FC2ブログ
2012-03-25

キリシタン大名残酷物語

だいたいの流れ:
毛利が織田に悩まされているころの九州のお話。
大友家では宗麟が隠居して義統が跡を継ぎ、家中の気風も乱れはじめた。
そこへ南蛮の交易船がやってきて、商船のリーダー賢長・雲南弥と大友家は親密になっていく。

あの、はじめに書いておくけど、今回のお話はかなりショッキングな内容なので、
載っけてはおくけど、読むのはあんまりオススメしません。


大友貴理支旦に成り給うこと、付けたり悪逆のこと

賢長・雲南弥は、自分たちは豊後に身を置いたまま、家人たちを船に乗せて本国に通わせ、
毎年さまざまな商品を運送させていた。
臼杵・府内に屋敷を与えられると、町屋を造り並べて、この国に南蛮人を呼び寄せたいと言い出した。
義統が「いいだろう」と言って許しを与えたので、賢長たちは臼杵の海を埋め立て、
大石を積み上げて、その上に賢長町と名づけて六町を作り上げた。
また府内にも賢長・雲南弥は二人で町を六町作り、
本国から異人たちを五、六千人も呼び寄せてその町に住まわせた。

その後、賢長・雲南弥は伴天連宗の説法をして、多くの人をその宗教に引き入れたが、
後には義統もこの宗の説法を聞こうと、二人の者たちを呼び寄せて説法を聞き、やがて伴天連の宗門に入った。
どうしようもない話である。

この宗門は、天文のはじめごろに防州山口の道場の辺りへ初めてもたらされ、
しばらくここに居住して説法をしていたという。それから次第に流布していったそうだ。
仏神三宝を敬うこともせず、それどころか敵意をむき出しにした。
その昔の釈尊のときに釈尊を害そうとした外道の法なのか、我が日ノ本は仏法の東の果ての地だからと、
外道天魔が正法を破滅させようとして来たに違いないと、噂を聞くだけでも身の毛もよだつものだ。
それなのに、義統がこの宗門になったとは、まったくひどいことである。

義統は、雲南弥・賢長の教えに従って、田原の法檀寺という七堂伽藍の霊場を、
七日と七夜かけてことごとく焼き尽くしてしまった。
また田渋の大堂の釈迦釈迦牟尼如来の尊像の鼻を削ぎ、
そのほか湯須良八幡・宰府の天神の社をも焼き捨てて、たちまちのうちに焦土にしてしまう。
下々の者も義統をまねして、そのころ伴天連宗になった者たちは、
まるで競争でもするようにあちこちの仏像社壇を打ち壊し、次々と焼き払っていく。
豊後・豊前・日向・筑後・筑前あたりの寺社仏閣は、一つ残らず失われた。
デーバダッタにそそのかされて阿闍世王太子が父王頻婆娑羅を幽閉し、七重に取り囲んだ室内に置き、
また鋭い剣を手に母の韋提希夫人を殺そうとした悪よりもさらにひどい。
恵昌沙汰の後、これほどの仏敵・法敵は例にないことであった。

我が国の物部守屋大臣も仏敵となったが、それでも神道を深く尊んでいた。
無理難題を押し通したさしもの平清盛も、仏神を敬って信心深かったので、
安芸の厳島大明神をはじめとして、数ヶ所に寺社仏閣を建立・造営している。
この義統は文を用いて政道を正しくするでもなく、武を用いて威を厳しくするでもなく、
欲望ばかりが深いまったくの邪将であった。

そもそも我が国は、イザナギ・イザナミが高天原から天の逆鉾で大海を撫でたところ、
その鉾の雫が凝り固まって淡路島となり、天地が始まった。
それ以来、粟粒を散らしたような小国とは言いながら、
天竺や震旦よりもなお勝るほど、霊神霊社が跡を残していったので、仏法もまた広く伝播している。
それなのに、大友は仏神に何の恨みがあってこんなことをするのだろうか。
五逆の罪を超えてしまえば、今生ではたちまち仏罰・神罰をこうむり、子孫は断絶し、
来世では必ず阿鼻大地獄の底に落とされて、焔王の鉄棒で打ち据えられ、牛頭・馬頭の責めを受け、
どんなに長い時間を経ても、成仏することはできない。
目にした人は肝を潰し、耳にした人は身の毛をよだて、呆れ果てない人はいなかった。

また義統は、賢長・雲南弥が献上した虎には人間を餌として与えて飼っていた。
はじめは投獄していた重罪の者たちがいくらでもいたので、獄舎の看守に言いつけて餌にしていたのだが、
しばらくすると罪人の数も尽き果ててしまう。

どうしようかと思案していたところ、義統はハッと思い出した。
「国中にはない方がいいものは、神では疫病の神、虫ではヒキガエル、蛇、
人間では座頭(盲人)だろう。
あの座頭たちの様子を見ていると、一芸・一能があって人の役に立つ者は百人に一人か二人いるかどうかだ。
残りの盲人たちは、芸ができなければ、なかなか憐憫もかけてもらえない。
世の人から憐れみをかけてもらえず、その日の飯にありつくことも稀だから、
常に飢えに苦しみ、満足に衣も着られず、寒風に身を痛めている。
苦しいことばかりが多くて喜びや楽しみなどまったくない。
今生を生きているのは苦しくて仕方ないだろうから、命の根を断ってやれば、これ以上の慈悲はないはずだ。

