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2012-05-12

清水兄弟の切腹

前回のあらすじ:
高松城を取り囲んだ秀吉軍と決戦と意気込む元春・隆景。
しかし敵は安易に誘いに乗らず、味方に内通者が出たとの噂も飛び交う。
このうえ信長の援軍も加わるって? もうやめて! 中国勢のライフはゼロよ!
というところに、突如秀吉から和睦の申し入れがあるも、
高松城主、清水宗治の処遇をめぐって、条件面で交渉が進まない。さてどうする。


清水兄弟自害のこと、付けたり秀吉、輝元・元春・隆景と和睦のこと(3)

秀吉は、あれこれと交渉を引き延ばして、もし信長公が惟任(明智光秀)に殺されたことが
敵陣に知れてしまったら、味方が由々しい一大事になると思った。
安国寺にさまざまな贈り物をして、また
「信長公にはよきようにとりなして、所領をたくさん与えよう」などと機嫌をとろうとした。
安国寺は、「そういうことなら、吉川・小早川に申し聞かせていたのでは、
交渉もすんなりといくものではありませんので、清水に直に話しましょう。
あの者はなかなかの義士ですから、自分のことで両陣営が和平を結べないと聞けば、
いても立ってもいられないでしょう」と、小舟に飛び乗ると城中へ急いで入っていく。

清水に対し、秀吉の言い分と元春・隆景の仰せを詳しく話して聞かせると、
清水はすべて聞き、涙をはらはらと流した。
「それにしても元春・隆景ほどの義将がこの世にいただろうか。
今両陣の勝敗を予想すると、敵は猛勢なうえ、信長が近日出張りしてくるという。
中国勢は小勢で、それに後から続く援軍もなく、中国が大敗するのは目に見えているように思う。
そこに敵から和睦しようと申し入れてきたのだから、この清水のような者など、
何人見捨てても和平するものだろうに、そうはせずに、
かえって私のために和睦を受け入れないでくださるとは、まことにありがたい。

大将がこれほど義を大事にしているのだから、兵が忠義を貫かないはずがない。
私がここで取るに足らない命を惜しみ、信長の下向を待ったところで、この命は助かるもではなかろう。
これから自害して死をもって善の道を守り、中国の危機を救おうではないか。
そうすれば忠義は後世に残り、この名も知れ渡るだろう。
両将が私を助けようとなさってご自身の危険を顧みず、和睦を受け入れないでいるこの厚恩を仰ぎ見れば、
須弥山を二十ばかり積み重ねてもなお足りない。
せめて身命をなげうってこれに報いようとも、大宇宙における一本の毛のようなものであり、
千尋の谷に一滴の水を投ずるようなものだ。
この程度で、元春・隆景の厚恩に少しでも報謝できるとは思っていないが。

私が自害をして両陣の和平を進めようと申せば、元春・隆景はきっと許してくださらないだろう。
だからお知らせせずに密かに自害いたそう。
私の命亡き後は、どのようにお考えになろうとも、死んだ者は生き返らないものなのだから、
考えていても仕方ない。そのときは自然と交渉が進むだろう」

清水の言葉を聞いて、安国寺は
「清水殿の仰せは、忠も義も勇も全備されている。
あなた様が今中国のために死にゆかれることは、節義功名は後代に残り、当世にも広く知れ渡るでしょう。
これを秀吉に報告してきましょう」と、急いで舟に乗って馳せ帰り、
清水の所存をありのまま秀吉に伝えた。

秀吉は、「なんという義士だろう。これにつけても毛利三家の政道が奥深く思える。
士を愛する気持ちが深いゆえに、士卒もまた将のためにしきりに忠をなそうとする。
去年、因幡の鳥取の城では、吉川式部少輔が士卒のために身命をなげうった。
今度は清水が両陣の和平のために、自分の大将に断りを入れぬまま自害しようとしている。
先に言ったように、諸卒の忠死は将の愛があってのものだ。
輝元・元春・隆景が良将だということはこれだけでわかる。

