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2012-04-03

大軍VS祈祷!?

えー、本日は大変なお日柄で……帰宅ラッシュの電車で死ぬかと思った。
人間の密度がひどいことになっとった。あと途中で電車止まったよ。事故られるよりは数倍ましだけどな。
天気も、春の嵐っていうかそんな可愛いもんじゃ断じてねぇ! 台風よりも凶悪だったぜ。
そんなことを書いている今でも、窓の外では風が唸りをあげています。
こんな日は、そうだね! 厳島合戦ごっこだね!
私は元就さんの腰に餅をくくりつける係をやりたい。

そんな戯言はどうでもいいので陰徳記。
前回のあらすじ:
毛利が秀吉と和睦した後、秀吉は雑賀・根来衆・紀州一揆勢に取り巻かれた岸和田の城に加勢に駆けつけた。


雑賀並びに根来寺合戦のこと(下)

雑賀の兵たちは夜中に城中へと加勢が入ったことを知らずにいたが、秀吉が入城したことを聞きつけると、
「敵はもってのほかの猛勢だ。たやすく攻め落とすことはでき名あくなった。
まずこちらの陣の備えを固くしてから攻めかかることにしよう」と、
四十町ほど退却して、三ヶ所に陣を据えた。

積善寺には根来の衆、沢には雑賀の一族、もう一ヶ所には紀州那賀郡の者たちが陣取り、
敵が根来の衆を討ちに来れば、雑賀・那賀郡の者たちが救援に駆けつけ、
雑賀の陣に押し寄せてくれば、根来・那賀郡の者たちがそれを助け、
那賀軍の一揆勢が狙われれば、根来・雑賀が力を合わせて立ち向かおうと、
三ヶ所に陣を固く備える様子は、常山の蛇の威
(常山に住む蛇は、首を撃てば尾が助け、尾を撃てば首が助け、胴を撃てば首と尾が助けるという故事から、
先陣と後陣が相呼応して行動をとること)を髣髴とさせた。

その後は秀吉も紀州の者たちの武勇を侮りがたいと思ったのか、再び自分の方から仕掛けようとはしなかった。
紀州の者たちは秀吉が大軍で出張りしていると聞いていたので、
自分たちの陣にかかってこないのをいいことに、再度城に攻め懸けようとはしないまま数日が経っていった。

秀吉は使者を送り、
「紀州へは二度と攻め込まないので、紀州の者たちも天下へ恨みを報じようとしないように。
それでよければ互いに起請文を取り交わし、和睦を結ぼう」と伝えた。
一揆勢も望んでいたとおりだったので、秀吉の言い分を受け入れて、
その後は秀吉の味方に属してどこへなりとも先陣に進み戦功を上げると約束した。

こうして、紀州の者たちは積善寺で秀吉が引き揚げるのをうかがっていたが、
秀吉は岸の和田を引き払う気配はなく、逆に諸国から続々と加勢が駆けつけてきているようだった。
それを聞いた一揆勢は、
「これはきっと、先日の和平は謀略だったのだろう。
ここでいたずらに長陣を張っていても、しまいには味方が討ち滅ぼされてしまう」と、
急いで紀州田中に城郭を築き、その工事が終わると、ようやく積善寺を引き払っていった。
根来衆は皆自分の寺や坊へと帰っていく。
紀州の者たちも皆散り散りになって、城に籠もる勢はわずか五千人ばかりになった。

秀吉は紀州へと発向してその城を隙間なく取り囲んだが、
この城は周りに大河があって城の地はそれよりも低かったので、
これこそ絶好の水攻めの場所だと言って、四里あまりの堤を築き上げる。
そこに水をたたえると、五湖の春水のようだった。

一揆勢はよく時分を見計らって、隙を突いて気って出てやろうとしていたところ、
東の方の宮部善祥坊が担当している堤が切れたのをいいことに、城中から打って出る。
寄せ手はこれを見ると、自分が討ち取ってやろうと殺到した。
一揆勢は命を限りに敵を大勢討ち取ったが、死人を踏み越えながら進んで戦っていくと、
一揆勢が歯の立つ相手ではなく、堤を切り破ることができずに、再び城中へ引き籠る。

寄せ手はまた堤を補修し、さらに高く築き上げて、その中へと船を数多く浮かべて、
城の塀や矢倉にかぎ縄を引っ掛けて引き倒そうとする。
城中の者たちは敵の船をどうにかして手に入れようと、防戦しかねているふりをしながら、
矢倉には一人も出さず、鉄砲の一つも撃ち出さずに、弱り果てた様子で待っていた。
寄せ手がこれを本当だと思って、矢倉のすぐ近くまで船を乗りつけたところ、
内側からかぎ縄を引っ掛けて引き寄せ、たちまち城中は敵船一艘を手に入れた。