なぜかといえば、肉体があれば飢え・渇き・寒い・暑いという苦しみがはなはだしい。
この肉体を脱して父母から生まれる以前の境界に至れば、
苦もなく楽もなく、暑くも寒くもなく、飢えや渇きの悲しみもないだろう。
仏教でも法のために虎に身を与えた例もある。
これからは座頭どもを搦め捕って虎の餌食にすればよいのだ。
そうすれば苦海を渡って悲願に至り、成仏の縁ともなろう。
さあさあ、座頭たちを成仏させてやろう」

義統は盲人たちを秘密裏に生け捕らせて、虎の餌として与えた。
それもはじめのうちだけで、そのうち国中の盲人がいなくなってしまったので、
他国の盲人を呼び集めるために、人を遣わしてこんな噂を流すようにした。
「大友義統は非常に座頭への憐憫が強い。
だから豊後の座頭たちは他国に行くことはないし、それどころか、
国中でも作善法事などのあるところへ行っては施された物の多少を問題にし
『もう少しくだされ』などと口々にわめいたり叫んだり、
杖で寺の門戸を叩きながら『布施を暮れないなら死ね、転べ』などと呪ったり、ということはまったくない。
皆府内の城中に集まって、美食珍膳に満足しているのだ」

この噂を聞きつけた近隣の国の座頭たちは、身を滅ぼされることも知らないで、
「それは本当か」と大喜びし、親しい友と連れ立って、我も我もとやってきた。
盲人たちが琵琶箱を背負い、竹の杖を突き、続々と豊後へ集まってくると、
すぐにそれを搦め捕って虎の餌食としてしまった。無残なことである。

こんなこととは夢にも知らず、九州の座頭たちは、
「豊後では義統が座頭を大事にしてくださると聞いているが、きっとこれは本当だろう。
先に行った座頭たちは皆居心地がいいからか、一人も帰ってこない。
我らも行こうではないか」と、手に手をとって豊後にやってくる。
しかし皆虎に与えられてしまい、「これはどうしたことだ」と驚くのだった。
「菊都の御坊はいらっしゃるか」「定都はどこにいる」「城民・城作はいないのか」
「聞いていたのとは大違いで、衣食を与えてもらえると思っていたのに、
逆に猛虎の餌食にされるとは悲しすぎる」「情のない義統や」「恨めしい大友殿や」
と声をばかりに泣き叫ぶ有様は、見るだけでも目の前が暗くなって、
感情も消えてしまうほどの、とんでもない有様だったそうだ。

四国の座頭で松都という力持ちの者がいたが、
捕らわれた獄中でこれから虎の餌にされるということを聞くと、
「これから逃げようといっても逃げようがない。
前世の因果の報いなのだろうから、嘆くことはない。
しかし私は人よりもずいぶんと力が強い。
いかに猛々しい虎であっても、片手か片足を掴めれば、ねじ折って振り払ってやるのに」と考えていた。

その松都が虎の餌にされる番になると、虎は勇み喜んで手を差し出し、
松都の顔を撫でて、飛び跳ねながら戯れだした。
松都はまた虎が顔を撫でようと手を出してきたところをヒタと捕らえてねじり上げる。
虎はひどく驚いて、痛さのあまりに松都の眉間に食いついたけれども、
松都は命の続く限りはと思い定め、ついに虎の片手をねじり折ると、自分もそのまま息絶えた。

昔、伊豆の北条入道早雲は、父の命日がくると金銀珠玉を奉納し、
経を書き念仏をして、丁寧に法事を行った。
父のために選任の僧を呼んで供養し、万部の経を書き、あるいは故人の話題を集め、
または念仏三昧の日を送った。
これは熱心なことなので、座頭に慈悲を垂れることこそ、一切の功徳の中でも一番ありがたいことだろうと、
施しを受けようとして近隣諸国や遠い島から座頭たちが集まってきた。

すると早雲はその座頭三千人を船に乗せて海中に漕ぎ出し、船底に穴を開けて、
水夫や舵取りたちは泳いで逃げさせた。
海水が次第に船の中に入り、座頭たちは一人残らず海中に沈溺して水の藻屑となってしまった。
早雲は、「千の仏を供養するより、一個の座頭を入水させるのに勝るものはない」と、
快然と笑みを浮かべたそうだ。
義統もこうしたことを思ったのか、なんとも非道な極悪ぶりであった。


以上、テキトー訳。

これはひどいとしか言いようがない。草生やす余裕もないわ。
キリシタンになって寺社仏閣の破壊を推進したのは宗麟だと思ってたけど、
ウィキペディア見ると、宗麟がやったのは日向侵攻のときで、
豊後・筑後国内での破壊活動は義統の行跡らしいね。
仏像の鼻を削ぐって、そりゃないよー。
仏像はきれいなお顔が多いのに、その鼻を削ぐなんてひどいよー・゚・(ノД`;)・゚・

まあ宣教師がやったわけじゃなくて、そそのかされた武士がそゆことしてるんだけどね。
この時期に渡来したイエズス会ってのは、キリスト教の本場でもカルト扱いされてたと聞くが、
実際のところどうなんだろう。
どのみち、最初は商売で取り入って、相手の懐に侵食して、
医療技術などを餌に宗教的に支配するってやり方は好きじゃないな。

