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2012-05-27

正矩の帝王学

真面目な話……読みこなせなくて日が開いてた……

信長disにかこつけて、正矩による仏教&儒教サイコー論が繰り広げられるんだが、
正直ウザい章ですじゃヾ(:3 ノシ ヾ)ノシ

そんなもんより広家出せ、元長出せ、元春の乳首出せ!!!


信長の噂のこと(3)

これだけでなく、信長はまた仏法にも帰依していなかった。
前に言ったように、仏法の敵となって天台山を焼き払い、高野山を攻めた。
また甲陽では快川和尚をはじめとして、数百人の僧を焼き殺した。

儒釈道の三徳を一つでも捨てたら良将とはいえない。
もともと、神道・仏教・儒道は同じものである。
それというのも、垂仁天皇の御時二十六年十一月卯の日の新嘗祭の夜、
倭姫の皇女が神託を受けてこう言ったのだ。
「皆、つつしんでおこたることのないように。まさにあきらかに聞け。
神代では、人の心は皆清浄で正直だった。だから罪を犯したりそれを咎めることもなかった。
しかし地神の末から、万人は心が汚くなり、根の国の底に沈んだ。
このとき、西方の天に真人が出で来て、皇天に代わって、時により法を説いた。
その者の言葉が今まさにもたらされようとしている。
これゆえに神明は託宣を止めて、如来に譲ったのだ」という神託だったそうだ。

つまり、天照大神は、教化の道を仏に譲った。
これは神慮と仏意が一致しており、東西天千里に普遍的なことだからだ。
また八幡大菩薩の託宣には、「昔は霊山に住んで法の真髄を説き、
今は宮中にあって大明神として姿を現す」ともある。
それに八幡大菩薩は、阿弥陀観音三尊の勢至菩薩として出現している。
これで殿内に三尊を安置するようになったとか。
悲華経には、「私は入滅したら、悪しき世の中に大明神として現れて、広く衆生を導く」と説かれている。
これを考えると、神明と仏陀は、根本では一体なのである。
神国に生を受けた者は、神明を敬うことは言うに及ばず、仏教も大事にしなければ、
たちまち神罰仏罰を蒙るだろう。

仏法に帰依するのは、つまり神慮を崇敬するのと同義である。
神道を敬うのは、仏教を信仰するのと同じである。
信長が天台山を焼いたのは、山王権現の神慮を恐れても余りある。
さらに高野山を滅ぼそうとしたので、天野の明神の冥罰をたちどころに蒙ったのだろう。
昔の人は、「三教の法を守れば、人を、悪を改めて善に向かわせ、邪を撥ね返して正に帰すことができる。
また儒教は正しい教えを説き、道教は尊う教えを説き、仏教は広く教えを説く。
三教は、天の三光、世の三綱、県の三足のようなものである」と言った。
夫子の黙識録の一貫、顔子(顔回)の心斉坐忘、老子の抱一守、朴荘子の鵬?、
逍遥世尊の拈華微笑、達磨の得皮得髄、これらは皆同じことを指しており、別の問題ではない。
孝宗皇帝も「仏教で心を治め、道教で身を治め、儒教で世を治める」と言ったという。
だから、三教のうち一つでもかけていれば、名将とはいえないのだ。

なかでも、仏教を滅ぼそうとして、かえって自分自身が身を滅ぼしてしまった恰好の例がある。
ケイ賓国王は獅子尊者の首を刎ねたがゆえに、臂から先が自然と落ちてしまって、七日目に命を失った。
後魏の大武は、大平真君七年に像や経典を焼き、僧たちを生き埋めにした。八年に雷に打たれて倒れた。
大武は雷撃にあって死にかけていたところを、常侍の宗受によって殺された。
北周の武帝は、建徳二年に像や経典を壊し、僧たちを殺した。宣政元年にらい病を患って死んだ。
唐の武帝は会昌五年に仏法を虐げ、六年には武帝の背中に疸が出て、狂い患ったすえに崩御した。
また柴周の世宗皇帝は仏教を迫害し、自身の手に斧を持って、大悲の銅像の胸に斧を打ち込んでを打ち壊した。
帝は後に疸が胸にできて死ぬことになった。
宋の徽宗は宣和元年に仏法を乱し、靖康二年に敵に都を破られた。

