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2012-01-29

引き続き毛利家マンセーですが、何か

あらすじ? そんなものはない。
居酒屋で政権批判に花を咲かせるおっちゃんたちよろしく、
厳島宝前でも長々と毛利家の論評が続けられている模様。ただしこちらはマンセー。
三人のおっさんたちのうち、白髪の老人が一通り話し終わって、
今現在は武者修行で全国を渡り歩いたという坂東なまりのおっさんのターン。


厳島宝前物語のこと(4)

さて元就は、天下に旗を揚げず、数ヶ国を切り従えて、
日本を五つに分けたうちの一つを保つ発想といい、民を撫育する仁政といい、
周の文王が天下を三つに分けたうちの二つを治めた故事に似ている。
大内・陶を滅ぼして防州山口に進出したとき、功の浅深を調べて恩賞を与え、帰服する者には本領を与え、
また降伏する者がいればそれを許し、法を犯す者には罪の軽重を取り調べて刑罰を行った。

恩賞を与えられた者はさらにこれから功に励もうとするし、
服従した者や降伏した者は情けをかけられたと感じて命を投げ捨てて恩に報いようとする。
刑罰に不正がなければ、罰せられた者も恨みを抱かない。
特に大内家の苛政を改めたので、国中の四民遊民は、元就が至義をもって不義を罰したことを喜んだ。

元就は、杉・仁保・吉田・杉森などをはじめとして、降伏した者を一人も殺さなかった。
これは『神武不殺(武の真髄は殺すことではない、周の文王をたたえた言葉、易経)』である。
義長・隆房を討って苛政を改めたのは、『人を殺して人を安んじる(司馬法)』行いだ。
殷の湯王が夏の王傑を討ち、周の武王が殷の紂王を滅ぼしたのと同じことだ。
また、元就は尼子の領国の石見・備後に進軍し、
そこから出雲に向かって、ついには尼子義久兄弟を捕虜にした。
はじめに石見・備後に入ると、先に慈愛を施し、威嚇を後回しにしたので、
国中の兵・土民に至るまで、皆その仁徳に恭順して、尼子を見放して毛利についたのだ。
これは『その国を責めてその民を愛する(司馬法)』に当たる。

先に言ったように、防州山口に入ったときも、刑罰で民を威圧することなく、
ただ仁徳をもって民を愛しただけでなく、築山をはじめとして大内家の城郭すら破壊しなかった。
また国清寺・香積寺など大内代々の菩提所、清水・八幡・祇園などの神社が破壊されていればそれを修繕し、
寺社領を侵すこともなく、陶のときに減らされたものは改めて旧例どおり返している。
雲州冨田に入ったなら、出雲はほかの国に比べてとりわけ神国として抜きん出ているので、
杵築・神魂をはじめとして数ヶ所の霊社に対し、近年の兵乱で壊されたり荒れていたりしているところを修繕し、
社領も旧記をもとにして返しつけたのだ。

また、尼子義久兄弟は、父の晴久の代からの怨敵だ。
一旦は命を助かるために降服したが、いつかきっとまた遺恨を晴らすために時節を待って兵を起こすだろう。
平家が頼朝を助けて災禍を招いたのと同じに見える。
老臣たちがすぐに首を刎ねるようにと諫言したが、一旦は命を助けると金石より堅く約束している。
元就は、約束をたがえるのは信将が恥ずべき行いだと、ついにその諫言に従わなかった。
これはあたかも漢の高祖(劉邦)が凾谷の関に入って秦の宮室を焼くこともなく、
その宝物を貪ることもなく、また降服した子嬰を殺すこともなく、秦の邪政を改めその民を愛したのと一緒だ。

また、己の武威をかさにきて法令を敷かずにすべて自分のしたいように振る舞い、
あるいは神魂の社壇を破却して乱暴狼藉の限りを尽くした本庄の一族、
重罪を重ねた井上の一族を誅殺している。
この誅とは、『武を明らかにするゆえん(尉繚子)』である。
一人を殺して三軍が恐れるならこれを殺し、一人を殺して万人が喜ぶならこれを殺す、というところに相当する。

さて、嫡子の大膳太夫隆元は勇も智も全備している。
その徳はあなた(老人)がすべて列挙してくれたから再び称美するには及ばないだろう。
孝順が人より優れている点は、雪の中で季節はずれの筍を求めた孟宗、
氷の張った水に飛び込んで継母のための魚を捕ろうとした王祥とも並び立つはずだ。
しかし不幸にも短命で死んでしまったことは、
顔回(孔子の後継者として見なされていたが早世した)と一緒だとも言えよう。

次男の元春は、攻めれば取り戦えば勝ったという韓信(漢の三傑の一人)の智勇にも並ぶ。
とりわけ伯耆の馬乃山で秀吉公と対陣したとき、敵は大軍なのに味方は五分の一にも満たないのを見て、
うしろの橋津川の橋を崩し、舟の櫓櫂を打ち折って、ともに戦士すべしと士卒に示したからこそ、
秀吉公を敗退させたのは、韓信の背水の陣に似ている。