キリシタン大名なんていっぱいいるけど、いったいどこに惹かれたのか気になる。
交易や各種技術を取り入れるのに、宗教的なつながりが必要だったのかな。ううむ。

そんで、なんたって胸糞悪いのは虎の餌の話だよね。
たぶん別の逸話をもとにした創作なんだろうとは思うんだけど。
元ネタがどこにあるのか調べきれなかった。残念。

さて次回は黙っちゃいなかった大友老臣のターン。
スポンサーサイト



2012-03-25

『陰徳記』下巻 目次

上巻の目次はこちら

※リンクのない章は未読
※訳文は知識不足の人間が手がけているため信用度が低いので要注意
※原文は米原正義校訂『陰徳記』(マツノ書店、1996年)による




●巻之第四十二
 42-1 塩売弥太郎、立花を殺すこと
  42-1 塩売弥太郎、立花を殺すこと(1)[2012-06-22]
  42-2 塩売弥太郎、立花を殺すこと(2)[2012-06-24]
  42-3 塩売弥太郎、立花を殺すこと(3)[]
  42-4 塩売弥太郎、立花を殺すこと(4)[2012-06-26]
  42-5 塩売弥太郎、立花を殺すこと(5)[2012-06-28]
  42-6 塩売弥太郎、立花を殺すこと(6)[2012-06-29]
 42-2 豊前三ツ嶽の城没落のこと
  42-2-1 豊前三ツ嶽の城没落のこと(上)[2012-07-01]
  42-2-2 豊前三ツ嶽の城没落のこと(下)[2012-07-02]

●巻之第四十三
 43-1 筑前の国立花の城を取り囲むこと、付けたり大友勢後詰のこと
  43-1-1 筑前の国立花の城を取り囲むこと、付けたり大友勢後詰のこと(上)[2012-07-03]
  43-1-2 筑前の国立花の城を取り囲むこと、付けたり大友勢後詰のこと(下)[2012-07-05]
 43-2 五月十八日合戦のこと
  43-2-1 五月十八日合戦のこと(上)[2012-07-07]
  43-2-2 五月十八日合戦のこと(中)[2012-07-08]
  43-2-3 五月十八日合戦のこと(下)[2012-07-11]
 43-3 元就朝臣・輝元朝臣、長府へ下向のこと[2012-07-11]


●巻之第四十四
 44-1 尼子勝久、出雲へ入られること
  44-1-1 尼子勝久、出雲へ入られること(上)[2012-07-13]
  44-1-2 尼子勝久、出雲へ入られること(下)[2012-07-18]
 44-2 天野紀伊守、敵を方便のこと[2012-07-21]
 44-3 真木宗右衛門尉のこと[2012-07-21]
 44-4 庄式部少輔合戦のこと[2012-07-21]
 44-5 雲伯作備、毛利家に背くこと[2012-07-22]
 44-6 雲州冨田麓合戦のこと[2012-07-24]


●巻之第四十五
 45-1 出雲の国原手合戦のこと[2012-07-26]
 45-2 出雲の国三保関合戦のこと
  45-2-1 出雲の国三保関合戦のこと(上)[2012-07-27]
  45-2-2 出雲の国三保関合戦のこと(下)[2012-07-28]
 45-3 神西三郎左衛門心変えのこと[2012-07-30]
 45-4 美作の国高田の城合戦のこと[2012-08-02]
 45-5 玉串監物討ち死にのこと
  45-5-1 玉串監物討ち死にのこと(上)[2012-08-02]
  45-5-2 玉串監物討ち死にのこと(下)[2012-08-05]


●巻之第四十六
 46-1 備後の国神辺城合戦、並びに防州関所城合戦のこと[2012-08-06]
 46-2 大内太郎左衛門輝弘、山口に入ること
  46-2-1 大内太郎左衛門輝弘、山口に入ること(上)[2012-08-07]
  46-2-2 大内太郎左衛門輝弘、山口に入ること(下)[2012-08-08]
 46-3 仁保合戦のこと[2012-08-09]
 46-4 元春・隆景、立花の陣を引き払うこと
  46-4-1 元春・隆景、立花の陣を引き払うこと(上)[2012-08-10]
  46-4-2 元春・隆景、立花の陣を引き払うこと(中)[2012-08-11]
  46-4-3 元春・隆景、立花の陣を引き払うこと(下)[2012-08-12]
 46-5 立花の城を明け渡すこと[2012-08-13]
 46-6 輝弘山口落ち、付けたり最後のこと
  46-6-1 輝弘山口落ち、付けたり最後のこと(上)[2012-08-15]
  46-6-2 輝弘山口落ち、付けたり最後のこと(下)[2012-08-16]
 46-7 杉松寿丸のこと[2012-08-19]
 46-8 出雲の国日昇合戦のこと[2012-08-19]


●巻之第四十七
 47-1 出雲の国比部合戦のこと
  47-1-1 出雲の国比部合戦のこと(1)[2012-08-20]
  47-1-2 出雲の国比部合戦のこと(2)[2012-08-21]
  47-1-3 出雲の国比部合戦のこと(3)[2012-08-23]
  47-1-4 出雲の国比部合戦のこと(4)[2012-08-24]
  47-1-5 出雲の国比部合戦のこと(5)[2012-08-25]
 47-2 末次の土井明け退くこと[2012-08-26]
 47-3 元就朝臣、敵味方の噂のこと[2012-08-26]