また我が国では、守屋大臣が仏法を排斥しようとしてその身を滅ぼし、
平相国清盛は、南都を攻め、東大寺などの伽藍を焼き滅ぼすと、たちまち高熱に犯されて死んでしまった。
南都討手の大将である本三位中将重衡は、易々と生け捕られて京鎌倉に引き渡され、
ついには南都の衆徒の手にかかって死に、臆将の名を後世に残した。
木曽義仲は明雲僧正を殺したが、はたして江州の粟津野で、深田に馬をで駆け入り、
流れ矢に当たって無念にも討たれてしまった。
最近のことでは、松永弾正少弼が大仏を焼いて、霜台父子は信長によって滅ぼされてしまった。
こうした前車の轍をまったく顧みずに、信長は仏敵法敵となって、
多くの伽藍・仏像を破壊し、僧や尼を殺し、悪逆が累積したので、
家人の光秀によって、無残にもあっけなく討ち取られてしまった。

一方、仏道に帰依した人はどうか。
梁の武帝は仏教に耽溺して、同泰寺に行き、衣をまとって袈裟をつけ、自ら放光般若経を講釈した。
仏心天子と人に呼ばれたということは、噂に聞いただけでも耳が洗われるようである。
ひたすら座禅を組み、鐘を衝き、一日中念仏や法華の題目を唱え、後生のことを思って常に念珠をつまぐり、
菩提の営みを行うだけというのは、もっとも戒めるべきである。
外では孔子・孟子の教えを守って、天下を治め万民を撫育し、内ではまた仏教に帰依し、
慈悲の心を起こすように、とのことだ。
仏家に十八地獄を示し、十方の仏土を説いて諸人を導く。
地獄では牛頭・馬頭、五色の鬼たちが鉄の棒で亡者を攻め立てる。
極楽では蓮華の上に座して美味なものを飲み食いでき、百錬の黄金のような仏になり、
妙なる香の煙に鼻腔をくすぐられる。

仏が機に従って法を説いたのは、すべて悪を退けて善に帰そうとしたためである。
四十年以上に及ぶ説法も、突き詰めれば善を勧めるためである。
もし悪を退けて善に立ち返れば、十万億土の西方浄土に遠くなく、弥陀となれる。
大祖大師は「自性が平等であればこれは仏の一念であり、
邪険であればすなわち衆生(凡夫)である」と言っている。
また龍舒は浄土文の序に、「阿弥陀仏はあなた本人の性を映す。
極楽浄土はあなたの心の中にある」とも書いている。
また、「この人の心が清浄であれば、仏土法も清浄である」と、昔の人は言っていた。

将というものは、仏を求める心ばかりがはやって、来世のことばかりに身を投げ打ち、
政道の善悪の取り沙汰と離れて、武道が廃れていくままにしてしまうのも、また慎むべきことである。
しかし、まったく仏道を捨ててしまえといっているわけではない。
仁義礼智信の五常は、仏家の五戒に結びつく。
殺さずの教えは仁のこと、盗まずの教えは義のこと、邪ならずの教えは礼のこと、
酔わずの教えは智のこと、乱れずの教えは信のことである。
だからこそ先徳はこう言っている。
「百家之郷、十人五戒を持てば、すなわち十人淳謹。千室の邑に百人が十の善を行うときは、
すなわち百人が和睦す。それよく一善をおこなうときは、すなわち一悪去り、
一悪去るときは、すなわち一刑を息め、一刑は家において息め、万刑は国において息む。
だから私がよく仁を教えに説くのは、国を治めるのを補うことができるからだ。
仮に、もし人々が五戒をもって十善を修めれば、国家は刑罰を用いなくても済むようになるだろう。
ただ座っていても平和は保たれる」

このように言い置かれているので、仏教もまた治国の根本である。
だからといって、他に仏を求め、法を改めなければ、どうして治国撫民などができようか。
ただ自分を振り返って心頭に一点の塵もなく、明鏡のようであれば、おのずと五常はその上に備わっている。
エンニャダッタのように自分の頭を探したり、牛に乗りながら牛を探すようなことはしないほうがいい。
本分をきちんとこなしていれば、五常は自然と備わってくる。
将は将の法を明らかにし、兵は兵の法を正し、農夫・漁翁やそのほか一切の民が皆心を清浄にして、
自分の道に励んでいれば、それこそ仏果への縁となるであろう。


以上、テキトー訳。つ……続くの? 嘘でしょ??

まあ……こうした論調が、江戸初期の思想だったと思えば……たぶん文化人類学的には……
ちっともおもしろくねーよ! ウワーン><。

逃避してチラ読みしてた九州立花陣に著しく心惹かれつつ、
つっかえつっかえながら、少しずつこの章を読み進めるぜ。
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