諺に言うように、敵にして手強い者は味方にして心強いものなのだから、
信長も常々、『毛利三家と和睦して、西国の統治のことは毛利に任せ、
自身は北狄を攻め平らげれば、天下太平の功も速やかになろう』と言っているのだ。
今わしが和睦を成立させたといえば、わしのためにもなるし、
和尚もまた多大な恩賞にあずかれよう」と言った。
信長がすでに討たれてしまったとは夢にも知らず、安国寺は、
「自分がこの調停をうまく運べば所領もたくさんもらえるだろう」と喜んで、頭を振り、笑みを漏らした。

さて清水長左衛門が自害しようと出て行くと、兄の月清入道(宗知)がこう言った。
「長左衛門一人に腹を切らせ、何の面目があって私が生き永らえることができよう。一緒に自害しよう」
長左衛門は、「これは思いも寄らぬ仰せです。
私一人が自害すれば、他の者たちはことごとく助けると秀吉は言っているのに、
意味のないことをなさいますな」と強く制した。

月清入道は、「いやいや、そうではない。
父の子供のなかでは私が長兄に生まれたのだから、この家を相続するはずだった。
しかし私はどうしても、世俗に交わり、肥馬の塵にまみれ、
残盃の冷(冷遇されて恥辱を受けること)に従うことができなかった。
真っ当でない人を見ればすぐに頭痛を起こして腹を立て、
その気持ちを抑えようとしても抑えることができずに、すぐに顔色に表れる。
独りだけで心を澄まし、独りだけ醒めた頭で渡っていける世ではないのだ。
だからこそ昔の人も、『世人が皆濁っているなら、なぜ自分もその泥を濁して濁流を巻き上げないのか。
世人が皆酔っているのなら、なぜ自分もその糟を食わずその汁をすすらないのか』と言うのだ。

私の性格は屏風のように屈曲していて、俗に従うことなどできなかった。
おまえなら我が家を継ぐ器が生まれつき備わっていると思って、
私が父に対して家督相続を深く辞し、おまえに家を譲ったのだ。
私がもしおまえに家督を預けなければ、今秀吉を相手に自害をするべきなのはこの私なのだ。
私がおまえに家を譲ったからこそ、おまえがこんな目に遭うことになってしまった。
それなのに、兄の身でありながら、他人事のように見ているのはどうかと思う。
自害をすることはすでに思い定めた。
それに私の方が先に生まれたのだから、死ぬときも先に死のう。
おまえは私の自害の様を見届けて、心静かに腹を切れ」と言った。
あとは何を言っても聞き入れなかった。

月清の子、右衛門(行宗)も、「父が自害するのを見ながら、虚しく生き残るのは孝道ではない。
同じ道を進んで、死出の山、三途の川も、手を引き肩に担いで越えましょう」と、
これも死を一途に思い定めた。
義を思って死を恐れない月清の様子は、実に月が白く輝き風が清く吹きぬけるようだった。
月清と名乗ったのも道理だと感じられる。

隆景から検使に籠められていた末近左衛門尉(信賀)も「ともに自害いたそう」と言ったが、
清水は「あなたがどうして切腹するのだ。
ここを逃れられたとしても、人々があざ笑うことなどありません。
ただ早くお帰りになり、この有様を隆景公へ報告なさい」と言った。

末近左衛門尉は、「私はこの城に籠もった当初から、
あなたがもし心変わりして信長に味方しようとしたならば、刺し違えて死のうと思い定めておりました。
それなのに今、義を守りきって味方の約束を違えずに籠城を遂げ、
さらに自害を遂げようとしているあなたを見捨てて帰ることなどできません。
敵となられたならば、その悪逆を憎んで刺し違えるつもりで、
また味方であるならば、その義に感服してともに自害しようと考えていました。
先に申したように、『この城に入ってくれ』と隆景から申し渡されてからは、
二度と本国へ帰ろうとは思っていません。
どんなにお止めになっても止められませんよ」と、笑っていた。