●巻之第四十八
 48-1 出雲の国三笠の城没落のこと[2012-08-28]
 48-2 熊野降参、並びに高瀬城打ち回しのこと[2012-08-29]
 48-3 平田の城、並びに勝間そのほか所々の合戦のこと[2012-08-29]
 48-4 輝元朝臣・隆景・元長開陣、古志降参のこと[2012-08-29]
 48-5 羽倉の城合戦のこと[2012-08-30]
 48-6 源勝久、末次を攻め給うこと、同後詰、並びに米原降参のこと[2012-08-30]
 48-7 三村一家滅亡のこと
  48-7-1 三村一家滅亡のこと(上)[2012-08-31]
  48-7-2 三村一家滅亡のこと(中)[2012-09-01]
  48-7-3 三村一家滅亡のこと(下)[2012-09-03]


●巻之第四十九
 49-1 伯州浄満原合戦のこと[2012-09-05]
 49-2 馬田討ち死にのこと[2012-09-06]
 49-3 羽倉孫兵衛尉討ち死にのこと[2012-09-06]
 49-4 秋山父子心変えのこと[2012-09-09]
 49-5 元就朝臣逝去、並びに鹿助生け捕りのこと[2012-09-10]
 49-6 鹿助愁訴のこと、並びに八橋の城を明け渡すこと[2012-09-11]
 49-7 山中鹿助逐電のこと[2012-09-13]


●巻之第五十
 50-1 武田・上杉へ元春より使いのこと(付けたり謙信・信玄噂のこと)[2012-09-14]
 50-2 佐々木、信玄・謙信の物語のこと
  50-2-1 佐々木、信玄・謙信の物語のこと(1)[2012-09-16]
  50-2-2 佐々木、信玄・謙信の物語のこと(2)[2012-09-17]
  50-2-3 佐々木、信玄・謙信の物語のこと(3)[2012-09-19]
  50-2-4 佐々木、信玄・謙信の物語のこと(4)[2012-09-20]


●巻之第五十一
 51-1 将軍義昭卿御流浪、付けたり三淵諫言のこと
  51-1-1 将軍義昭卿御流浪、付けたり三淵諫言のこと(上)[2012-09-23]
  51-1-2 将軍義昭卿御流浪、付けたり三淵諫言のこと(下)[2012-09-24]
 51-2 安国寺上洛のこと[2012-09-27]
 51-3 山中・立原、信長へ出ること[2012-09-30]
 51-4 吉川元春・同元長、因幡へ発向のこと[2012-09-30]


●巻之第五十二
 52-1 山中鹿助と大坪合戦のこと[2012-10-01]
 52-2 私部城合戦のこと[2012-10-02]
 52-3 大坪と武田・亀井合戦のこと[2012-10-04]
 52-4 因幡の国鳥取の城合戦のこと[2012-10-05]
 52-5 若佐合戦のこと[2012-10-05]
 52-6 諸寄合戦のこと[2012-10-05]
 52-7 勝久、鳥取を明け退くこと[2012-10-07]
 52-8 牛尾・山中合戦のこと[2012-10-08]
 52-9 私部麓合戦のこと[2012-10-09]
 52-10 私部城降参のこと[2012-10-10]
 52-11 若佐鬼の城没落のこと[2012-10-11]


●巻之第五十三
 53-1 大阪の城へ兵糧を入れること[2012-10-13]
 53-2 親鸞上人系図のこと、付けたり信長本願寺を所望すること
  53-2-1 親鸞上人系図のこと、付けたり信長本願寺を所望すること(上)[2012-10-16]
  53-2-2 親鸞上人系図のこと、付けたり信長本願寺を所望すること(下)[2012-10-17]
 53-3 浦上宗景流浪のこと、並びに浦上普光院殿を討ち奉ること
  53-3-1 浦上宗景流浪のこと、並びに浦上普光院殿を討ち奉ること(上)[2012-10-18]
  53-3-2 浦上宗景流浪のこと、並びに浦上普光院殿を討ち奉ること(下)[2012-10-19]
 53-4 将軍義昭卿、鞆へ下向のこと[2012-10-27]


●巻之第五十四
 54-1 乃美心変えのこと[2012-10-28]
 54-2 讃岐の国元吉表合戦のこと[2012-10-30]
 54-3 因幡の国楢尾駒次夜討ちのこと[2012-10-30]
 54-4 淡路の国岩屋の城のこと[2012-11-02]
 54-5 播州上月の城へ勝久が入り給うこと[2012-11-03]
 54-6 秀吉、上月の城を落とすこと、付けたり勝久再びこの城に入ること[2012-11-04]


●巻之第五十五
 55-1 中国勢、上月の城を取り囲むべく会議のこと[2012-11-05]
 55-2 元春・隆景、上月城を取り囲まれること、付けたり秀吉後詰のこと[2012-11-06]
 55-3 杉原の手の者忍び討ち、並びに後詰勢馳せ加わること[2012-11-13]
 55-4 元長、夜合戦の会議のこと
  55-4-1 元長、夜合戦の会議のこと(上)[2012-11-14]
  55-4-2 元長、夜合戦の会議のこと(下)[2012-11-16]


