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2012-07-08

抜け駆け吉川勢「ヒャッハー!」

前回のあらすじ:
立花城を取り囲んだ毛利軍の背後に詰め寄る、大友の後詰12万騎。
緒戦は退けたものの、大友側は身命を賭して決戦を挑んでくる。
三つの陣がとりわけ厳しく攻め立てられ、吉川衆の香川兵部・吉川式部などといった人々は、
元春の命令を待たずに、劣勢の楢崎弾正忠の陣へと忍んで駆け出し、激戦に身を投じた。


五月十八日の合戦のこと(2)

楢崎弾正忠は、自分の陣を破られるまいと行動を慎み、危ない戦をしなかったので、
自分の陣に押し寄せてきた敵なのに、よその勢に先を越されてしまったのを口惜しく思い、
真っ先に突いて出た。
すると岡又十郎・児玉内蔵丞・小早川衆・磯兼左近太夫・粟屋雅楽允・兼久内蔵丞・
河井新右衛門・小田新右衛門が続いて懸けてくる。
これを見て、先に戦って息を継いでいた吉川勢は、また一緒になって突いて出た。

この場所は立花の木の丸殿(斉明天皇の行宮?)にも近かったからか、
敵も味方も名乗りを上げながら攻め戦った。
芸陽勢は数は少ないといっても、高所から敵を見下ろして突いてかかっている。
後詰の勢は毎度のように突き立てられ、足並みが乱れそうになりながらも、
大勢なので押し返し、入れ替わりながら攻め上った。
千や万の旗が東西に入り乱れて、鯨波(鬨の声)や矢を放つ音が乾坤鳴動し、
上は帝釈天の耳にも届き、下はどっしり構えた地の神も仰天するような騒ぎだ。

敵も味方も関係なく、一騎当千の精鋭・勇士だったので、
進んで死ぬことを名誉だと思い、退却して生き延びるのを恥だと考えていた。
切られても射られても少しもひるまずに攻め戦い、死骸が山となり、流れる血は川となる。
白川と名のついた川も、紅葉の淵と成り果てて、
唐暮れないに水くくる竜田川の秋の暮れが「神代も聞かず」と詠まれたのも、こうしたことかと思い出された。

こうして敵があまりに激しく射立ててくるので、岡又十郎が泥障(あおり、馬具)を楯に突き立てると、
香川兵部大輔は「運は天にあるという。楯を持っても意味がない。重いだけだ、捨ててしまえよ」と諫めた。
岡はカラカラと笑って、遠くへガバッと投げ捨てた。

こうしたとき、敵の後陣からドッと鬨の声が上がり、
先陣の兵を押しのけて「エイヤ、エイヤ」と前進してくる者がいる。
ハッと見ると、その者たちは上野主殿助・同佐介と名乗って、
命の危険を顧みずに真っ先に進んで一直線にぶつかり合って戦う。
これで中国勢が崩れだしたので、このままではこの陣が破られてしまいそうに見えた。
そこに吉川式部少輔・香川兵部大輔・岡又十郎・磯兼左近太夫・楢崎弾正忠・
粟屋雅楽助・山県宗右衛門・江田宮内少輔・山県四郎右衛門・香川雅楽助などが踏みとどまって、
鑓先から火花を散らして攻め戦う。

境与三右衛門・同又平・荒木又左衛門の三人は、太刀だけでも一歩も引かずに、
「エイ、エイ」と力強い声を上げながら突き合い、切り合い、戦った。
どんなに攻められても、この堅陣が破られるようには見えなかった。
磯兼左近太夫は敵の突く鑓を股の間に挟み、敵が「ここだ」と跳ね上げようとするのを、
下の谷へと撥ね落とした。
このとき江田宮内少輔・境与三右衛門・同又平は、敵の首を打って高くかざした。

元春様は遠目にこれを見ていて、
「あの紅白の混じった段々の羽織を着ているのは吉川式部少輔、白い羽織は香川兵部大輔、
赤い羽織は岡又十郎のようだ。忌々しいやつらだ。
下知がない限りは一人も敵に懸かっていくなと、あれほど堅く制法を出したというのに、
軍法破りを顧みないとは、不敵なものだ。
私が法令を正し、下知もなしに抜け駆けした者は、あるいは首を刎ね、
または一所懸命の所領っを没収すると周知してある。
それなのに、この固く定めた法を知りながら、こんな振る舞いをするとは、まったくあきれる」と憤った。