けれども水は次第に高さを増していき、このままむなしく水に溺れて死んでしまうように思えたので、
城中から降参するとの旨を言い送った。
秀吉が「それなら中心となった者たちの首を五十人分出てくれば、残った者たちの命は助けてやろう」
と返答したので、一揆勢は「わかりました」と引き返し、水汲みや薪切りの者たちを五十人ばかり殺した。
その首に「これは誰の首」「それは誰の首」などと札をつけて差し出したところ、
秀吉も約束どおり堤を壊したので、
生き残った一揆勢は命からがら、皆散り散りに逃げていった(四月二十二日)。

秀吉は雑賀の者たちを責め従えた後、根来へと使者を送って、先日秀吉の手に属した件を確認した。
「その言葉に今でも変わりがなければ、鉄砲三千挺を献上するように。
そうすれば根来寺の領地は旧例どおりに寄進しよう。
もしこのことを了承しないのであれば、根来寺を打ち壊して僧たちの首をことごとく刎ねてやる」

これを聞いた老僧たちは、言うとおりに鉄砲三千挺を差し出して秀吉の手に属すようにと言ったけれども、
若い僧たちは反対した。
「何故そんなことをしなければならないのですか。
今おめおめと秀吉の手に下れば、諸国の兵乱がおさまった後、必ず我らの寺は滅ぼされるでしょう。
ここで我らの勇のほどを見せつけておいてから和睦すれば、
秀吉も『根来の者たちの手並みはたやすく挫くことなどできない。
これからもあの宗徒どもを手につけておかねばならない』と考えて、存続させるでしょう。
とにかく一働きして目に物見せておかないと、今後和平も長続きするはずがありません」
若い者たちはこう言い募り、老僧たちが制しても受け入れずに、
ついに「一戦して負けたなら、そのときこそ味方に参じよう」と返事をしてしまった。

これによって、秀吉はすぐに数万騎で攻め寄せた(天正十三年四月)。
若い僧たちは打ち出したりしつつ防戦し、老僧たちは本尊を逆さにして秀吉を調伏しようとした。
そして本尊の五体に釘をしっかりと打って、
「この願が成就するなら、何か奇跡をお見せください」とわめき叫んで祈っていると、
大手の戦線で寄せ手が撃ち立てられて少し引き退いた。
「やれあれを見ろ」とさらに熱を入れて祈祷したものの、
秀吉は、農夫の子に生まれて猿と呼ばれていたのに、日本六十余州は言うに及ばず、
三韓までも切り従えるまでになるほどの大将だったので、
不動明王はさて置き、諸仏が秀吉を深く加護したのだろう。
根来寺の本尊の不動明王像から炎がカッと出たと見るや、たちまち猛火が四方に迸って、
寺々へ燃え移り、黒煙がもうもうと立ち上がった。

先陣で戦っていた若い僧たちは、これを見ると一気にドッと崩れてしまい、我先にと逃げ出した。
本尊に向かって祈祷をしていた老僧たちも、衣を脱ぎ袈裟をかなぐり捨てて、足に任せて逃げていく。
寄せ手はこれを追いかけて、あちこちで切り捨てた。
これで紀州国内の逆徒は根を断たれ、葉を枯らされたので、畿内は平穏になったそうだ。
秀吉に従軍していた毛利藤四郎秀包が詳細に報告してきた。


以上、テキトー訳。

紀州の坊さんコワイーーー(((((((( ;゚Д゚))))))))!!!
いや、秀吉がジャイアンでアレなのは周知の事実だから今さらいいとして、
本尊を逆さ吊りにして祈祷する坊さんどもって……!
まぁ密教は呪詛だの調伏だの何だの、いろいろ禍々しい雰囲気はあるけれども、
そしてそういうところが密教の魅力だったりするわけだけれども、
それにしても不動明王像に釘を打つって……(((((((( ;゚Д゚))))))))
なんか長刀持って前線で戦う坊主なんて可愛らしく思えてくるレベルよね。
恵瓊? あんなん赤子同然じゃ。

さて次章は伊予攻めだよー。景様や元長が出てくるよー!
この衝撃に磨り減った心のHPを回復したいんだず。
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2012-04-03

雑賀・根来VS秀吉

集中して本読める状況にないので、未読部分を穴埋め的に読んでいくよ!
だいたいあんまり興味がない部分だけど、これを機にいろいろ興味が持てるといいな。

今回は、毛利・秀吉の講和後、秀吉のところに人質として残っていた秀包が参陣したという、
雑賀・根来衆との戦い。
長い章ではないけれど、読める時間的余裕が少ないので途切れ途切れになります。

この前の章はコチラから7回に分けて読んでいます。


雑賀並びに根来寺合戦のこと(上)