●巻之第五十六
 56-1 上月の城、忍者が台無を盗むこと[2012-11-17]
 56-2 勝久より秀吉へ通路の者を搦め捕ること[2012-11-18]
 56-3 鈴木・秋山のこと[2012-11-18]
 56-4 上月合戦のこと
  56-4-1 上月合戦のこと(上)[2012-11-20]
  56-4-1 上月合戦のこと(中)[2012-11-21]
  56-4-3 上月合戦のこと(下)[2012-11-22]
 56-5 羽柴秀吉、上月表を引き退くこと[2012-11-23]
 56-6 上月の城没落のこと[2012-11-24]
 56-7 山中鹿助最後のこと[2012-11-25]


●巻之第五十七
 57-1 市川少輔七郎謀反のこと[2012-11-27]
 57-2 神西の女房のこと
  57-2-1 神西の女房のこと(1)[2012-11-30]
  57-2-2 神西の女房のこと(2)[2012-12-04]
  57-2-3 神西の女房のこと(3)[2012-12-06]
  57-2-4 神西の女房のこと(4)[2012-12-08]
  57-2-5 神西の女房のこと(5)[2012-12-10]
  57-2-6 神西の女房のこと(6)[2012-12-14]


●巻之第五十八
 58-1 宇喜多直家心変えのこと[2012-12-15]
 58-2 両将黒沢山を引き払われること[2012-12-17]
 58-3 戸川肥後守上洛、付けたり小西弥九郎のこと[2012-12-18]
 58-4 南条兄弟逆意のこと[2012-12-20]
 58-5 南条元続、山田出雲守を討たんと欲すこと
  58-5-1 南条元続、山田出雲守を討たんと欲すこと(上)[2012-12-22]
  58-5-2 南条元続、山田出雲守を討たんと欲すこと(下)[2012-12-23]


●巻之第五十九
 59-1 美作の国所々の城没落のこと[2012-12-24]
 59-2 隆景・直家対面のこと[2012-12-25]
 59-3 直家、舛形の城を打ち回すこと[2012-12-26]
 59-4 塩屋佐介討ち死にのこと[2012-12-26]
 59-5 伯州長郷田合戦のこと
  59-5-1 伯州長郷田合戦のこと(上)[2012-12-27]
  59-5-2 伯州長郷田合戦のこと(下)[2012-12-29]
 59-6 杉原・天野、長郷田合戦の批判のこと[2012-12-30]
 59-7 備中の国四畦の忍山城没落のこと[2012-12-31]


●巻之第六十
 60-1 羽衣石山のこと[2013-01-01]
 60-2 羽衣石の城の向城を構えらること、付けたり宇津吹の城合戦のこと[2013-01-02]
 60-3 但馬の国竹田の城合戦のこと[2013-01-02]
 60-4 伯耆の国、岩倉の合戦のこと[2013-01-03]
 60-5 横見のこと、付けたり冠山没落のこと[2013-01-04]
 60-6 高畠心変えのこと[2013-01-04]
 60-7 久留島、信長公に一味のこと[2013-01-05]
 60-8 備前の国児島の蜂浜合戦のこと[2013-01-06]
 60-9 備前蜂浜の城を攻めること[2013-01-07]
 60-10 山名少七逐電のこと[2013-01-07]
 60-11 因州鹿野城を明け渡すこと[2013-01-08]
 60-12 信長、本願寺と和睦のこと、付けたり大城を明け退くこと
  60-12-1 信長と本願寺和睦のこと、付けたり大坂城を明け退くこと(上)[2013-01-09]
  60-12-2 信長と本願寺和睦のこと、付けたり大坂城を明け退くこと(中)[2013-01-10]
  60-12-3 信長と本願寺和睦のこと、付けたり大坂城を明け退くこと(下)[2013-01-12]
 60-13 信長、本願寺と合戦のこと[2013-01-13]
 60-14 中島合戦のこと[2013-01-15]
 60-15 信長公、大阪敗軍のこと、付けたり信長公伊勢越前へ働きのこと[2013-01-16]
 60-16 森口表合戦のこと[2013-01-17]
 60-17 天王寺合戦のこと[2013-01-17]
 60-18 原田備中守討ち死にのこと[2013-01-19]
 60-19 大阪大寄のこと[2013-01-20]
 60-20 大阪所々の合戦のこと[2013-01-21]
 60-21 戸摩利の城合戦のこと[2013-01-22]
 60-22 備中の国小倉合戦のこと[2013-01-25]


●巻之第六十一
 61-1 山名大蔵太輔豊国心替えにつき森下・中村、豊国を追い出すこと[2011-11-26]
 61-2 鳥取城へ牛尾楯籠もること[2011-11-27]
 61-3 吉川式部少輔経家、鳥取に籠もること、並びに秀吉出張のこと
  61-3-1 吉川式部少輔経家、鳥取に籠もること、並びに秀吉出張のこと(上)[2011-11-29]
  61-3-2 吉川式部少輔経家、鳥取に籠もること、並びに秀吉出張のこと(下)[2011-11-30]
 61-4 因州吉岡の城合戦のこと[2011-12-02]
 61-5 大崎城合戦並びに隅何某切死のこと[2011-12-03]
 61-6 丸山扱いの使いを切ること並びに狼狩のこと[2011-12-07]
 61-7 鳥取丸山扱いのこと、付いて吏部以下自害のこと
  61-7-1 鳥取丸山扱いのこと、付いて吏部以下自害のこと(上)[2011-12-08]
  61-7-2 鳥取丸山扱いのこと、付いて吏部以下自害のこと(下)[2011-12-09]


