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2012-03-05

美貌の叔父様の最期

最近、陰徳記が「参考にもならない三流軍記物」扱いされるとカッと頭に血が上るようになりまった。
正矩が根拠もなく「信用できん」と言われると、むかっ腹立つくらいには愛してるのよ、正矩。
自ブログでさんざんこき下ろしておきながら、他の人に批判(?)されると腹が立つとか、
愉快な精神構造だと嘲笑ってやってください。

さて今回は、隆景様がいよいよ……読みたくねえ。


黄門隆景卿逝去のこと

翌けて慶長二年の春にもなると、都では人々がこう話すようになった。
「一昨年は殿下秀次公が、大殿の諫言も聞かずに甚だしく驕りを極めたのみならず、
かの月支国の阿闍世太子が提婆達多にそそのかされて父である大王を禁獄にした悪道に追随した
(秀吉に対して謀反を企てた)ので、たちまち天罰をお受けになって、
ついに高野山の奥で露と消えてしまわれた。

また去年は天地鳴動して、数多くの人民の命を失い、牛馬鶏犬に至るまで、多くの生き物が死んだ。
こんなひどいことはそうそう言葉にもできない。
悲しくつらいことばかりが多いものだ。
どうか今年こそは、旧悪を改めて新しい喜びを謳歌しよう」と、
人は皆花に戯れて盃を傾け、松を愛でて茶を煎じ、心を慰める。
また、鶯の声に惹かれて野に暮らして歌を詠じ、月の影を惜しんで峰に上ると詩を口ずさむ。

そうして九旬ほど日数が経つと、やがて夏になった。
山ホトトギスの馴染みの声さえも、耳にするごとにかえって新しく感じ、毎度初音を聞いたような気分がする。
若竹の枝の茂りも、まさに栄え行く世を象徴しているようだと感じられて、
心の赴くままに遊び戯れるのだった。

太閤も、「わしは我が国どころか大明まで我が武威に靡いたぞ」と大いに喜び、
洛中洛外の者たちの心を慰撫するために、二度にわたって能などを催した。
千秋万歳の喜びを松にたとえようと、「高砂」を脇能にして、
また去年の震災は鬼神のせいだと数々の注進があったので、これを屈服させるために、
「田村」を修羅能に指定した。

人気の四座の名人を呼び集め、その家の奥義を尽くすようにさせると、見物客の貴賤の男女たちは、
「これはおもしろい、さすがは天下の金春太夫だ」「人殺しや、恐ろしや、助けてくれ」などと興に乗じて、
喚き叫び笑いどよめく有様は、見るも聞くも狂気じみていたそうだ。

太閤は「采女」を舞ったが、名人の松太夫が地謡の役にうつぶせになってシテ方を謡ったので、
太閤は見物人に自分が謡っているように見せかけようと、のど筋を引き張り、頭を振るわせた。
毎度のこととは言いながら、非常におかしげに踏む足拍子はスカスカと外れ、
差しかざす扇は何とも不恰好で、「水の月取る猿沢の~」というところを舞うときになると、
「信長公が猿と呼んだのもうなずける。これは能と言うものではない。猿回しだ」と、見物客たちは興に乗った。

「さてもさても、よく似ている」「あら面白い」と感心していると、
太閤は猿回しに似ていると囁かれているとは知らず、
自分の舞が褒められていると勘違いして、したり顔で舞った。
「武の知略とは雲泥ほどに隔たった、軽々しいお心だなぁ」と、人々は囁きあった。

こうして太閤も遊興にのめりこんでいたので、備後の三原に隠居していた黄門隆景卿にも御内書が出された。
「当年からは、大明・日本の和睦が成って天下泰平の世となったのだから、
わしも泰平の曲を歌って心を慰めている。
隆景も今は筑前を左金吾(秀秋)に譲り与えている。もう治世の心配もしなくていいだろう。
山に遊び水を楽しんで老いを慰めよ」

黄門は「かたじけない上意でございます」と三度頂戴した。
しかし天下の政道に間違いが多いことを嘆き、また
「毛利家の智臣老臣は多くが老いて死んでしまった。元春・元長親子はもういない。
今は私一人になってしまって、六十も越えてしまったのだから、余命もあまり残っていないだろう。

思い返すも、養子の左金吾は胡乱でどうしようもない。
ただ吉川蔵人頭広家朝臣こそ、勇も智も全備していて、毛利家の後見は言うに及ばず、
天下の管領職に就いたとしても十分やっていけるはずだ。
しかしこの人はまだ四十にもならないが、若年のころから折につけ患って、
たとえば頻繁に頭痛を起こしているし、また痔疾も抱えている。
もしこの人が病に侵されて世を去ってしまったら、中国はいったいどうなるのだろうか。
輝元卿は政道では優秀だと言っても、羽翼の一族がいなければ、もしまた世が乱れたとき、
鉾先を突きつけられて滅びてしまうかもしれない」と、安心してもいられなかった。
月花を見ても、心配事を投げ捨てて心を慰め、戯れることもなかった。