清水は、兄の月清父子と末近がこれほどまでに言い切られてしまうと、これ以上どうしようもなかった。
ではともに自害しようと、小舟一艘をささやかに飾り立て、
清水長左衛門がまずひらりと飛び乗ると、兄の入道月清・その子右衛門・末近左衛門尉、
並びに清水の家人三人が同乗して静かに舟を押し出した。
妻子や一族たちは最後の別れを悲しみ、「もう少し待ってくれ」と、
舷にすがりつき纜にしがみついて嘆き悲しんだ。
その心中がいかにも思いやられて、周りにいた者たちの袂も濡れた。
弘誓が舟に掉さし、生死の海を渡り、焔王の御座庁の官に赴くときもこうであったかと思えるほどで、
哀れな様子だった。

さて清水が自害するのを見ようと、敵勢たちは我も我もと出てきて見物した。
舟が秀吉の本陣に近づくと、清水長左衛門は舟の棹を止め、
「いざ、最後に一曲奏でよう」と刀を抜いてかざし、とても清らかな声を上げた。
「川舟を止めて逢瀬の浪枕、浮世の夢を見るならわしの、驚かぬ身ぞはかなし」と謡うや、
腹を十文字に掻き切る。
清水の郎党の高市允は、すでに抜いていた刀を振り上げ、時間を置かずに首を打ち落とす。
入道月清はこれを見て、「道の辺の清水流るる柳陰、暫が程の世間に、心止むるぞ愚かなる」と
赴き深い声で謡って、続いて腹を切った。
嫡子右衛門も同様に潔く腹を切って、父の死骸に抱きついて倒れ伏した。
残った二人の兵たちも思い思いに自害する様子は、何とも勇壮なものだった。

末近左衛門尉はこれをキッと見て、
「わたしは以前から乱舞は得意ではないが、ここで一節謡わなければ男がすたる」と、
太刀を抜いて提げ、舟板を丁々と踏み鳴らし、
「敵と見えしは群居るかもめ、鬨の声と聞きしは浦風なりけり。高松の朝の霞とぞ消えにける」と、
最後を少し謡い替えて、腹を掻き切って北枕に倒れ伏した。
高市允は六人の死骸を整えると、秀吉から遣わされた検使に向かって、
すべての者の仮名・実名を記したものをつけて渡した。
それが済むと、自分も腹を掻き破り、介錯する人もないので、自分で咽喉を押し切って倒れた。
数万の敵勢はこれを見て、「なんと剛の者だろう」と賞賛する声がしばらく鳴り止まなかったという。


以上、テキトー訳。まだ続くよ・゚・(ノД`;)・゚・

……・゚・(ノД`;)・゚・
久しぶりに読みながら泣いたなぁ。高市允……・゚・(ノД`;)・゚・
天晴れに切腹を遂げる人たちも素敵なんだけど、すべて高市允がかっさらっていった。
介錯を引き受けてちゃんと首も引き渡した後、自分のやるべきことをきっちり終えてから、
一人で腹切って、もう介錯してくれる人もいないから、咽喉を押し切って死ぬとか、もうね。
せつなすぎるよ。

そういえば陶さんちの伊香賀民部さんも似たようなことしてたなぁ。
陶さんを赤子のころから育ててきた側近なのに、自分の手で首を落として、
その首を敵に見つからないように隠してから、遠く離れた場所で切腹→咽喉押し切りコンボ。
離れた場所に行ったのは、近くで死ねば、自分の死骸が見つかったとき、
主君の首も探し出されてしまうと思ったからなんだよね。せつないね。

清水宗治、さすが義の人。兄の月清もいいね。
病気で家督を弟に譲ったのかと思ってたけど、性格的に当主が務まらないって理由になってるのね。
元長とちょっとかぶるなぁ。右衛門にも生きてほしかったなぁ。
末近さんもさすがは隆景が選んだ人だけあるね。
みんなかっこいいわ。言葉が見つからん。

まあ安国寺が悪どく描かれてるのはデフォなんで、そのへんは差し引いて読みたいね。
次回も安国寺が活躍しそうだよ!
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