●巻之第六十二
 62-1 伯州馬野山対陣のこと
  62-1 伯州馬野山対陣のこと(上)[2012-04-17]
  62-1 伯州馬野山対陣のこと(下)[2012-04-18]
 62-2 羽柴秀吉備中の国発向のこと(本文なし)
 62-3 秀吉敵城の批判、並びに敗軍のこと
  62-3-1 秀吉敵城の批判、並びに敗軍のこと(上)[2012-04-21]
  62-3-2 秀吉敵城の批判、並びに敗軍のこと(下)[2012-04-23]
 62-4 草刈三郎左衛門生害のこと[2012-04-24]
 62-5 因州大崎の城を明け退くこと[2012-04-27]


●巻之第六十三
 63-1 因州大崎の城、そのほか荒神山以下没落のこと[2012-04-30]
 63-2 羽柴秀吉備中発向のこと[2012-05-02]
 63-3 高松の城を取り囲むこと
  63-3-1 高松の城を取り囲むこと(上)[2012-05-03]
  63-3-2 高松の城を取り囲むこと(下)[2012-05-04]
 63-4 加茂の城合戦のこと
  63-4-1 加茂の城合戦のこと(上)[2012-05-06]
  63-4-2 加茂の城合戦のこと(下)[2012-05-08]
 63-5 清水兄弟自害のこと、付けたり秀吉と元春・隆景和平のこと
  63-5 清水兄弟自害のこと、付けたり秀吉と元春・隆景和平のこと(1)[2012-05-10]
  63-5 清水兄弟自害のこと、付けたり秀吉と元春・隆景和平のこと(2)[2012-05-11]
  63-5 清水兄弟自害のこと、付けたり秀吉と元春・隆景和平のこと(3)[2012-05-12]
  63-5 清水兄弟自害のこと、付けたり秀吉と元春・隆景和平のこと(4)[2012-05-13]


●巻之第六十四
 64-1 吉見大蔵大輔正頼、長府より上らること[2012-05-15]
 64-2 光秀信長を殺すこと
  64-2-1 光秀信長を殺すこと(上)[2012-05-16]
  64-2-2 光秀信長を殺すこと(中)[2012-05-18]
  64-2-3 光秀信長を殺すこと(下)[2012-05-20]


●巻之第六十五
 65-1 信長の噂のこと
  65-1-1 信長の噂のこと(1)[2012-05-22]
  65-1-2 信長の噂のこと(2)[2012-05-24]
  65-1-3 信長の噂のこと(3)[2012-05-27]
  65-1-4 信長の噂のこと(4)[2012-05-29]
  65-1-5 信長の噂のこと(5)[2012-05-30]
 65-2 筒井順慶、羽柴秀吉と一味のこと[2012-06-01]
 65-3 織田七兵衛最後のこと[2012-06-02]
 65-4 信長本願寺へ討手を向け給うこと、付けたり門跡表裏を分かつこと[2012-06-09]
 65-5 惟任滅亡のこと[2012-06-10]


●巻之第六十六
 66-1 紹巴法師のこと、並びに秀吉連歌のこと[2012-06-11]
 66-2 隠岐守清家生害のこと
  66-2-1 隠岐守清家生害のこと(上)[2012-06-11]
  66-2-2 隠岐守清家生害のこと(中)[2012-06-12]
  66-2-3 隠岐守清家生害のこと(下)[2012-06-16]
 66-3 宮野宮合戦のこと[2012-06-18]
 66-4 南条没落のこと[2012-06-20]


●巻之第六十七
 67-1 出雲の国杵築三万句のこと[2012-06-21]
 67-2 経言・秀包、大坂へ上りたまうこと[2011-10-29]
 67-3 杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと
  67-3-1 杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(1)[2011-11-18]
  67-3-2 杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(2)[2011-11-19]
  67-3-3 杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(3)[2011-11-21]
  67-3-4 杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(4)[2011-11-21]
  67-3-5 杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(5)[2011-11-22]
  67-3-7 杉原景盛、舎兄元盛を討つこと、景盛滅亡のこと(6)[2011-11-23]


●巻之第六十八
 68-1 雑賀並びに根来合戦のこと
  68-1-1 雑賀並びに根来合戦のこと(上)[2012-04-03]
  68-1-2 雑賀並びに根来合戦のこと(下)[2012-04-03]
 68-2 伊予の国所々の城攻め落とすこと[2012-04-05]
 68-3 河野先祖のこと
  68-3-1 河野先祖のこと(1)[2012-04-06]
  68-3-2 河野先祖のこと(2)[2012-04-07]
  68-3-3 河野先祖のこと(3)[2012-04-08]
  68-3-4 河野先祖のこと(4)[2012-04-14]
 68-4 伯州香原山の城のこと[2012-04-15]
 68-5 元長・隆景、大坂へ上りたまうこと
  68-5-1 元長・隆景、大坂へ上りたまうこと(上)[2011-11-24]
  68-5-2 元長・隆景、大坂へ上りたまうこと(下)[2011-11-25]


