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2012-02-24

石が芸陽にもたらされた由来と秀吉が石を返した理由

前回のあらすじ:
秀吉が夢のお告げで、芸陽の福王寺から取り寄せていた名石を元のところに返した。
そもそもこの石というのは、その昔芸陽にいた家親という怪力の人に由来する。
家親は飛びぬけた怪力で幼少のころより名高く、
成長すると安芸武田氏に随身して上洛した、その後の話。

ようやく石のことが出てくるようだよ。


芸陽福王寺の名石のこと(下)

その後家親は、どうにか末代まで自分の力量のほどを残し置きたいと思っていたが、
内裏に火事があったとき、諸国の武士たちは我も我もと駆けつけて消火に当たった。
家親はそのとき嵯峨へ行っていたので、駆けつけたのは人よりも遅かった。
「このときこそ我が力量のほどを知らしめてやろう」と馬に鞭をくれて帰ってきたものの、
二里ほどもあったので他の人がすでに集まっていた。
はるかに出遅れてしまったので、特に力量を発揮できるようなこともなかった。

そこかしこと見回っていると、ある御坪の中に長さ五尺ほどの大石があった。
見るほどに、言葉にも尽くしがたい妙な雰囲気のある石だった。
「これはきっと名高い石だろう。これを取って帰って、郷里の福王寺に寄進して、
これこそ家親が内裏から盗んできた石だと、末の世の人にも知られるようになるぞ」と企んだ。
そばにいた人に「これはどんな石なのか」と尋ねると、
「これこそ伊勢物語に登場する藤原の常行が、山科の禅師の皇子に奉納した石である」と返答があった。

家親は、「この石は二、三十人でも簡単に動かせないだろう。さて力試しに取って帰ろう」と思い、
小脇に掻き挟んで、塀をヒラリと飛び越えて門の外に出たけれども、
忙しく人が往来しているときだったので、誰に見咎められることもなく帰っていった。

その後家親が、その石を船に積んで芸州へと下っていくと、
能島・久留島らの海賊たちが、盗んだ名のある石を乗せて国許へ下っていく船があると聞きつけ、
船を四、五十艘揃えて備前の児島の沖で攻めかかってきた。
家親はかねてから海賊対策として、五間ほどある柱のような杭の先に
先のとがった鉄をはめ込んで用意していた。
海賊船がぴったりと船を寄せて鉤縄をかけてくるまでは矢の一つも射掛けずにいたが、
賊船がぴたりと寄ると立ち上がり、その杭柱のようなものを持ち上げて、賊船の水際を突く。
すると、その一突きで五艘がたちまち突き破られて沈んでしまった。
他の船はこれを見て、皆我先にと逃げていった。
その後家親はは無事に国に下り、やがて福王寺へとその名石を寄進した。

そして幾星霜をを経て、天正の末ごろ、里村紹巴の記録係の正允という連歌師と
香川又左衛門尉春継が二人連れで福王寺へ詣でたとき、
正允が「あの石のことは聞いたことがあるぞ」と、歌に詠もうとしだした。
するとその寺の住持の学雄法師が
「この二人は紹巴から直接学んで、歌道に熟達していると聞いている。
よくぞこの寺に詣でてくださった」と、発句を欲しがった。
正允は「苔の上の落ち葉は風の蒔絵かな」としたしめた。

学雄が脇の句をつけ、春継が第三をして、そのまま百韻興行し、
その連歌を添削してもらおうと紹巴へ送った。
紹巴は「安芸の国福王寺にはなかなかの名石があると昔聞いたが、この発句で思い出した」と言いだして、
その後太閤秀吉公の御前で四方山話をしていたときに、そのことを話したのだった。
「その石が安芸の国にあるということは、遠い昔に耳にはしていたのですが、
それからすっかり忘れていたのです。宗養・私の二代の記録係を務める正允という者がいまして、
中国で連歌を推進させるために、
その者を雲州冨田の吉川侍従広家に召抱えていただけるようにお頼みしていました。
広家は歌の道に造詣が深くまた堪能なので、すぐに家来にしてくださいました。

近ごろその正允が福王寺へ詣でて、その名石について発句をひねって提出してきましたので、
その石のことを思い出したのですよ」と紹巴が言うと、秀吉公は、
「それでその石というのは、どういうものなのだ」と尋ねる。
紹巴法師は語りだした。

「それが、伊勢物語に描かれていることですが、昔、多賀幾子という女御がいらっしゃいました。
お亡くなりになって初七日の法要を安祥寺で執り行いました。
右大将、藤原の常行という人がいたのですが、その法要に参列した帰り道に、
山科の禅師の皇子に会いに行かれました。
その山科の宮というのが、滝を落として水を走らせるなどして、たいそう趣深い屋敷だったのです。
常行が『このごろは他所にばかり顔を出していましたが、皇子のお近くにはお仕えしておりませんでしたな。
今夜はこちらでお供いたしましょう』と言うと、
皇子はお喜びになって、常行のために寝所をご用意されました。

その大将が御前から下がって考えをめぐらすに、
『皇子にお仕えするはじめに、ただ何もしないではいられない。
父の三条邸に大御幸があったとき、紀の国の千里の浜にあった、それは見事な石を献上したことがあった。
しかし献上したのが大御幸の後になってしまったので不要になってしまい、
ある人の部屋の前の溝に据えておいたっけ。
この皇子は造園を好む人だ、この石を献上させよう』と思いつきまして、
共の舎人を遣わして取りにやったのです。

