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2012-07-18

鹿たちの失敗?

昨晩はマシンの強制シャットダウンで打ち込んでたテキストがぶっ飛んで自棄になり、
今日は操作ミスなのか更新できないまま入力文が消えた……ぐれてやる。
というかPC、まじで買い替え時な気がしてきたねwww

さて陰徳記、毛利が九州で大友とドンパチやっているときに、東方で不振な動きがあったようですぞ。


尼子勝久出雲へ入らること(下)

さて山中鹿介・立原源太兵衛・真木宗右衛門尉・同与一・吉田八郎左衛門・同三郎左衛門・
横道兵庫助・牛尾弾正忠(信久)・同大炊助・三刀屋蔵人・遠藤神九郎などが京都に馳せ集って会議をした。
「このごろはあちこちから浪人が集まってきていて、大将がいなくてはとてもまとめきれない。
どうしたものか」と話し合っていた。

「新宮党の尼子式部大輔(誠久)の三男は、父が晴久に殺害されたとき、まだ幼子だった。
これを乳人が抱きかかえて逃げ出し、備後の徳分寺の僧を頼っていったのだが、
ここは毛利の領国なので、ずっと隠れていられるわけがない。
それで京へ上って、今は東福寺にいらっしゃる。
他の者たちよりもずば抜けて聡明だというから、この人を還俗させ申して、
大将として仰ごうではないか」と一決すると、すぐにこのことを当人へと申し入れた。

すると「私もこれまで、毛利家を滅ぼして尼子家を再興したいと、心から思っていたのだ。
皆がそう言ってくれるならば望むところである。
光武は赤眉を滅ぼして漢の家を再興したという。私たちもそれをやり遂げよう」と大いに喜んだ。
山中・立原がすぐにその人を東福寺から呼び寄せると、還俗させて、尼子孫四郎勝久と名乗るようになった。

勝久は、再び尼子家の大将と仰がれるべき器量が生まれつき備わっていたのか、
力量も技の早さも他を圧倒している。
一通り太刀の奥義を極めた者が木刀で切ってかかると、中に踏み落とし、素手でその者を捕らえる。
また二人で打ってかかってみれば、畳を跳ね上げて、その部屋が何百畳敷きであろうが、
また四畳半の小座敷であろうが、畳の下をくぐるように歩いて、一太刀も喫することがなかった。
また塀沿いに五、六間ほど走ってから、また七、八間ほど離れて座っている者に声をかけて打つときには、
相手がまだ立ち上がらないうちに、素早く丁と打つ。
伝え聞く九郎義経が、鞍馬の奥の僧正ヶ谷で、太郎坊・次郎坊などという者たちに伝授されたという秘術も、
こうしたものであったのだろう。
勝久は、まさに大将の器だと感じない者はいなかった。

さて勝久を大将として、山中鹿介・立原源太兵衛・横道兵庫助・同権允・真木宗右衛門尉・
吉田三郎左衛門・同八郎左衛門尉・川副右京亮(久盛)・同三郎左衛門尉・同次郎左衛門・
目黒助次郎・米原助十郎・川坂助太郎・力石九郎兵衛尉・平野加え兵衛尉・同源介・宇山弥次郎・
三吉五郎左衛門・同神二郎・小林神介・青砥助二郎・日野又五郎・大塚弥三郎・大野平兵衛尉・
日野助五郎・福山内蔵丞・中井与次郎・片桐治部丞・江見源内左衛門などが但馬へと下り、
垣屋播磨守を頼って奈佐日本助の海賊船に乗り込むと、
永禄十二年六月二十三日、出雲の国の島根群忠山(美保関町)へと到達した。
名字のある侍は六十三人、雑兵は三百あまりに対して、勝久は、
「今回は国入りである。尼子家に恩顧のある兵たちは、早々に味方に駆けつけるがよい」と叫び、
夜中に三度鬨の声を上げた。

これを聞いて、国方に残っていた兵たちからは、大庭の大宮司秋上三郎左衛門(綱平)・
その子伊織助(庵介)久家が二百余騎で一番に駆けつけた。
森脇市正(久仍)・横道源介・疋田右近・同右衛門尉・原田弥六郎・松田兵部丞(誠保)・
熊野兵庫助(久忠)・同二郎・馬田長左衛門・桜井与八・浅山六郎・田原右兵衛尉など、
屈強な兵が七百余騎、騎馬でこれに加わった。
大山の宗門の教悟院も三百余騎、中井平蔵兵衛尉(久家)・同助右衛門・加藤彦四郎・寺元市允・
進左吉兵衛尉・高尾右馬允・同宗兵衛尉・目賀田采女允・同段右衛門・福山次郎左衛門尉・同弥二郎・
長森吉内・日野の一族、熊谷(くまたに)新右衛門・池田与三郎・相良助九郎・比田十郎太郎・
徳吉孫九郎なども、五百余騎でともに加わってきたので、五日のうちに総勢三千余騎にまで膨れ上がった。