しかし、もとから赤い羽織は敵・味方の矢傷・切り傷から流れる血に染まり、
何度も何度も紅に染めたように見え、白い羽織は唐紅に染まっていたので、
「我が手の者ながらなかなかやるではないか」と思ったのか、
莞爾と打ち笑って、余所見もせずに見守っていた。

戦いはこの日の朝辰の刻(午前八時ごろ)から始まり、
未の刻(午後二時ごろ)の終盤までせめぎ合いが続いていた。
敵・味方ともに、討たれた者や傷を負った者は幾千万と数知れない。そ
ろそろ日が傾いてきたとき、豊後勢は戦い疲れたのか、少しひるんだ。
そこに芸陽勢が「ここで一気に巻き返すぞ、者共続け」と、鑓・長刀の切っ先を揃えて無二にかかっていく。
豊後勢はすでに引き色になっていたうえ、この攻撃で上野主殿助・同佐介・楢尾・
柴沢何某といった者たちが一歩も引かずに、三十余人枕を並べて討ち死にしたので、
さしもの豊後勢も七、八段ほどさっと退却した。

これは大崩になりそうだと見えたところに、後陣の吉広などが押し返してきて、
芸陽勢もまた取って返して備えを固める。しかし息を継いでいるのか、豊後勢が進んでこない。
芸陽勢も、一日中入れ替わる兵もなく、また引こうとすれば敵が付け入ってくるのは目に見えていたので、
思わず眩暈を覚え喉が乾き息が切れたけれども、引くにも引けずに戦い続けていた。
敵が引いていったのをこれ幸いと、膝の上に鑓をドウと置いて、大きく息をついて休んだ。
敵はこの陣はとても破れないと思ったのか、後詰の兵たちは一隊ずつ順繰りに引いていった。
これを見て、芸陽勢も陣中に引き揚げた。

さて吉川勢は打ち連れて帰途に着いたが、香川兵部大輔は境与三右衛門尉に向かって、
「山県宗右衛門は鑓を持っていなかったが、誰の鑓で突いたのだ」と問いかけた。
境は「あなたの手の者の塚脇が討ち死にして捨てた鑓を拾って突き合ったのだ。
塩首に手鞠ほどの大きさの四手の鑓印がついていたが、それを小刀で切って捨てた後、
山県と名乗って鑓を合わせていた」と答える。
このころは他人の鑓で突いたものは自分の鑓働きとは認められなかったので、こうしたのだという。

香川はこれを聞いて「これほどの乱戦で敵も味方も見分けがつかない状況だったというのに、
よく小刀を抜いて四手を切り捨てたものだ。
それに、何かと忙しいなかで、境殿もよくぞそんなことに気がついたな。
釈尊が花をひねったときに迦葉が微笑なさったというのも、こうしたことと同じだろう。
色でも香りでも、知る人ぞ知る、というのはまさにこのことだ。

強い将の下に弱兵はないという。
元春様が大の勇将でいらっしゃるから、家中の人々も皆、心の持ちようが半端でなく強い。
近年坂東で名高い、甲斐の武田入道信玄、越後の長尾入道謙信という大剛将や猛将の部下の人々も、
千里同風というから、きっと同じようなものだろう。
中国・四国・九州の兵の勇は十分わかった。
願わくば武田・長尾といった強敵と手合わせして、勇のほどを確かめたいものだ。
碁は相対すれば実力がわかるというが、大友という強敵に対しても一通り勇を顕されたのだから、
武田・長尾の猛々しい兵と相対すれば、鷺喉が肉を求め、
針頭が鉄を削るかのようになるだろう」と大いに感心した。


以上、テキトー訳。もうちょい続く。

わぁい、経家の陣羽織は紅白段々、春継の陣羽織は白、ちぃ覚えた!
うそ、メモメモ……(トリ頭だから忘れる><)

いいなーいいなー。元春かっこいいな。
「軍法無視しやがってこのドアホウ」なんて言いつつ、
「うちの奴らもなかなかやりおる」とかヤニ下がってんでしょ。
かっこいいというか可愛い。
そして遠くから脇目も振らずに見守る元春。まるで慈母のよう(*´∇`*)
まあ軍法破りは名物というか、抜け駆け禁止はほとんど守られたためしがないじゃない、吉川衆は。
通常運転だぁねwwwww

こういう肉薄したガチンコの合戦は死人が多く出るけど、
なかなか読み応えがあるね!
春継がいっぱい喋っててものすごく嬉しい!

んでもって元長は何やってんのかというと、次回あたりに登場しそうだ。楽しみ!
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