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2012-05-22

ここがヘンだよ、信長くん!

今回は信長評の章だね。
というか信長disの章だね。
なので、信長好きな方は読まない方がいいと思います!!!


信長の噂のこと(1)

さて、左(右)府、平(たいらの)信長は古今無双の勇将であり、智もまた傑出していた。
尾張から挙兵してついに天下の武将となり、その武威は東西の諸将の上を行っていたので、
やがて日本六十余州を余すことなくその手に従えようとしていたところ、
思いもよらず、惟任光秀によって易々と殺されてしまった。残念なことだ。
しかしこれは年来の悪逆がたたり、人望にも背かれ、神にさえも憎まれたからこその結末だった。

将は勇智仁信忠を兼ね備えていなければ、天下を保って泰平をもたらすことは難しいという。
信長には智と勇が備わっていたものの、仁信忠の三つについては少しも気にかけなかった。
秦の始皇帝が、燕・趙・韓・魏・齊・楚の六ヶ国を滅ぼして天下を掌中に収めたことと同じである。
だから、自分の気に入るように甘言を弄するやからには、忠がなくても大国を与え、
またいかに忠戦を貫いた節義功名の臣であっても、
近習の奸臣に媚びへつらわず肥馬の塵を望まぬ兵には恩賞を与えることもなく、かえって讒言を信じる。
それで誅殺された者は数知れなかった。

松永弾正少弼・その子息右衛門・荒木摂津守などをはじめとして、
信長が近臣の嘘を信じ、誅殺しようとしたから、皆、
どうせ処刑されるのであれば、ただ一筋に思い切って、兵を挙げて切り死にしようと考え、
自分の城に籠もって身を滅ぼした。
佐久間右衛門尉・同甚九郎・林佐渡守・伊賀伊賀守などは流罪にされてしまった。

それだけではなく、水を渡ろうとする者の脛を切り、孕んだ女の腹を割き、
聖人の心を割ったという殷紂の無道よりもひどいことをした。
鹿を指差して「馬だ」と言った趙高の悪逆にもなお勝る。
主君の義昭卿にも難癖をつけ、怒らせるようにわざと侮蔑し、ついに遠流左遷の身にしてしまった。
それに天台山を焼いて多くの僧や子供を殺し、仏像や経巻をすべて焼き捨てた。

また高野山を滅ぼそうと、付城を数ヶ所構えていたが、
宗門の者たちが出てきて防戦していたときに、不思議なことが起こった。
その山の鎮守、天野明神の使者は白狗だったが、
衆徒たちが敵陣に向かうたびに、どこからかわからないが白い犬が一匹やってきて、先に進んだ。
衆徒たちは奇異に思って、白い犬が向かうところについていって切りかかってみれば、
敵をことごとく打ち負かすことができたという。

こうして信長は、仏法の法敵となったばかりか、主君を悩まし民を苦しめることにかけては、
唐の禄山、漢の王莽にも増していた。
男色は立派な大人を狂わせ、女色は善人の言葉さえも曲解させるというが、
森乱丸のような美少年を愛で、梅園の局・中将御華などという美人を愛したので、
功臣が諫言をしてもまったく聞き入れずに逆上する。
これでやせ細った胸を割かれ、伍子胥(ごししょ)刑に処された者は数知れない。

およそ、天下の草創を心にかけている将は、
文武両道を大事にしなければ天下を泰平にできるはずもないのだが、
信長は文徳仁政というものをまったく行わなかった。
背く者は、以後の見せしめのためだといって、すべて首を刎ねた。
それだけでなく、怨敵と所縁だとか、誰それの外戚の親類、誰々と親しいなどといって、
罪もない僧や尼に至るまで刑にかけた。
これを聞いて、近隣諸国の者たちや、敵となった者の一族や残党も皆、
兜を脱いで平身低頭し降伏しても助かるわけがないと思った。
一旦は和平を申し入れた者も、結局身の安全は保障されないことを知ってまた兵を起こすので、
諸国の動乱は止むことがなかった。

将は愛を先にもうけ、罰を後に行うべきなのに、
信長は愛和の道を少しも知ろうとせず、刑罰だけを好んで行った。
だから諸卒は、徳に懐いて忠を貫こうとはせず、ただ法外な罰を嫌って、恨みを抱くばかりだった。
仁を施し徳を行えば、諸卒はその恩に報いるために死ぬこともいとわない。
喜んで忠死する者が多ければ、戦いで勝てないはずがない。
戦に勝てば天下草創の功は速やかに達成できる。
それなのに信長は、武威を強くするには、罰を厳しくして万民に恐れられることが肝要だと思って、
民が従う善政というものを考えなかった。