また備中の国の高松表において、秀吉と輝元が和睦した後は、
『私が毛利家の危機を助けるのはこれまでだ。今は秀吉が天下の権勢を握っている。
その行いは非常に軽率で、政道もまた正しくない。こんな濁った世の中に出て世俗の埃にまみれ、
自分の名を汚すなどどうしてできようか。
昔の人も、自分が潔白であるのにどうして汚れたものを身につけられるだろうか(漁父辞)
と言ったではないか。功を成し遂げて名を十分に上げた者が身を引くのは天の道だ』と言って、
嫡子の治部少輔元長に家を譲り渡し、山中に居を構えた。
武略に長けたところと引き際のよさを思うと、越の范レイの徳に匹敵するだろう。

だいたいにしてこの人は、きわめて信を大切にして、
特に無欲さで言えば古今に肩を並べる者がない将だと聞いている。
それというのも、安芸より北の軍事に関しては、父の元就から任せられている。
だから大内・大友・尼子退治のときも、元春は寝食を忘れて尽力した。
また元就が北表の軍事をこの人に任せたのは、大内・陶・大友・尼子・山名など強大な大敵がいて、
毛利家の軍事の要となるのは北面にあると見ていたからだ。
元春は幸いにして文武全備とはいいながら、なかでも武勇については、暗に孫呉にも匹敵する。
戦国は孔子も孟子も役に立たない世の中なので、隆景ではなく元春に任せたのだ。
元春の智勇謀計をもってついに大内・尼子を滅ぼし、豊前一国を切り従えた。

敵城を攻め落として敵国を切り従えたときは、元就が戦のたびに西北の所領を分け与えようしたが
これを固く辞して、自分の手に属した国人のなかで忠孝を貫いた者を推挙してこの賞を与えた。
胸裏に一点の私欲もなく、清白な様は、許由が汚らわしいことを聞いたと川の流れで耳を洗い、
伯夷・叔斉が孤竹君(父)の禅譲を辞したのと同じだ。
これによって、国人たちはその恩に報いようと、進んで死ぬことを喜び、退いて生き延びるのを恥とした。

城郭を攻めるときは矢や石が雨のように降ろうとも、士卒は身命を惜しまず先を争ったので、
攻めて落とせなかったことがないのだ。
また山野で敵の将と陣を対峙させ、備えを設けて白刃を交える合戦のときは、
士卒が争って先に進んで忠孝に励み、死をいとわず働くので、戦えば必ず勝つ。
元春は愛しい子のように士を思って接するから、士卒もまた元春を父のように慕っていた。
だからこそはじめに大内を滅ぼし、次は尼子を捕虜にし、
最終的には秀吉との戦においても、ついに利を失うことはなく、どの戦も寡兵をもって衆を挫いたのだ。
智勇を兼ね備えただけでなく、私欲を捨てて士卒を愛し、仁徳を施したからこそできたことだ。

今後、武勇の一途さは元春に似た将が出てきたとしても、
これほど私欲もなく士を愛し民を撫育する仁徳まで兼ね備えた将はいないだろう。
また、士を愛し民を憐れむ仁将が出てきたとしても、
元春のように武勇に優れ謀略に通じた将はいないだろう」


以上、テキトー訳。まだ続くよ!

今恐ろしいことに気づいた。
ここまで読んだけどこの章、まだ半分いってない。どういうことなのwww
隆元についてはサラリと孝行息子的な面に触れられ、話題は元春に移ったけど、
この後もまだまだ元春について語られてるよ! どんだけ吉川押しなの!
そんでもって中国故事の引用が地味につらいよ!
全力で「そんなヤツ知らねぇよォーーー!」って叫びたい。

うん、でも元春イイね。士卒を愛し、士卒も元春を愛して身命をなげうつ。
さすがアニキっていうかみんなのアイドルっていうか。
毛利・吉川の魅力の一つは、家臣たちの殿様LOVE!!!な姿勢なんだよな。
あの凡夫とこき下ろされるのが定番の輝元でさえ、けっこう愛されてる。
まあ輝元を愛し補佐する筆頭が広家なんだけどね。あと益田元祥さんとか。佐世元嘉さんとか。
もちろん秀元と美貌の叔父様も……きっとそこに愛はあるよね???

ひねくれてないストレートな主従愛っていいよねぇ。
いや三河方面の人たちや黒田さんちに言ってるわけじゃないですよホント。

吉川家譜読んでたら、広家の最期のときの近臣たちの書状や覚書なんかが引かれてて、
これがまた主従愛に満ち溢れててすごく幸せな気分になった。
公儀のご法度だからと殉死を許さない広家は、今田宗与に引き止めるように命じるんだけど、
今田もまた殉死したかった一人で、この役目を申し付ければ思いとどまってくれるだろうと、
そこまで考えた上での人選だったとか。
「今後息子たちの役に立ちそうにないから」と一人だけ殉死を許された森脇作右衛門に対して、
「一人だけお供できるなんてすっごい羨ましいんですけど!」って手紙書くやつがいたりとか。
どうもね、一緒に死ぬってのは、来世も一緒にいようね、って意味らしいよ。破廉恥!!!
あと、せっかく本家の秀就がわざわざ見舞いに訪ねて来てくれてるのに、
そのお迎えの役を仰せつかったやつが「こんな役目のせいで殉死したかったのに出遅れた!」とか書いたりね。
それが鳥取城で腹を切った経家の子なんだぜ。あの「かめじゅ」なんだぜ。胸熱……!
もう吉川家、末永く爆発しろ。

そんなわけで次回も引き続き元春についてです。
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