毛利藤四郎秀包より、秀吉公が紀州雑賀・根来両所の敵を無事討ち果たしたと報告があった。
その様子を訊ね聞いたところ、紀州雑賀の一揆勢二万余騎が、
岸の和田の城にいた中村孫平次を攻め落とそうと攻めてきたそうだ。
その一揆の主力は大体が鈴木一党であった。
これは熊野権現の臣下、鈴木何某という者の子孫である。
源義経の家来、鈴木三郎重家の子孫でもあり、池ノ内も同じ一家だそうだ。

さて一揆勢が岸の和田に押し寄せると、中村孫平次は足軽衆を出して散々に撃ち掛け、
敵が少しひるんだ隙を突いてまっすぐに突いて出て、一揆の先陣の者たちとぶつかり大いに攻め戦った。
寄せ手は大勢、中村は小勢のうえ、鈴木源左衛門・鈴木孫市・天井浜・土橋などが我先にと進むので、
ついに戦いに利を失って城中に引き返す。
寄せ手は勝ちに乗って、逃げていく兵の跡を追って城に攻め入り、
たちまち外構の柵を押し破ってあちこちに放火し、そのまま乗っ取ろうとしたけれども、
中村は勇士なので身命を惜しまず防戦し、馬を二、三十頭追い放ったので、
寄せ手はこれに足止めされ、備えが乱れて進めなくなった。

こうしているうちに日が暮れた。
一揆勢は、「城を乗り破ることは簡単にできる。
夜になってしまえば敵を討ちもらし、または暗闇に紛れて味方を討ってしまうこともあるかもしれない。
明日の朝攻め破ろう」と、兵を引き上げていった。
その間に、岸の和田の城が難局に直面しているとの報が秀吉公に次々ともたらされた。
秀吉公は、その夜のうちに数万騎を率いて岸の和田の城に入っていった。

その夜も仄々と明けていくと、一揆勢は予定通りこの城を攻め破ろうと、
鈴木の一党の土橋・山内・西口・高柳・原・天井浜・平井・的場・佐武・高松・打越・津屋・高仏・
和歌、そのほか根来衆の杉本房・岩室房、紀州那賀郡の者たち、総勢二万余騎で押し寄せてくる。
先人の勢には山内三郎太夫・高松監物・西口平内太夫・原平馬・天井浜主計などが一番に攻め懸けてくると、
城の気配が何か変わっていると気がついた。

城では見慣れない武者が一人矢倉に上がり、采配を取って戦の下知を行っていて、普通の者には見えなかった。
けれども寄せ手はただ逸るばかりで、時機を逸せず攻め破ってやろうと、後陣からどんどん押し進んでくる。
先陣が我先にと進む中で、山口三郎太夫はこう言った。
「あの矢倉に上って軍に下知をしている兵は、これまであまり見たことがない。
この武者が戦の指示をしている様子は、孫呉の再来とも言うべき有様だ。
もう少し敵の様子を見合わせようではないか」
山口がこうして少し足を緩めていると、中村孫平次が三千ほどの手勢で門を破って繰り出してきた。
寄せ手は敵が出てくると見るや否や、自分が渡り合ってやろうと進み出す。
雑賀の者たちが駆け集って散々に攻めていると、また城中から大勢が打って出て、
根来寺の主力が五千ほど控えている真ん中へ無二に突きかかっていく。
根来衆は身命を押しまず防戦して、敵味方ともに一歩も退かなかったので、死人が累々と重なっていった。
少しばかり怪我を負った者たちは、岡治兵衛尉をはじめとして、多数の死人に紛れていて、
戦がひと段落した夜になって這い出し、味方の陣に帰った者も多数いた。

城中からまた後陣に続いて大勢の兵が打って出たので、雑賀や那賀郡の者たちはひとかたまりになり、
ここを最後と戦い抜いた。

攻めるのは紀州一揆勢、命知らずの荒くれ者たちである。
一方、防ぐは諸将に武威優れたる、六十余衆を掌握する大勇将である。
斬っても突いてもひるまずに、主が討たれたところで郎党はそれを顧みず、
父が討たれようとも子は助けず、ただ一足でも敵の方へ進もうと勇み、
後ろが何をしているとも、誰が敵か味方かも気にせずに、
向かってくる顔を見れば「これが敵だ」と思い、後口の方角を見ては先に進んだ味方だと思うばかりで、
黒煙を立て火花を散らして戦った。
しかしついに優劣つかず、二つの鏡が相対したような状況で、互いに左右へと退いていった。


以上、テキトー訳。続く。

本当は一度で読みきってしまいたい量なんだけど、今はこれが精一杯(byルパンザサンド)。
雑賀衆には今のところ、これといって思い入れがないので、
なんとなく流し読んでます。
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