FC2ブログ
2012-06-01

光秀の皮算用

ぎゃわわ、変なところでマシンが落ちたー><。
強制シャットダウン、心臓に悪いわ。でも途中までデータ残ってたのが唯一の救い。

さて、最近手紙を読みたい欲がウズウズしてるわけだけれども、
落ち着いて陰徳記読み流すよ!
今回は、信長が殺された後の筒井順慶の様子だね。


筒井順慶、羽柴秀吉と一味のこと

筒井四郎入道順慶は、昔は源三位頼政に与して宇治橋で一騎当千の勇をなした
筒井の浄妙明秀の末裔である。
数年前に松永弾正が謀反を起こして自害してからは、大和一国を信長から与えられていたので、
先祖にも前例のない国主となって、その栄華に浸っていた。

信長が惟任光秀によって討ち果たされたと聞くと、
大和から総勢五千余騎で打ち出し、八幡山の麓に陣を構えた。
中ノ坊飛騨守をはじめとして家之子を皆呼び集めた。
「さて、今回光秀が謀反を起こし、信長を討ったことは、実に悪逆の至りである。
あれこれと論評する意味もない。
なので、私は信長の厚恩に報いるために、光秀に向かって一矢報いるつもりである。

しかし一歩引いて考えてみると、私がこのように出世して山と一国の主となれたのは、
ひとえに光秀が信長公へといいようにとりなしてくれたおかげなのだ。
私は光秀にも言語に尽くしがたい恩をかけられている。
恩を知っているのが人であり、それを知らないのが畜類だ。
光秀に協力しないのもまた、禽獣と同じ身となってしまう。

また主君を討った輩に与せば、私もまた謀反の同罪を免れることができない。
主君の恩に報いようとすれば、骨肉同胞より親しい朋友のことを考えていないことになる。
朋友の盟約を破るまいとすれば、八逆の罪を身に受けることになる。
いくら嘆いても嘆き足りない」と、
ああすればいいのか、こうすればいいのかと頭を悩ませて、
「どうする、どうしよう」と家人に向かって意見を求めた。

しかしどちらにしても、何が是で何が非なのかも判別しがたく、皆口を閉ざしていた。
酌に回っていた中西小次郎は、そのとき十七歳だったが、手にしていた銚子をそばに置くと、
かしこまって口を開いた。
「是非や得失がわからないことなら、こうして会議評定を開くものなのでしょうが、
これほど白黒、分明、理非が歴然なことを、ご家老衆まで判断できず、
考え込まなければならないのでしょうか」

これを聞いて、座の中で年をとった翁が、
「小童めが、出過ぎたことを申すな。たかだか椰子(蘇鉄?)ほどの大きさなのに、
ずいぶんと大口をたたくものだ」と罵倒した。
そのとき順慶は、「いやいや、そうではない。
年をとっていても少年であろうとも、何の差があろうか。
何でも思うところがあれば、残さず申してみよ」と言った。

中西は、答えて言った。
「そうおっしゃるのでしたら。
惟任が主君の御前でよく取り成したからこそ、大和一国を拝領なされました。
この厚恩にはなかなか報いることはできません。
しかしだからといって、主君の怨敵であっても惟任に味方すると仰るのはどうかと思います。
主君のお志がなければ、惟任が何を申しても、恩賞など与えられることはなかったでしょう。
その恩の深さを比べれば、恩を与えてくださったことといい、深く恩を垂れてくださったことといい、
どちらが深いなどと考えていても、話が進むわけではありません。これが一つめ。

さて、君臣の道を貫かれること、盟友の道をもお守りになることは、
これもまた同列に考えることではありません。これが二つめ。
また、主君を討った逆臣を討ち果たして忠臣の名を獲得なさるか、
主君を殺した大悪人に味方して末代まで悪逆の名を残されるのか。これが三つめ。

