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2012-03-04

未曾有の災い

今日はちゃんと陰徳記読むよ。

だいたいの流れ:
朝鮮出兵がひと段落して、関白秀次が謀反の疑いをかけられて切腹させられ、
不穏な空気を感じながらも、治水工事も進めたりして、
なんとか穏やかな日常に戻れると、僕たちは信じてたんだ……←誰


大地震のこと

同(慶長元年)七月三日、暦の上では秋立ではあったがそれは名ばかりで、
残暑が厳しく耐えがたい暑さだった。
天気の様子も夏の日差しと同じだったが、昼ごろになってにわかに空が曇りだし、
天からは、砂のようなものに葦毛馬の毛のようなものが混じって降ってくる。
皆、これはいったい何事か、こんなことがあるものなのか、と不思議に思って、
昔もこんなことがあったのかと、老齢を重ねた者に尋ねた。

すると、八十や九十にもなる翁が、
「わしは七十年、八十年のことなら見てきておる。
百年や百二、三十年のことは聞き及んでおるが、こんなことは見たことも聞いたこともない。
こんなに恐ろしいことは他にないぞ」と心細そうに言った。

浮世を渡り歩く陰陽師や占い師、生臭坊主などは、出番だ稼ぎ時だと喜んで、
「これはただ事ではない。今年の八月には天地がひっくり返って人間は滅び果ててしまうだろう」と言ったり、
また「修羅の眷属や八大地獄の牛頭馬頭たちが、皆我が国へ来て人を食い殺すと占いに出ておる」
などと言いふらしたりした。
あるいは「天から猛火が降ってきて、世界は焼き滅ぼされる」と言う者や
「いやいや、四海の潮が富士山の山頂まで満ちてゆき、我が国日本は再び海となるのだ」と主張する者もいた。
ありとあらゆることを口に任せて言い散らし、
「どこの仏へ花を進上せよ」「何の神に祈りなされ」「百座の護摩を修した者だけが助かるだろう」
「千部の二王経を読経すべし」などと言いあった。

また、日蓮宗の僧たちは、
「日蓮上人が仰っていたのはきっとこのことだ。それ見たことか。
真言宗が国を滅ぼすのはまさにこれからだと皆思い知れ。
禅宗が天魔の所業とはこのことだ。禅宗が隆盛したからこそ天魔がこんな災厄をもたらした。
今念仏を唱えている者は、生きながらにして無間地獄の業を受けることになるだろう。
祈っても甲斐などあるものか。ただ法華の功力を頼らなければ、この怪事を免れることはできんぞ」と、
ここぞとばかりに言い募る。

念仏宗(浄土宗)の僧たちは、
「このような災難が降りかかったのは、ひとえに衆生の業の報いである。
諸神諸仏の力をもってしても救えるものではない。
しかし弥陀の悲願功力ならば、人々を安んじてくださるだろう。
五逆十悪の罪人の地獄の苦しみをさえ救ってくださるのに、
ましてこの程度の災難は、地獄での苦しみに比べたら九牛の一毛にも及ばない。
弥陀仏と一音唱えれば、衆生の業報はたちまち消滅するだろう。
悪業が消滅すれば、天魔とて災いをもたらすことなどできない。
今、天下の人民を救えるのは弥陀の力の他にない。
皆、浄土宗だけに帰依して仏の御名を唱えよ。それで十年寿命を延ばせ」と、重ねて勧誘する。

真言宗・天台宗の名ばかりを汚している僧たちのなかには、
「華厳経こそが天魔をも降伏させる。
天帝修修の戦のときにも、修羅が勝ちに乗って襲ってきたときに、
帝釈天は華厳経を唱えて、修羅の眷属を降伏させたのだ。華厳経を読誦しなさい」と言う者もいた。

教外別伝を少しでも知っている者たち(禅宗)は、
「四海が壊乱しても仏法は朽ちないという。たとえどんな三災があっても、恐れることなどありはしない。
迷いや煩悩があると、心が乱れて正しい認識ができなくなるというから、
生臭坊主たちが何を言ってきても、口車に乗せられないようにしなさい」と言う。

また心は飽きるほどに欲を求めていながら、表面上は聖人のような言葉を重ねる儒者たちは、
「このような怪事は、昔から和漢両国に前例があって、怪事は善政に勝らないという。
これにつけても万民を撫育する善政こそが解決するだろう。
私が現在の三奉行・五奉行といった職役についていれば、周公旦の政治にも劣らず、
再び君主を堯や舜のように守り立て、民の苦しみを救うものを」などと、賢しらに言い立てた。