●巻之第六十九
 69-1 大友義統家督のこと[2012-03-24]
 69-2 大友貴理支旦に成り給うこと、付けたり悪逆のこと[2012-03-25]
 69-3 大友老臣、義統を諫めること
  69-3-1 大友老臣、義統を諫めること(上)[2012-03-31]
  69-3-2 大友老臣、義統を諫めること(下)[2012-04-01]


●巻之第七十
 70-1 島津修理大夫、大友に背くこと[2011-12-11]
 70-2 七尾合戦のこと[2011-12-11]
 70-3 備前小倉城合戦のこと[2011-12-13]
 70-4 中国勢豊前に渡ること、小倉城が明け退くこと[2011-12-14]
 70-5 賀春の嶽、高橋乗っ取りのこと[2011-12-15]
 70-6 宇留津城没落のこと[2011-12-16]
 70-7 筑前国障子の嶽明け退くこと[2011-12-17]


●巻之第七十一
 71-1 吉川元春、九国の弓矢の予言のこと[2011-12-18]
 71-2 吉川駿河守逝去のこと[2011-12-19]
 71-3 三の嶽を切り取ること
  71-3-1 三の嶽を切り取ること(上)[2011-12-20]
  71-3-2 三の嶽を切り取ること(下)[2011-12-21]
 71-4 賀春の嶽降参のこと[2011-12-23]
 71-5 賀春大明神のこと[2011-12-24]
 71-6 龍造寺味方になること[2011-12-25]


●巻之第七十二
 72-1 大和大納言、豊前着陣のこと[2011-12-25]
 72-2 島津中務、耳川の城を明け退くこと並びに高城を取り囲むこと
  72-2-1 島津中務、耳川の城を明け退くこと並びに高城を取り囲むこと(上)[2011-12-26]
  72-2-2 島津中務、耳川の城を明け退くこと並びに高城を取り囲むこと(中)[2011-12-27]
  72-2-3 島津中務、耳川の城を明け退くこと並びに高城を取り囲むこと(下)[2011-12-28]
 72-3 関白秀吉公、九国下向のこと[2011-12-29]
 72-4 秀吉公、老翁の物語を聞きたまうこと[2012-01-04]
 72-5 島津和を請うこと[2012-01-05]
 72-6 吉川治部少輔元長逝去のこと[2012-01-06]
 72-7 経言、吉川家相続並びに隆景、筑前拝領のこと[2011-10-30]


●巻之第七十三
 73-1 豊前の国で一揆蜂起のことにつき岩石城没落のこと[2011-10-31]
 73-2 城井(きい)の屋形降参のこと
  73-2-1 城井(きい)の屋形降参のこと(上)[2011-11-01]
  73-2-2 城井(きい)の屋形降参のこと(下)[2011-11-03]
 73-3 賀来・福島の両城没落のこと[2011-11-03]
 73-4 肥後の国和仁・辺春落城のこと[2012-01-10]
 73-5 佐々陸奥守、肥後の国を賜ること[2012-01-11]
 73-6 佐々自害のこと[2012-01-12]
 73-7 小西・加藤、肥後の国を賜ること[2012-01-13]
 73-8 毛利三家上洛のこと[2011-11-09]
 73-9 宇喜多秀家の母のこと
  73-9-1 宇喜多秀家の母のこと(1)[2011-11-10]
  73-9-2 宇喜多秀家の母のこと(2)[2011-11-11]
  73-9-3 宇喜多秀家の母のこと(3)[2011-11-12]
  73-9-4 宇喜多秀家の母のこと(4)[2011-11-13]


●巻之第七十四
 74-1 大仏造営のこと[2012-01-14]
 74-2 北条小田原籠城のこと
  74-2-1 北条小田原籠城のこと(上)[2012-01-15]
  74-2-2 北条小田原籠城のこと(下)[2012-01-16]
 74-3 韮山の城を抱え詰めること並びに下田の城明け渡すこと[2012-01-17]
 74-4 小田原の城没落のこと
  74-4-1 小田原の城没落のこと(上)[2012-01-18]
  74-4-2 小田原の城没落のこと(中)[2012-01-19]
  74-4-3 小田原の城没落のこと(下)[2012-01-21]
 74-5 広家朝臣、出雲冨田入城のこと[2012-01-23]
 74-6 八幡太郎殿、早世のこと[2012-01-24]
 74-7 細川藤孝俳諧の発句並びに隆景と山伏問答のこと[2012-01-25]


●巻之第七十五
 75-1 厳島宝前物語のこと
  75-1-1 厳島宝前物語のこと(1)[2012-01-26]
  75-1-2 厳島宝前物語のこと(2)[2012-01-27]
  75-1-3 厳島宝前物語のこと(3)[2012-01-28]
  75-1-4 厳島宝前物語のこと(4)[2012-01-29]
  75-1-5 厳島宝前物語のこと(5)[2012-01-30]
  75-1-6 厳島宝前物語のこと(6)[2012-01-31]
  75-1-7 厳島宝前物語のこと(7)[2012-02-01]
  75-1-8 厳島宝前物語のこと(8)[2012-02-02]
  75-1-9 厳島宝前物語のこと(9)[2012-02-03]
  75-1-10 厳島宝前物語のこと(10)[2012-02-04]
  75-1-11 厳島宝前物語のこと(11)[2012-02-05]