さらに隠岐守為清が隠岐から船に乗って三百余騎で漕ぎ渡り、勝久の国入りを祝した。
その後為清は、山中・立原に対してこう言った。
「私は近年毛利家へと従っており、元就から隠岐一国を賜っております。
しかしながら、私にとってはまったく不本意なことでしたが、我が家を続かせるために、
仕方なく甘んじておりました。
そこへ今回の勝久様のお国入りです。どれほど待ち望んでいたことか。
昔からのよしみとはいえ、ご一門から爪弾きにされても仕方ない身ではありますが、喜びを抑え切れません。
隠岐一国さえ間違いなく安堵していただけるならば、先陣を承り、身命を投げうって忠戦を貫きましょう」
鹿介・源田兵衛尉はこれを聞いて、「その通り勝久様に申し伝えよう」と会釈して、
忠山に仮屋をしつらえ、陣幕を張って、三百余人をことごとくもてなした。

さて為清が忠山を辞して去ろうとすると、鹿介は為清に向かって、
「あなたがおっしゃっていたことは、そのまま勝久に申し上げます。
昔からのよしみ、一門の契りを忘れず、早々に味方に加わってくださったのは、実にご芳志の至りです。
なので、隠岐一国は毛利と変わらずにあなたに預け置きたくはありますが、
ご同名の三郎五郎が近年流浪しており、我らに付き従って忠志を貫いてきたので、
本国の隠岐は、この者に宛行うことになるでしょう。
だから為清には、この国を平定した暁には、出雲・伯耆の中で、どこの地なりとも望みに任せ、
これまでの所領の倍を差し上げることにしましょう。決して粗略に思っうことはありません」と言う。
為清は「特に望みはありません。どこでもいいので、私に相応の小さな郷をいただきたく思います。
とにかく、お味方に参ったうえは、土地の選り好みなどいたしません」と、
何でもないように言い放ったが、このことを侵害に思ったので、最終的に心変わりをしたとのことだ。

鹿介にもし智があれば、まずは為清の望みに沿って隠岐一国を与えると約束していただろう。
そうすれば為清も味方に忠志を厚くしたに違いない。
そしてもとからの怨敵の毛利家を滅ぼしさえすれば、中国は自ずと手に入る。
それからなら、為清は何とかなだめすかして、どこか別の土地を所領として与えるならば、
少しも異議はなかっただろう。
まだ出雲の半国さえ切り従えていないのに、「隠岐の国は誰に与えよう、これに与えよう」などと、
為清の望みを受け入れなかったのが間違いである。

為清がたとえ敵方であっても、「本国の隠岐の国を宛行うから味方につけ」と招くべきだったというのに、
幸いに自ら味方に与し本国を望んでいるだけだというのに、どういうことだろうか。
少しも思い悩むことなく、すぐに与えると約束すべきだった。
それを許さなかったのは、愚痴の至りである。
これほど愚かで、敵を誘い衆を手懐ける策謀さえも知らない尼後家の者たちが、
どうして毛利家を滅ぼせるというのだろうか。あまりにひどい話である。

その後、勝久は三千余騎を率いて、国中を打ち従えようと、
新山(松江市)に籠もっている田賀左京亮(元龍)・同吉六を攻め落とし、
末次の土居を構えて勝久が籠もった。
次は天野紀伊守隆重が籠もっている月山冨田城を攻めるべく、宇波・山佐・布部・丸瀬、
そのほか数十ヶ所の向城を構え、毎日足軽を出して競り合った。
こうして一ヶ月の間には、出雲において六、七ヶ所の城を攻め落とすと、
一国はすべて手の内に入り、伯耆・石見の兵たちも味方に内通を図ってくるようになった。
尼子の武威が飛龍が天にいるかのようになると、靡かない草などなかった。


以上、テキトー訳。この章はおしまい。

なんかwww
お飾り大将ではあるものの、身体能力とかが賛美されてる勝久に比べて、
中心の鹿ちゃんが「愚か」ってwww 憎しみが滲み出てるぞwwwww
そんなにsageたくなるほどに強敵だったのかと思うと、いやなかなかw

せっかくの転機の章なんだけど、前述の出来事でスネているので、
感想とかまともに述べずにドロンする! もうやだ・゚・(ノД`;)・゚・
今週は夜も何かと忙しいので更新できるかわかりませんが、
気長にお待ちいただけると幸いです。

次も続きの章を読む予定。
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