それほど時間もかからず持ってきました。
この石は、前に聞いていた様子より、目で見たほうがずっとすばらしかった。
これを何のひねりもなく献上してもつまらないとお考えになって、
常行は人々に歌を読ませたのですが、石に生えた青い苔を刻んで蒔絵のようにして、
右馬頭という人の歌をつけて石を贈ったのです。
『あかねども岩にぞかふる色見えぬ 心を見せんよしのなければ
(満足なものではないけれども、岩に私の気持ちを伝えさせます。
私の心をお見せする方法がありませんので)』と詠んでありました。
ここまでが伊勢物語でございます。
千里の浜にあった石というのは、現在は芸陽の福王寺にある石のことです」

秀吉公はそれを聞いて、「その石に興味がわいた。一目見たいと思うが、おまえはどうか」と言うので、
紹巴法師も「そうでございましょうとも。私めも一目見たい気持ちは強いです」と答える。
こんなことがあって、中納言輝元卿にそのことを伝えると、
輝元は「かしこまりました」と、すぐに福王寺からその石を借り受け、
船に乗せて昼夜を問わず急いで船を漕がせて、秀吉公に献上したのだった。

秀吉公は石を見ると、物語に書いてあったように、
実にこの石は、聞くよりはこの目で見たほうがずっと立派に思えたので、とりわけ大事にして庭に置かせた。
朝な夕なに飽きもせず眺めては歌を詠んでいた。
最初は秀吉公も、しばらく自分のところに留め置いてから元のところに返そうと思っていたが、
特に夢のお告げもなかったので、そのうちこの石への寵愛がいや増しに深くなっていった。

「ずっとこのまま手元においておきたい。
たとえ福王寺の宝物であっても、この空の下はすべて王のものなのだ。
わしは今帝位には昇っていないが、六十余州の権勢をこの手の内に握っている。
日本国中の神であれ仏であれ、わしに従わぬことがあろうか。
もういつまでもここに置いておくことにしよう」と考えていた。

秀吉公がこの石をあれこれと歌に詠んでいるとき、ふと睡魔が襲ってきた。
「眠の来れば打眠す」という古句をくちずさんで、枕に寄りかかって昼寝をしていると、
夢ともなくうつつともなく、一尺ほどの不動明王が剣を提げ、秀吉公の枕元に近寄ってきた。
その不動明王が秀吉公の眉間を斬ろうとしたとき、秀吉公は胸騒ぎがして夢から覚めたのだった。
「これは不思議なことだ」と思っていると、衣も透けてしまうほどに大汗をかいていて、
しばらくは人心地もなくただ呆然としていた。

「しかし世の中の怪しい現象というのは夢幻泡影というではないか」と考え直したが、
その夜もまた同じ夢を見たので、「これはただ事ではない」と思うようになった。
また紹巴法師を呼び寄せて、「芸陽の福王寺から取り寄せた石はただの寺の物なのか。
それとも神でも仏でも主のあるものなのか」と尋ねた。
紹巴は、「あの寺には昔から池があります。この池の主は緑毛の亀というそうです。
その寺に吉事があるときは、まずこの亀が水の上に浮かんでくるといいます。
池の水の上の方に大樹がありまして、木の下に長さ一尺ほどの不動明王が据えられているそうです。
この不動の前にこの石がありました。
ですからその石の主は不動明王だと聞き及んでおります」と答える。

秀吉公は、「では不動明王がこの石を深く惜しんで、こんな霊夢をお見せになったのだろう。
なんとも恐ろしいことだ」と、すぐに早船を用意してその石を元のところに返し送り、
また不動明王へは黄金百両を寄進した。
石がすばらしかっただけでなく、仏もまた霊験あらたかだった。
世は末法の時代になったとは言いながら、仏の力はまだ健在だと、人々は皆信心を深くしたのだった。


以上、テキトー訳。この章はここまで。

まず家親、「これはいい石だ」とかいって盗んできちゃいけません。
武士ってのは盗賊なのか? うーん、違うと言えないところが苦しいな。
なんか英雄譚みたいな書かれかただし、ヒーローが盗みしてもオッケーなのかもね、このころの感覚では。

あとまさかの香川又左登場。ちょろっと名前だけだけどね。広家も。
正允と又左は、なんでまた二人きりで寺になんか行ったんだろうか。デートなの?
まあ普通に考えればお役目とかですよね。そうですよね。わかっちゃいるんですけどね。

伊勢物語の藤原常行と禅師の皇子もなんかちょっとアヤシイ。
「最近はご無沙汰でしたね。今夜はお供しちゃおうかな~」で大喜びする皇子って……
つまりはそういうことなの?
いや、藤原頼長さんの例もあるし、平安貴族って男色盛んだったみたいじゃない。

どうしてこういう思考回路なのかというと、日曜日に久々に同人イベント行こうと考えてるので、
脳内がちょっとお花畑になっているという。だって何年ぶり? 数えたくない。
そんなわけでたぶんしばらくこんな調子だと思います。
こういう話見たくないのにうっかり見てしまった人にはご愁傷様としか言いようがありません。
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