●巻之第七十六
 76-1 高麗陣のこと、付けたり小西釜山海城を切り取ること[2012-02-06]
 76-2 日本勢、朝鮮の都入りのこと
  76-2-1 日本勢、朝鮮の都入りのこと(上)[2012-02-07]
  76-2-2 日本勢、朝鮮の都入りのこと(中)[2012-02-08]
  76-2-3 日本勢、朝鮮の都入りのこと(下)[2012-02-09]
 76-3 霊仙(筤銑)合戦のこと[2012-02-10]
 76-4 高麗言葉のこと(略)
 76-5 漢南(かぐなみ)勢小西を攻めること、付けたり大友敗軍のこと
  76-5-1 漢南(かぐなみ)勢小西を攻めること、付けたり大友敗軍のこと(上)[2012-02-11]
  76-5-2 漢南(かぐなみ)勢小西を攻めること、付けたり大友敗軍のこと(下)[2012-02-12]
 76-6 江陽合戦(碧蹄館の戦)のこと
  76-6-1 江陽合戦(碧蹄館の戦)のこと(上)[2012-02-13]
  76-6-2 江陽合戦(碧蹄館の戦)のこと(中)[2012-02-14]
  76-6-3 江陽合戦(碧蹄館の戦)のこと(下)[2012-02-15]
 76-7 井上・粟屋、鑓の一二の争いのこと[2012-02-16]


●巻之第七十七
 77-1 加藤主計頭清正、朝鮮の帝王を虜にすること[2012-02-17]
 77-2 清正、オランカイの城を攻めること[2012-02-18]
 77-3 大明の帝より加藤清正へ勅使のこと
  77-3-1 大明の帝より加藤清正へ勅使のこと(上)[2012-02-19]
  77-3-2 大明の帝より加藤清正へ勅使のこと(下)[2012-02-20]
 77-4 加藤主計頭都へ帰り入ること並びに清正夜討ち批判のこと
  77-4-1 加藤主計頭都へ帰り入ること並びに清正夜討ち批判のこと(上)[2012-02-21]
  77-4-2 加藤主計頭都へ帰り入ること並びに清正夜討ち批判のこと(下)[2012-02-22]
 77-5 芸陽福王寺の名石のこと
  77-5-1 芸陽福王寺の名石のこと(上)[2012-02-23]
  77-5-2 芸陽福王寺の名石のこと(下)[2012-02-24]

 
●巻之第七十八
 78-1 河下の城を攻めること[2012-02-26]
 78-2 大友義統のこと[2012-02-27]
 78-3 遊撃将軍和平を請うこと、並びに晋州の城落去のこと[2012-02-28]
 78-4 高麗城番のこと、付けたり秀元朝臣並びに金吾殿のこと[2012-02-29]
 78-5 福島左衛門太夫・立花左近和睦のこと[2011-11-14]
 78-6 関白秀次公自害のこと[2012-03-01]


●巻之第七十九
 79-1 摂州の塘を築くこと、並びに遊撃再び渡ること[2012-03-02]
 79-2 大地震のこと[2012-03-04]
 79-3 黄門隆景卿逝去のこと[2012-03-05]
 79-4 黄門隆景卿のこと、秀吉公感じ給うこと[2012-03-06]
 79-5 黄門隆景卿御在世時の噂のこと
  79-5-1 黄門隆景卿御在世時の噂のこと(上)[2012-03-07]
  79-5-2 黄門隆景卿御在世時の噂のこと(下)[2012-03-09]
 70-6 朝鮮人の鼻を取ること[2012-03-09]


●巻之第八十
 80-1 蔚山(ウルサン)の城、南兵勢が取り囲むこと[2012-03-10]
 80-2 加藤主計頭清正、蔚山に入ること[2012-03-11]
 80-3 蔚山の城の後詰、並びに大明勢敗軍のこと
  80-3-1 蔚山の城の後詰、並びに大明勢敗軍のこと(上)[2012-03-12]
  80-3-2 蔚山の城の後詰、並びに大明勢敗軍のこと(下)[2012-03-13]
 80-4 加藤清正、馬印を吉川広家に進めらること[2012-03-14]
 80-5 高麗城番のこと、並びに石田・安国寺広家を讒ること[2012-03-15]


●巻之第八十一
 81-1 冷泉民部少輔に伊賀崎追い腹のこと
  81-1-1 冷泉民部少輔に伊賀崎追い腹のこと(上)[2012-03-17]
  81-1-2 冷泉民部少輔に伊賀崎追い腹のこと(下)[2012-03-18]
 81-2 冷泉、化け物を突き殺すこと
  81-2-1 冷泉、化け物を突き殺すこと(上)[2012-03-19]
  81-2-2 冷泉、化け物を突き殺すこと(下)[2012-03-20]
 81-3 太閤公ご他界のこと[2012-03-22]
 81-4 大明勢、蔚山・順天の両城を攻めること[2012-03-22]
 81-5 諸将、朝鮮より開陣のこと[2012-03-23]
 81-6 諸将会盟のこと[2012-03-23]
検索フォーム
カレンダー
02 | 2012/03 | 04
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
訪問者数