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2012-02-06

朝鮮征伐にいざ出陣!

ええ、ついに突入してしまったんです、朝鮮出兵。
章としては昨日までの章の続き。もうなるようになれって感じ。
抜け出せなくてもいいもんね。ほかの資料への浮気は相変わらずするもん。
とにかく広家と長政の息を合わせた(?)活躍が読みたいんじゃ。

今回は参戦武将の紹介と緒戦の様子だよ。


高麗陣のこと、付けたり小西釜山海城を切り取ること

文禄元年、関白秀吉公は朝鮮を征伐するために、去年から加藤主計頭(清正)を奉行に任じ、
肥前国の名護屋に城を築かせていた。
同三月にはその城に下向し、京都には関白秀次公を残し置いた。
こうなると、松平亜相家康卿・前田黄門利家をはじめとして、諸将は皆名護屋へと下向した。

さて、宇喜多中納言秀家卿を太閤の名代として、高麗出兵に関する諸将への命を司らせた。
先陣は小西摂津守(行長)・加藤主計頭である。
そのほか、中国では毛利中納言輝元卿・吉川侍従広家朝臣、
四国では長曽我部侍従(元親)・加藤左馬助(嘉明)・藤堂佐渡守(高虎)・
蜂須賀阿波守(家政)・生駒雅楽頭(近則)、
九州からは小早川宰相隆景卿・島津侍従(義弘)・その子又八郎(家久)・同中務(豊久)・同右馬頭(忠長)・
鍋島加賀守(直茂)・大友左兵衛督義統・立花左近(統虎、後の宗茂)・その弟高橋主膳(統増)・
秋月三郎(種長)・高橋右近・久留米侍従(小早川)秀包・黒田甲斐守(長政)・毛利壱岐(吉成)・
筑紫上野介(広門)・宗対馬守(義智)・松浦刑部法印(鎮信)・有馬修理亮・伊藤民部、
因幡からは宮部兵部少輔、但馬からは垣屋駿河守、伯耆からは南条左衛門進元清、
丹後からは長岡越中守(忠興)、
そのほか、浅野左京大夫(幸長)・福島左衛門大夫・加藤遠江守(光泰)・
前野但馬守(長泰)・山口玄蕃允の出兵が決まった。

横目付は七人いて、早川主馬・垣見和泉守・福原右馬助・熊谷半次・
大田小源五・森伊勢守・新庄新三郎であった。そのほかの有象無象は記載しない。

以上二十万騎は、四月十二日に名護屋を出立し、まず壱岐の島へ渡って、
そこから四十八里を経て対馬へ渡った。
ここから高麗の釜山海へと、また四十八里あったそうだ。

高麗では、昔から日本の海賊船が来て釜山海の近辺の民家を焼き払い、乱暴狼藉に及んでいたので、
今回もいつものことだろうと思った高麗国は、都からは「賊が来たならば宝を与えて和睦を請おう」と、
金銀綾羅を東門・南門に出して飾ってあった。

同二十八日に、小西攝津守行長の寄騎、有馬修理・大村・五嶋・平戸・宗対馬守など
二万五千余騎が一番に釜山海に着き、その城へと攻めかかった。
城中からも散々に弓を射掛けてきた。
小西は追手から切り入ることができなくて、搦め手から兵を回し入れて攻め入ろうとした。
そこで城の構えを見ると、堀の一重もなかったので、やすやすと乗り込めたのだった。

城中からは通訳を挟んでこう伝えてきた。
「唐の軍法上、城を攻めるのに搦め手から攻めたりはしない。日本人は卑怯だ」
こう言われて、小西は「呉子・孫子をはじめとして多くの兵書にも、
搦め手から攻め入る手法がないなどとは聞いたことがない。
唐の法はどうあれ、私は日本の法にのっとるぞ」と大笑いし、
相手の言い分も耳に入れずに、ことごとく撫で斬りにしてしまった。
釜山海の城は程なく落ちたという。
この件について、太閤秀吉公は小西に感状を与えた。

「今回の高麗国への発向で、先手を申し付けたところ、
 釜山海の城を即時に攻め落として平定したとのこと、大変感心した。
 よって太刀一腰(定利)、馬一頭を与えよう。
 領地のことは、宛行う国や場所を追って申し付ける。
 なお、増田右衛門尉(長盛)・石田治部少輔(三成)から申し伝える。

   文禄三年五月三日     秀吉(朱印)
   小西摂津守殿へ」

それから小西はトクネンギの忠州の城へと攻め寄せ、息も継がずに攻め入って、
切捨てにした人は何百とも何千とも数知れなかった。

 ※秀吉公の朱印状は年代が前後と相違するが、釜山海のことを記した筆のついでに記しておく


以上、テキトー訳。

うへえ、20万か……外国だから兵站のほうが大変そうだな。あと輸送船。
てか、ちょっと前の章で、兵士たちの輸送船を作るのに、古木を伐らせて材木にしてたんだっけ。
もう遠い昔に読んだような気がしてきたよ……三人のおじさんがいけないw

九州の陣では、地元にも協力勢力があったから兵站に困らないで済んだけど、
それでも当地の物価は高騰したらしいし(それで秀長が高値で米を売り捌こうとしたとかw)
朝鮮は外地だし、ちょっと聞きかじっただけでも、補給が追いつかなくて困ったらしいね。

堀もなく簡単に落とせてしまう城の造りって、寄せ手側から見ても大きな問題点だったんじゃないかな。
迅速に落とせてしまうからこそ急激に戦線が拡大せざるを得ず、
結果として補給が追いつかなくなるわけだ。
現地調達をあてにしたら、敵兵だけでなく農民漁民まですべからく敵にしちゃうしな。
お勉強不足なんで適当なこと書いてますけども。

というわけで、これから高麗侵攻を読んでいく。
たまに息抜きで諸家文書とか違う資料の話を差し挟むかもしれない。
次回からしばらくは加藤清正と小西行長の活躍が主眼になりそうな気配。

とりあえず一言。コニタンこわいお《(;´Д`)》ブルブル
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