さて無知蒙昧な老女などは、我が子や孫の無事・安全を願って、
一つしか持っていない鏡を生臭坊主などに献上する。
ものをよくわかっていない老父などは、破れ紙子や古布団、
脇差などもすべて陰陽師に誑かされて取られてしまった。
こんなことも不思議だと思っているうちに、また同閏七月十二日の夜から大地震が頻発し、
伏見の城さえ揺り崩してしまった。
当然、洛中洛外の民家に至っては、あるいは倒壊し、あるいは傾くなどして、
家財の下敷きになって死んだ者は幾千万とも数知れなかった。

大地もたちまち二間や三間ほど、カッと裂けて口を開く。
このときさらに陰陽師などが「かねてから申していたのはこのことだ。天地が逆さまになるぞ」と言うと、
人々は「どうしよう」と混乱して、悲嘆に暮れた。
家の中に籠もっていれば、家はたちまち倒れて身を押しつぶしてくる。
堪えかねて広野に走り出れば、カッと裂けた大地の中へと落ちてしまう。
山に登ろうとすれば、峰から大石が転がり落ちてきて身を微塵に砕こうとする。

どこにも逃げ場はなく、ただ「父よ、母よ」と叫ぶ者や、
子の名前、孫の名前を呼んで泣き崩れる者もいて、目も当てられぬ騒ぎになった。
またこのとき、最後に残しておいた古鏡なども陰陽師や占い師に取られてしまっていたので、
ほとんどの五畿内の老女の茶壷、老父の酒瓢箪などまで、
皆生臭坊主たちに取られてしまったと聞いている。

さすがに物に動じない太閤も、ただ事ではないと思って、各所の霊社に進物を捧げた。
また禁裏でも御修法が行われた。

同八月に改元があって(文禄五年十月二十七日)、慶長元年になった。
そのころ太閤は大地震の処理のために参内すべく上洛したが、
大仏の前を通るとき、馬に乗ったままキッと振り返って、側衆から弓を取り寄せた。
馬廻の侍がすぐに弓を持ってくると、太閤は弓に矢をかけ左弓に引き、大仏に矢を二つ射かけた。
「天下を安んじるためにここに安置していた大仏だが、こんな大地震を未然に防げなかったばかりか、
自身すら揺れで崩れるとはひどい有様だ。
こんな甲斐のない大仏めに、矢風を味わわせて、諸仏への見せしめにしてくれよう」と言ったそうだ。
気でも違っているようだったという。


以上、テキトー訳。

思い出すねぇ、3月11日。もうすぐ一年が経つ。
犠牲になった多くの方のご冥福と、罹災された方々の精神と生活の安定を心から願います。

あの日は、私はオフィスで仕事をしていて、さすがに揺れてるときはデスクの下にもぐったけれど、
電気も水も通じてるし、オフィス街だと建物内より外のほうが危険だからって、
そのまま仕事を続けたんだよね。ラジオなんかを聴きながら。震度は5強だったと思う。
近所のビルのガラスにヒビが入ったり、私のいたビルでは壁にヒビが走った程度だったな。
夜になって、余震がそろそろ収まったようだとなって、家には歩いて帰った。電車は止まってたから。
幸い比較的距離は短かったので、大して苦労せずに帰れたな。
家の中も少し物が落ちたり割れたりしただけで大きな被害はなかった。
ただトイレタンクの水が出っぱなしになってしまっていて、直すのに苦労した。
微妙にハイだったから怖いとも感じなかった。夜遅くには実家に連絡もできた。
その日の夜は、コートを着て靴を履いたまま眠った。

あれくらいの揺れでも、昔の民家なんかはあっという間につぶれるんだろうな。
職人が手間暇かけた五重塔とかは倒れないのかもしれないけど、民家はな。
戦国時代の民家というと、戦があるたびに燃やされるか解体されるかして、
そのあと仲間内で集まって建て直すものだもんね。
そりゃバタバタつぶれるわな。外に走り出せば地割れに呑まれるしな。そりゃ怖いよ。

そういうときの人々の恐怖心に付け込んで商売するやつらはいつの時代にもいるけど、
なんか逆にこの肝の太さには舌を巻くよね。
自分も危ないのに金儲けのことばっかり考えてられるんだぜ。もういっそすげえ。
日蓮宗はまじでブレない日蓮宗だし、浄土も密教系もなかなか濃ゆいね。
このなかで禅宗ってあんまり宗教臭がしないなぁ。
書かれてないキリスト教はどうだったんだろうね。ちょっと気になる。

あと、文禄から慶長への改元は震災後だったんだね。十月のことらしい。
震災の禍を払うための改元なんだね。
で、改元のあった年のことは、後に書く場合には、新しい元号で統一するんだね。
7月や前の章での2月のことも「慶長元年」て書いてあるし。
あんまり重要ではないけど意外な発見だった。

さて次回……次回、は……隆景が、ついに……(;ω;)ウッ
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