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2012-05-02

うごめく高松近辺

ここんとこ毎日更新ができなくていつの間にか気力も削がれてるけど、
GW中はがんばる! 毎日更新する!!! いいかげんリズムつかもうぜ、私!
とりあえず四連休だヒャッホーイ! 佐倉行きたいよ佐倉!

とまあ心の箍がユルユルになってるけど陰徳記。
今回は備中高松城での攻防の直前のお話だね。


羽柴秀吉、備中の国発向のこと

右大臣信長公は、今年(天正十年)の春に甲州へ攻め入り、
武田四郎勝頼を対峙し、武田父子の首を獄門にかけた。
そのほか一族郎党をことごとく討ち果たしただけでなく、快川和尚をはじめとして、
位の高い僧侶を多数焼き殺し、それを「気分がよい」と喜んで、安土へと引き揚げていった。

北条氏政は先年から味方に属していたので、東は奥州の果ての津軽合甫まで、皆幕下に属していた。
今は長尾喜平次景勝だけが、わずか越後・佐渡を領有して、信長に従わなかったので、
柴田修理亮・佐々内蔵助・惟任五郎左衛門に二万騎を添えて、景勝を成敗するために差し向けていた。
景勝はわずか三千の勢で迎えうち、先陣の柴田、二陣の惟任には目もくれずに、
川を渡して後陣の佐々に打ってかかって切り崩した。
柴田・惟任は後ろを包囲して攻め寄せてきたが、
景勝は取って返してそれを突き崩し、数十町も追い討ちにした。

なので、その三人は信長に「景勝討伐においでください」と申し入れた。
しかし今は羽柴秀吉が中国に向かっている。当然毛利三家が後詰してくるだろうから、
わずかな兵では太刀打ちできるはずがないと、強く訴えてきていた。
信長は安土に引き揚げて待っていたので、先にこちらに加勢し、中国を支配した後に長尾を滅ぼそうと考え、
越後へは加勢を送らず、中国征伐に専念すると決めた。

羽柴筑前守秀吉は、備中・備後を切り従え、
右府信長公が到着するまでに一働きしようと、播磨の姫路の城を出た。
すると、播磨・但馬・因幡の兵たちが雲霞のごとく集まってきた。
信長から摂津勢並びに畿内の兵を援兵として差し添えられていたので、総勢六万騎にも及んだ。

また、宇喜多和泉守直家は去年死去している(天正九年二月十四日、享年五十三歳)。
嫡子の八郎秀家は当年十一歳なので、岡山の城に残し置き、
叔父の七郎兵衛尉忠家・戸川平右衛門・同肥後守・明石飛騨守・その弟勘次郎・長船紀伊守・同吉兵衛尉・
岡越前守・同平内・福田五郎左衛門・延原内蔵丞・同弾正忠・市三郎兵衛尉・同五郎兵衛尉・
芦田五郎太郎・小原入道新明・沼本新右衛門・宇喜多河内守・冨山半右衛門・沼波隼人入道如慶・
宮本四郎左衛門・同太郎兵衛尉・川端丹後守・小瀬中務少輔・明石四郎兵衛尉・中吉平兵衛尉・
延原六郎右衛門・宮本太郎右衛門・牧藤左衛門などをはじめとして、
播磨二郡、備前一国、備中・美作の両国では半国分の兵、およそ二万騎が先陣に進み、
天正十年四月上旬(十四日)、備中の国の宮路山の上にある渋櫛山へと攻め寄せて、
同日の夕方にはその勢はことごとく打ち入った。

宮路山(かわやが城)には隆景から乃美少輔七郎(弾正忠景興)が籠め置かれていたが、
敵方から城を明け渡すようにと強く言い送られると、すぐに(五月二日)空け退いてしまった。
冠山には清水長左衛門(宗治)の与力、
林三郎左衛門(重真)・鳥越左兵衛尉・松田左衛門などが籠もっていた。

秀吉は同十二日から同二十五日まで高松表に陣をすえていたので、
備前勢は「宇喜多勢が冠山を攻め落としてご覧に入れます」と強く申し出て、秀吉から許しを得た。
備前勢は四月二十五日の卯の刻、二万余騎で攻め上っていった。
はじめは「この程度の城などどうということはない」と侮って、一気に乗り破ろうと勇み進んで攻めていたが、
城中の兵たちが弓・鉄砲を間断なく撃ち出し、大敵にも少しも怯まず防ぎ戦ったので、
さしもの備前勢も怪我人や死人が多数出ると、最初の威勢はどこへやら、
竜頭蛇尾となって、一度にさっと引いていった。

城中の兵たちは大敵をしのぎ、勝利を得て、大いに喜んで休んでいた。
鉄砲の火縄を柴垣にかけておいたのだが、これは夏のはじめのことだったので、
照りつける日差しも強く、結い置いてしばらく時間がたった柴垣にはまったく湿り気がなかった。
からからに乾い柴垣など、ただでさえ火がつきやすいのに、
そこに風がサアッと吹いてきて、籬にカッと火がついた。
兵たちが「あれはどうしたことだ」と慌てているうちに、あたりにあった藁屋に燃え広がり、
すぐに猛炎が空中に迸る。
城中の兵たちは、劫火が世界を焼き滅ぼすときが来たのかと驚いて、呆然としていた。

宇喜多の勢は、「おっと、城に火がかかったぞ。
きっと城中にも逆心のある者がいて、火をかけたに違いない」と、
取るものもとりあえず、皆我先にと攻め入った。
城中の兵たちは、それでなくとも多勢に無勢でかないようもなかったというのに、
敵は火の手を見て喜び勇み、味方は炎に咽て目は霞み戦う心もうせていたので、
たちまち正面の城戸を攻め破られてしまった。
これではもうかなわないと思ったのだろう、名を恥じて義を思う者たちは一歩も引かずに、
向かってくる敵に走りかかって次々と討ち死にしていく。
雑兵たちはあちこちへ逃げ散っていったが、これも追いかけられて多数が討たれた。

そのなかで、林三郎左衛門尉・鳥越左衛門尉・松田左衛門尉は、
これまで何度も勇を顕してきた者たちだったので、
団結して一方を打ち破り、高松の城へと入っていった。


以上、テキトー訳。

オイ正矩、宇喜多勢の人員が詳細すぎないか……?
と思ったけど、吉川は宇喜多家から嫁を迎えてるから、
そりゃ嫁さんが当然宇喜多家中の人を連れてきてるよね。
岩国に移封された後も、旧宇喜多家臣だった一族がついてきてたはず。
たぶんそこらへんのつながりで、こういう場面も詳しいんだろうな。

しっかし冠山、守備の手際や威勢はいいのに、火縄の取り扱いで事故って自滅とか……まじ……orz
いやホント火の取り扱いは気をつけなきゃいけないよねっていうかwww
これは笑い話として読むべき話なんだろうかと逡巡してしまうわ。

さて次回はいよいよ秀吉が高松城を取り囲むようだよ!
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