黄門は、去年筑前を左金吾殿へ譲って、備後の三原の城に隠居していたわけだが、
まだまだ世の人は隆景卿に用をもちかけ、仕事は逆に増えていた。
これは六月の初めのころのことだが、
芸州の隠戸を知行していた迫門因幡守が近日中に京都へと上ると言いに来た。
因幡守が挨拶の取次を頼むと、隆景卿は他の用もあるからと因幡守を御前へと呼び寄せ、
あれこれと用事を申しつけ、祐筆を呼んで京都への書状なども整えさせた。
やがて自判を置いて書状が整ったが、
「因幡守には晩飯を馳走しよう。またそのころに登城するように。
まずは宿舎に戻って休息していなさい」と言って帰したのだった。

隆景卿は、「今日はいつにもまして暑くてたまらん」と、鈎簾を高く巻き上げさせて、
欄(おはしま)の近くまで出る。
やがて枕にすがって昼寝をしているうちに、夕立がバラバラと降ってきた。
雨の音に夢から覚めた隆景卿は、
「眠り美にして山雨の過ぐることを知らず、覚え来れば殿閣微涼を生ず」という古い詩を口ずさんだ。

御前には桂三郎兵衛尉兼久・次郎兵衛尉の二人が伺候していたが、
夕立の雨が誘い起こした風がそよそよと吹いて涼しげに感じられたので、
「六月に清風を買わば、人の恐れるものもなし、というのも、こういうことを言うのでしょうな」と言うと、
隆景卿も心地好さげに笑って、
「人は皆炎熱に苦しむも我は夏の日長きを愛す、というのも、こんな時期なのだろうな」と答える。

隆景卿はにわかに「どうも調子が悪い」と部屋の中へと入っていったが、
たちまち顔色が悪くなったので、桂三郎兵衛尉があわてて駆け寄って背後から抱きかかえた。
兼久が当番の医師を予防として走り出したところ、隆景卿はしたたかに吐き戻してしまった。
酷暑の時期なので、暑気当たりだと思い、吐けば少しは楽になるだろうと思っていたが、
医師が二、三人寄り集まって脈をとってみると、もはや息絶えていて脈もなかった。

「これはどうしたことか」とひどく驚き騒ぎ、気付けの薬である蘇香円・延齢丹などをはじめとして、
手を変え品を変え、灸だ鍼だと数々の医術を尽くしたけれども、
もう微かに通う息も絶え果て、事切れていたのだった。
「これは一大事だ」と、人々は慌てふためき、嘆き悲しんだけれども、その甲斐はなかった。

華陀でもなければ、鍼や薬を用いてもどうにもできず、
背や腹を裂いて割薬種(さくやくしゅ)を用いることもできない。
扁鵲の術も修めていないので、五分の熨、八滅の済をもって人をよみがえらせることもできない。
ただ呆然と力なくたたずむばかりだった。御年は六十五だった。

早馬を駆って京都・広島へ報告し、また高麗の釜山海にいた左金吾殿へも、六月十二日に、
黄門隆景卿の逝去の報を告げた。
太閤はこれを聞くと、「末法の世の聖人とは隆景のことだったのに、
こんなにあっけなく逝ってしまうとはひどい話だ」と落涙したという。ありがたいことだ。

やがて葬礼を執り行い、一片の煙となって、遺骨を拾って高野山に納めると、
竜宝山大徳寺に一宇の伽藍を建立した。黄梅院がそれである。
法名は泰雲浄閑大居士といったそうだ。


以上、テキトー訳。

どうしてこんなにまで詳細に記されているのかね。
まったく、読んでて胸が締め付けられるったら……いつの間にか隆景のこと大好きになってたんだな。
この人がいるだけで、安定感がすごいよね!!!
なんか根拠もなく、毛利は大丈夫、って気にさせてくれる。すごい人だったんだろうな。
広家に託されてもね、器が違いすぎるわ。
ていうか景様が手塩にかけて調ky……育て上げた輝元きゅんはどーなんですか!
触れてやっくださいよ。お願いしますよ。

ていうか広家の痔疾バラさなくてもいいじゃんかーーー!
デリケートなお尻なのだよ! 日本人の七割はこの罹患歴があるらしいぞ!
私もバイトで立ち仕事始めたばかりのときはゴニョゴニョな心当たりがあるぞ。
医者にはかかってないけど、きっとアレはアレだったんだわ。

話を戻して。
隆景は、脳卒中だったって有名だけど、そのなかでもくも膜下出血っぽいな。致死率の高いやつ。
いきなり脳の生命維持に関わる分野で出血を起こしてしまうやつ。
私が幼いころものすごく世話になった近所のお婆ちゃんもこれで亡くなった。
直前まで元気なのに、いきなり逝っちゃうんだよね。
逆に考えると、苦しまなくてよかったのかもしれない。

それまで毛利の家を背負って、どれだけ緊張して生きてきたんだろうと、切なくなる。
ドSな印象しかないんだけど、ドSを保つにも強固な意志が必要だったんだろうな。
隆景……当初はあんまり好きになれない人だと思った。
でも大好きになったよ。ドSだからじゃないよ。がんばったねぇ。えらかった。
隆元も元春も早くに死んでしまったのに、よくここまで長生きしてくれたね。
願わくばあと数年……と思うのは、甲斐のないことかもしれない。

さて次回からは景様追悼スペサルだよ。いや、陰徳記の次の章がそうなってんだよ。
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