そして合戦の勝敗を推測すると、信長のご厚恩を受けた者たちを数え上げれば、
羽柴筑前守秀吉・柴田修理亮勝家・滝川将監一益・佐々内蔵助(成政)・蒲生飛騨守(氏郷)、
その他にも数知れずおります。
この者たちが皆一味同心して惟任を滅ぼそうとすれば、光秀は一日も安穏としていられません。
羽柴・柴田が自分たちの手勢だけで戦ったとしても、どちらにしても光秀より兵の数は多い。
智も勇も優れていますので、光秀は十中八九は滅びることになるでしょう。
ましてやこの諸将のなかで、複数人が心を合わせて、主君の恩に報いようとすれば、
光秀は必ず亡ぶことになりましょう。これが四つめ。

そして天の照覧を推察すると、八逆の罪を犯した者を守るでしょうか。
忠戦を貫く者にこそ味方なさるでしょう。これが五つめ。
また世の人の心を察すると、忠臣に与するのか、逆臣に与するのか、
これもまた申すには及ばないことだと思います。これが六つめ。

このほかの道理を申しても限りがありません。
実に若輩者の私の才智をもってすら、是非ははっきりしていると思うというのに、
お歴々が皆閉口して時がすぎるばかりなのはおかしいと思います。
以上、心のままに、思ったことを残さず申し上げました」

これを聞いて、順慶は手をパンと打って、
「実におぬしの言うとおりだ。私はもう六十にもなるというのに、この程度の理に迷っていたとは。
皆も心の中で少し反省するといい。
中西が今言ったことはすべて、この者が言ったわけではない。
春日大明神が小次郎の胸裏にお入りになって、私に教えてくださったのだ。
ありがたいことだ。実にもっともである」と賛同すると、秀吉に味方することに決めた。

さて、秀吉に与することを知らせる使者には誰がいいかと話していると、また中西が提案した。
「私が参りましょう。それというのも、当家の大身の者が参った場合、
千に一つでも惟任が勝利した場合、筒井殿から重臣の誰々が秀吉への与力の使者に行ったとわかれば、
御家の大事に至りますから、それは避けたほうがいいでしょう。
その使者には中西という小冠者が参ったといえば、
人は『このような大事な使者に、この程度の者は使わないだろう。
筒井が秀吉に与したというのは嘘に決まっている』と考えるはずです。
大身の衆は、世間でも人が見知っていますから、責任を取らせても利はありません。
私なら、埋木の人知れぬ身ですから、後で責任をかぶるという使い道もあります」
順慶はこれを聞いて、「確かにそうだ」と、すぐに中西を秀吉に向ける使いに立てた。

惟任はこんなことも知らずに、「筒井はきっと私に味方してくれるはず」と思い、
使者をもって「お味方になってくださり、御出張のこと、大変喜ばしく思います。
天下泰平の功を速やかになしたならば、御領国のほかでも、お心に任せて差し上げましょう」と伝えてきた。
筒井は使者に対面して、「八逆の罪の大悪人に味方する者などいるはずがない。
とにかく一戦のうえで、委細の返事を申そう」と返事をした。
惟任は思いもよらないことにただ呆然としていたが、
細川越中守(忠興)は婿なのだから同心してくれるはずだと思い、使者を送ったが、
ここでも取り合ってもらえなかった。
そして、「これはどうしたことだ」と大騒ぎをした。


以上、テキトー訳。

中西……いやに活躍するな。吉川家と何か接触でもあったのかな。
それはそれとして、信長を殺した後、いろんな人にそっぽ向かれてしまう光秀の様子は、
ちょっと背筋が寒くなるね。
というか、事を起こす前になぜ根回しをしておかないのか。
根回しは大事だぞーって、会社の先輩が言ってるよ。私も社会で働いてて、実際そう思うよ。
このタイミングで、光秀に同心する面子がけっこういれば、
歴史は又違った様相を呈していたんだろうね。

さて次回、信長の息子のお話~。
スポンサーサイト



検索フォーム
カレンダー
05 | 2012/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
訪問者数