もし仁徳を施し、万民を撫育する志が厚く、刑罰が明らかに妥当なものであれば、
人々はその恵みに懐いて、忠を貫くために自ら死を望み、
その罰を恐れて法に背いたり上を侮ったりしなかっただろうに、
ただ武の一面だけに拘泥したのがいけなかった。

仁才の利は、近くを治めているだけで遠くに及ぶものなのだから、
仁徳を施していれば、東の奥、筑紫の果てまでも、その徳が広く知られ、招かずとも人が来て、
幕下に属したいと申し入れてくるはずだから、戦わなくても敵国が降伏してくるだろう。
百回戦って百回勝ったとしても、善のなかの善ではない。
戦わずに敵を屈服させることができるものを明将という。
戦わずに勝つとは、仁徳で万民を従わせることにあり、刀剣の力は仁には及ばない。

刀剣の利は近くを傷つけるが徒置くまでは刃は届かないという。
それなのに信長は、文武の学がなかったので、ただ武をもって敵を滅ぼすだけで、
文をもって国を治め、民を従えるということが念頭になかった。
もし文武の学があれば、政道がこれほどまでに曲がることはなかっただろうに、
毛ほども学がなかったから、昔の聖人・賢人の教えを少しも知らなかったのだ。

せめて、学がなくても忠臣の諫言を受け入れていれば、賞罰も道理に背かないものになっただろうに、
自分が聡明だと驕り高ぶって、まったく人の諫言を受け入れようとしなかった。
それどころか、諫言をする者をかえって疎んじる始末だった。
「人は皆知恵があるというが、紛糾した難局に立たされてみると、
どうやったらそれを避けられるのかを知る者はいない」というのも、信長公に符合するようである。
見る間に火坑に落ちていくような有様が目に見えていても、
人は皆眉を顰めながら口を閉ざしてしまい、諫言をする者はいなくなった。

古代の楚の荘王が、あるとき政治を謀議したとき、群臣のなかで、王に匹敵する者はいなかった。
朝廷を出てから、荘王は憂いをたたえた表情をしていた。
申公が「我が君、どうして悲しそうな顔をなさるのですか」と問うと
、荘王は「私はこう聞いていた。世の中に聖人が絶えることはなく、賢人もまた少なくない。
自分の師を得られる者は王者となり、自分の友を得られる者は覇者になると。
今の私には才もないのに、群臣には私に及ぶ者がいない。楚国の将来はきっと危うい」と答えた。

昔の賢王はこのようなものであったのに、それに引き替えて信長はといえば、
評定のときには何事につけても、自分が言ったことに臣下がほんの少しでも逆らって一理ある諫言をすれば、
大激怒するばかりか、その後遠ざけてしまう。
またどんなことでも悪いことを聞き流し、
「我が君の仰ることがもっとも至極です」と言って少しも異を唱えない者には、
「分別があって、しかもよく心構えができた、危なげのない者だ」と言って大いに感心し、
所領を与え、宝物を授ける。

はじめは、十人中一人は忠臣の節度を守って、諫言をしていたのだが、
奸臣が立身出世を遂げていくのを見て、悪には与しやすく、鮑が魚の肆に入るようなもので、
やがて忠勤の志を捨て、主君に媚びへつらうようになった。


以上、テキトー訳。続く。

やめて! みんな正矩に石を投げないで!
ふふふ、いかにもな机上の空論感ががっつり出てくるな。
ぼくのかんがえたさいきょうのナントヤラというか、中二というか。
しかし「遠国のことだから詳しく知らない」んじゃなかったのか、正矩ェ……

まあ今回は漢文でかなり手こずってるし本当にテキトーすぎる訳だね。
たぶん文中で引かれてるのは「中庸」とかだと思う。きっついわぁ(;ω;)
自分が四書五経学んでるからといって、
信長のこと「学がない」連呼するのはどうかと思うねん。
武士の子だからそれなりの教育は受けとるでしょうに。
むしろ武士としての初期教育受けてないはずの秀吉が、陰徳記では古代中国の例を引っ張ってくるじゃん。
そっちのが違和感あるんだぜ。

ちょっとげんなりしつつあるけど、がんばって続き読むぜ。
吉川成分が足りないよ! KIKKAWA!
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