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2012-07-05

式部・兵部「ふたりはプリ○ュア!」

すみません、タイトル……プリ○ュア知らないのに調子に乗りました。

前回のあらすじ:
毛利の九州出征、手始めに裏切り者の長野が籠もる三ツ嶽を屠り、立花城を取り囲んだ毛利勢。
しかし大友宗麟は兼ねて用意していた大軍12万を引き連れて後詰に向かう。
侍大将の戸次入道道雪は、到着早々の一戦を望む奈須軍兵衛入道などの意見を容れて、
毛利の背後へと進み、まず一陣を打ち破って敵を恐怖させようとしたのだったが。


筑前の国立花の城取り囲むこと、付けたり大友勢後詰のこと(下)

先陣には大友駿河守・奈須軍兵衛入道・深津七右衛門・赤尾・中山など五千余騎が立つ。
第二陣は矢部助右衛門・秋友式部少輔・橋宇津・今江などが一組ずつ分かれて備えていた。
そのほか本城・杵月・古沢といった者たちが、「今日の合戦で奈須一人に高名させるものか。
我らも中国勢に勇のほどを見せ付けてやりたいものだ」と、
奈須より先に一陣を攻め破ろうと進んだので、豊後勢十三万は我も我もと中国勢の陣へと攻めかかった。

吉川・小早川両将は、前もって軍法を出していたので、
中国勢は他の陣を気にすることなく、自分の担当箇所に出て防戦した。
向城のように構えた陣なので防戦しやすく、豊後勢は弓・鉄砲に射立てられて、怪我人や死人が多数出た。
豊後勢の中でも奈須は、今朝の自分の言葉を重く考えたのか、もしくは自分の勇を過信したのか、
小早川勢の椋梨三郎左衛門の陣を攻め破ろうと、息も継がずに攻め近づいてくる。
芸陽勢も、このままではここが突破されてしまうと思って、命を顧みずに一心不乱に防戦した。

奈須たちも、ここを攻め破って面目を保ちたいと勇み、射られても切られても少しもひるまずに、
怪我人や死人を踏み越えながら攻め続けた。
敵・味方あわせて二十万騎に及ぶ大軍なので、互いに撃ちかける弓・鉄砲の音が、
まるで百や千の稲妻が雲を突き破って大地に落ちてくるように轟き渡り、
打ち違える刃の切っ先から、臆兆の電光石火が迸った。

さて先陣に進んで軍勢に下知をしている兵を見ると、色は真っ黒で目が鋭く釣上がり、
頬骨が高く隆起して顎が長く反って、左右の腕には猪のように毛が生えている。
肩より上が人よりぬきんでて高く見えるほど背の大きな男で、籠手や臑当てまで真っ黒な鎧をつけていた。
毘沙門天の木像を黒漆で塗ったかのように見える。
これが第一陣の戦将奈須軍兵衛と名乗り、三間の鑓を軽々と引っさげて、
攻撃のたびごとに真っ先に進んで攻め戦い、敵兵を数多く突き殺しながら、
ここを最後とでもいうように振舞っていた。
伝え聞く治承・文治の昔の、筒井浄妙の宇治橋の合戦、武蔵某弁慶の衣川の戦いぶりもかくやと、
人々は皆舌を巻いていた。

奈須は自分一人での大事な局面だと考えて奮戦したが、その身は鉄や石ではないので、
心は猛々しく奮い立っても、たくさんの弓・鉄砲に狙い撃ちにされ、うつ伏せに倒れてしまった。
中国勢はこれに力を得てドッと突きかかっていったので、後詰の兵たちは一町ほど引いていった。

ここで、吉川勢のなかから吉川式部少輔経家・香川兵部大輔春継の二人が二人連れ立ってこの陣にやってきて、
鑓を合わせて防戦していたが、敵がさっと引いていった後に、
一丈ほどある岸の陰に、武者が一人倒れていたのを発見した。
香川は敵だと思ったので首を取ろうと走り寄ったものの、
「いやいや、ここは敵・味方が入り乱れていたところだ。
もし味方であったなら、首を取ってしまえば、これからの武名の傷になる」と考えて、
またこれから敵が引き返してきて鑓衾を作って懸かってくるのを見て取り、
早く駆けつけて一番に鑓を入れようと思ったので、その武者を打ち捨てて向かってくる敵に対して駆け出した。

