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2012-07-14

広家の初陣@児童向け読み物

章の途中で別の話を挟むのは気が引けるけど、
先日発見した80年ほど前の小学校の教科書に載っていた広家の話が
ものすごーーーーーーく可愛かったので、今日はそちらをご紹介。
堪え性がないとは私のことだ。フヒヒ☆サーセン_ノ乙(.ン、)_

ほとんど訳す必要がないので、旧仮名遣いを現代様式に改めたり、
送り仮名や表記を整えるにとどめてお送りしますぜ。
手抜きwww


初陣~十歳でたって出陣をのぞんだ吉川広家

元亀・天正のころは、日本国中、あっちでも戦、こっちでも合戦という、
勇ましくもまたさわがしい時代でありました。
その元亀元年正月、吉川元春は、出雲の尼子氏を攻めることになりました。
いよいよ出陣ということに決まると、その子で、やっと十歳になったばかりの又次郎が、
父の元春のところにやってきて、
「私も戦に連れていってください。一方のさきがけをいたします」
と、健気にも頼みました。

元春は、又次郎の勇気のあるのを喜びましたが、十の子供では、手足まといにこそなれ、
戦の役には立たないと思いましたので、
「お前はなかなか偉い。けれども、戦場はどうしてどうして恐ろしいところだよ。
お前はまだ小さいから、恐ろしい戦場へ出て働くことは、とてもできるものではない。
まあまあ、もう三四年まっていなさい」
といって許してくださいませんでした。

「戦場で一人前の働きができるかできぬか、行ってみなくてはおわかりにならないではございませんか。
私は、きっとできると思います。ぜひ連れていってください」
押し返してお頼みしましたけれども、元春は笑っていて、どうしても許しません。

又次郎は、それが不平でなりませんでした。
どうしても、諦めきれませんので、今度は兄の元長に
「どうか兄さんの軍勢の中に入れて、連れていってください」とお願いしました。
元長は、悪いことではないと思いましたが、
父さんのお許しのないものを、勝手に連れてゆくわけにはゆかないと思い、
どうしたらよいか、母さんにご相談いたしました。

これを聞かれた母さんは、さすがは名ある武士の女だけあって、たいそう腹を立てられて、申されました。
「弓矢とる家に生まれた子は、小さくて竹馬や破魔弓の遊びに気をとられているときでも、
なだめたりすかしたりしてまで、戦場に連れてゆくが当たり前ではございませぬか?
それを、そのように自分から進んで出陣したがっているものを、
わざと押しとどめて、望みをかなえさせてやらないというのは、
どういうお考えでございますか、私にはとんとお心がわかりませぬ。
けれども、武士の子の教えかたというものは、そういうものではなかろうと存じます。
…………ぜひとも、又次郎に華々しい初陣をさせてやってくださいと、
お前からよく父さんに申しなさい」

元長も、母さんのおっしゃることがもっともだと思いまして、その通り父さんに申し上げました。
「母も兄も当人も、そろってその気ならば、差し支えはあるまい」
というので、元春もようよう許してくださいました。

元亀元年正月十六日、とって十歳の又次郎は美々しい小桜縅の鎧きて、
意気揚々と初陣の門出をしたのでございます。

それから数々の戦いに手柄を立て、元春・元長が続いてなくなった後は、
名も広家と改めて吉川家の跡取りとなり、秀吉時代の名高い大名となりました。


以上。
『三年生の修身』(学校家庭学年別模範児童文庫) / 安島健 等編[他] (大阪宝文館, 1930) P159~164

これは近代デジタルライブラリーで公開されているので、
気になる場合はアクセスしてみてください。
児童向けの簡単な挿絵もあってかわいい(*´∇`*)
小学生の道徳の授業でこのお話が読まれていたなんて……!
「父さん」「母さん」「兄さん」て呼び方もかわいいよおおぉぉぉぉぉ!

この内容をツイッターで呟いたら、フォロワーさんから返ってきた反応が
「母ちゃんかっこいい!」多数だった。広家の話なのにwww でも私もそう思う。
新庄局……熊谷家の武闘派っぷりパネェwww
他の武将にもこうした逸話はあるだろうに、あえて広家をチョイスしてくれた筆者の方に
畏敬の念を禁じえない、とのご指摘もありまった。
うん、そうですね……ホントありがてえ(*;∇;*)
吉川家の家族の絆は日の本一やでぇ~~~~!

ツイッターといえば、最近ものすごい奇跡を体験したかもしれない……
別の話なので続きに書きますw

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