んだ城はすべて落としたと聞くと、きっと恐ろしげな猛々しい将だと思うだろう。
厳罰を好み、士卒は近寄ることもできず、万民は恐怖して村を逃げ出し、
木曽義仲や仁木義長のような振る舞いをしているのだろうと思っていたが、
その行状をよくよく聞けば、まったくの思い違いだったとわかる。

元春は賞罰も正しく行い、とりわけ仁徳が深いため、慈悲の心を優先する。
特に私欲などはまったくと言っていいほどなく、心持が清浄で潔白な賢将なのだ。
対象に一点の私心もないからこそ、士卒もかりそめにも奸邪なく、
一日中、忠志に励もうとする心がけを怠らない。
だから自分から法を犯すこともなく、法を犯さなければ刑罰に処される者もなく、
元春が刑罰を与えるのは極めて稀だと世を挙げて言われている。
愛が刑に勝っているのだな。

愛が刑に勝ると、きっと士卒が上を侮るだろうと思ってしまうが、
法令が厳重に定められているから、士卒は法を守り、上を侮ることもない。
実に威厳があっても猛々しくはなく、法で民衆をよく治め、武力で敵をよく防ぐ名将と言える。
さっきも言ったように、この人は他所では大猛将と言われているから身の毛もよだつほど恐ろしいように思うが、
近くで行状を聞けば、仁徳を深く施し、民を撫育する志も厚く、威厳も愛和も優れた人だとわかる。
梅の花も、寒い時期に氷雪をしのいで蕾をほころばすことから、その花の色も無骨で恐ろしげかと思えば、
木の立ち姿や枝の佇まいがそこらの木とは違うばかりか、色も美しく優美だ。

昔の人の梅の詩に、『真に何遜(かそん)が知己となるは須らく、始めて張良が婦人に似ることを信ず』
という一節がある。
梅の花は色の美しさだけでもほかの木に勝っているというのに、
実った果実の風味の良さもほかの草木より優れている。
だから黄山谷(庭堅、中国北宋時代の詩人)も『江梅に佳実有り』と作詩してているのだ。

元春は智・仁・勇が当世で抜きん出ているだけでなく、
仁徳が古来に稀で、華も実もある名将だから、梅によく似ている。
また元春は武勇に優れているから、どんな大敵や手ごわい敵に相対しても少しも臆さないばかりか、
かえって寡兵を用いてそれを打ち破ってしまう。
厳島での陶との決戦、馬野山での秀吉との対陣など、数えあげればきりがない。
梅の花も深い雪の中で寒さをいとわずに、むしろその顔をほころばすではないか。

元春はまた武勇だけではない。
智略にも長けているから、陣幕の中で策謀をめぐらし、戦場から千里離れていても勝利を決められる。
わずかばかりの胸の内に智計を秘めていたがゆえに、その名は日本全国に響き渡った。
まるで一枝の梅花の清い香りが千里の果てまでも届くのに似ている。
昔の人も『一点梅花の蘂、三千世界香(一点の梅の花の香りは世界中に香る)』と言っている。
元春の武の徳はその香りに等しい。

大納言(足利)義昭卿は、信長を成敗しようと、武田信玄をはじめとして名だたる諸将を頼ろうとなさったが、
政道をまったく疎かにされたため、下知に応じる将はいなかった。
しかし元春は違った。
『君が君子らしくないからといって、臣下がその勤めを投げで出すべきではない』と、
義昭卿を再び京都に帰して差し上げようと忠戦を貫いたのだ。
梅花は天の恩光を受けていることを感謝して、ほかの木に先立って清香を発するが、それと同じだ。
雨露は草木の父母である。だから梅花は雨露の恩に報いるために、千草万木に先んじて花を開く。
元春も同じように、その孝順が世に超越している。
また元春は心がまっすぐで、自分の気持ちを曲げて人に媚びへつらったりしない。
これも梅の立枝になぞらえることができる」


以上、テキトー訳。まだまだ続くよ!

元春ageが激しすぎて隆景は次回に見送りと成りました。どんだけ元春押しなの。
ていうか隆元の鬱イメージつらいな! 久々だけどやっぱキツイな!
厳島の願文の話とかが出てくるってことは、毛利・吉川家中では、
けっこう多くの人間があの願文や遺文のこと知ってたってことだよね。
もちろん元春も、兄さんの「早く死にたい」なんて鬱手紙を読んでる可能性が濃厚なわけだ。
マジ勘弁してやれよ、恵心。
兄さんに小太刀をもらった喜びに花咲かせたピュアピュアな元春になんという仕打ち。

それはそうと、「隆元は桜、元春は梅花、隆景は柳」というたとえは陰徳記に出てたんだね。
名将言行録あたりの創作だろうと思ってたけど、どれが初出なんだろう。陰徳記なのかな?
「真に何遜の~」の引用も私が見たところで2度目だ。
一度目は元就マンセーの最初のほうの章に出てきてる。正矩、この詩が好きなの?
真に強い人は実はその姿も優美で、でも近づいて見ないとわからないんだぜ、って理解でいいのかしら。

どうでもいいけど寒苦のなか花ほころばす梅花に似たる元春って……ちょっとムラムラするよねwww
紅く咲くのは~梅の花~ 白く咲くのも梅の花~ どうすりゃいいのさこの私 夢は夜(ry
妙なる色香、その清香は千里を走るどころか数百年のときを超えて私を惑わしているよ。
あの丸ポチャの肖像画を思い浮かべて落ち着きたいけど、荒らぶるわぁ。
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