式部少輔がそれをキッと見て、「どうした兵部大輔、そいつは間違いなく敵だろう。
首を打ってしまえ」と言うと、兵部は
「たとえ敵だったとしても、すでに死んでいるのだから、首をとっても大して意味がない。
これから懸かってくる敵に馳せ合わせて一鑓入れることにする。
猛虎は卓に乗せられた肉には見向きもしないというだろう」とふざけながら、
二人で一緒に深津の勢に馳せ合わせて真っ先に鑓を入れた。
「エイエイ」と声を上げて戦っていると、これを見て椋梨も無二に突き掛かっていく。
こうして勝色が濃厚になってくると、備後勢も多く続いてきたので、さしもの豊後勢も押されぎみになった。

小早川衆のなかに、小泉与市という者がいた。
きわめて背の低い男だったが、勇の猛々しさは六尺の大男よりもなお優れ、
人より先に進んで戦っていたが、あまりに鑓を強く突きすぎたために、
下り坂を思わずよろよろと走ることになってしまった。
敵はその鑓を打ち払い、首を掴んで引き寄せて無手と組む。
これを見て敵は寄ってたかって下の谷へと引きずり下ろし、与市を押さえ込んで首を取った。
芸陽勢はあまりに戦い疲れたので少し息を継いでいた。
豊後勢も第二陣と第三陣が入れ替わるかと見えたが、
何を思ったのか金の団扇を持った武者が一人駆けてきて、味方に下知をすると静かに兵を引き上げていく。
中国勢がこの後を追おうとしたものの、隆景様から「一人として後追いをするな」と下知があったので、
それを守って皆自分の陣へと引き揚げていった。

児玉周防守の郎党で、もともとは豊前の長野の手勢だった者がいたが、
陣に引き揚げる途中で奈須の死骸を見つけ、奈須の顔を見知っていたので首を打って差し上げた。
香川兵部大輔はこれをキッと見て、
「大力殿、その武者は先ほど私も首を打とうと思って、一度は押さえたのですが、
もしかしたら味方かもしれない、明らかに敵だという確証がないと思って、打ち捨てて通ってきたのです。
さては敵であったのですな。あなたは見知っているのでしょう。
誰なのですか。姓名をお聞かせ願いたい」と言った。

その者は、「これこそ九州では知らない者がいない、血気の勇者、奈須群兵衛殿でございます。
きっと今日の合戦の大将だったのでしょう」と、服の上についた金の札を取り出したのを見ると、
「奈須軍兵衛入道、生年六十三、五月五日討ち死に」と書いてあった。
「間違いなく奈須なのだろう。なんと大強の者だろうか」と、感心しない者はなかった。
その昔、斎藤別当(実盛は髪や鬚を墨で染めて、その名を北国の故郷にまで轟かせた。
この奈須軍兵衛は一枚の金札に姓名を記して、その勇を九州の戦場に残した。
四百余年の年月がたったとはいっても、その名誉は同等だといえる。


以上、テキトー訳。おしまい。

春継……逃がした魚は大きかったのぅ。
経家と春継が仲良くしていると嬉しいなぁ。プリ○ュアは適切なたとえかどうかわからんけどもw
元長にとってこの二人は、水戸黄門における助さん・格さんのようなイメージがある。
式部・兵部でゴロもいいし。

そして奈須さん……あんた漢だな。
秀吉の九州征伐のときもそうだけど、九州の兵は姓名と討ち死に(予定)日を書いたものを
何かしら身につけてるよね。そういう土地柄と理解すればいいんだろうか。
それとも勇の優れた男たちと解釈すればいいんだろうか。
でも今回の奈須さんに関しては、敵を怯えさせるのが目的なんだから、
自分が討ち死にしちゃダメだと思うの(´・ω・`)

さて次章はまたまた合戦だよ! イイヨイイヨ~軍記物らしいよ~(*´∇`*)
やっぱり戦争の描写は血が滾るね!

それと余談ですが、ツイッターの診断メーカーというやつで
「吉川家に仕えたー」を作成してみました!→ http://shindanmaker.com/246115
その日の任務と同行者を診断します。不備が多いので徐々に拡充予定!
ツイッターアカウントなくても診断できるはずなので、よければ遊んでみてください!
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