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2012-07-21

大友・尼子タッグ!

今日は短いやつ二本立て!
じりじりと、宿命の対決が始まろうとしているよ!
イイネ:+*゚。(`・∀・´)。゚*+:


真木宗右衛門のこと

山中鹿介が京都にいる間に、大友金吾入道宗麟へと飛脚を遣わし、
「尼子勝久が本国を取り戻しに行きますので、元春・隆景をそちらの国で滅ぼしてください。
勝久は、元就・輝元を芸陽で討ち果たします」と談合していた。

今回また真木宗右衛門尉を豊後へと向かわせ、
「出雲一国を切り従え、残る月山冨田城も追い詰めています。きっと近いうちに落城するでしょう。
ですから元春・隆景に帰国させないようにしてください」と言い送ったが、
尼子の運が尽きたのか、真木はその途上で船が転覆して死んでしまった。

また吉田三郎左衛門を遣わして、美作の足田・市・三浦、備前の宇喜多へと、
味方をするようにと催促すると、皆尼子家に同意すると返事をしてきたので、勝久は非常に喜んだ。
これを聞いた出雲・伯耆の国人たちは、さらに勇んで付き従ったので、いや増しに兵の数が増えていった。


庄式部少輔合戦のこと

大友勢は、この永禄十二年の五月から立花の後詰をして三度も合戦に及んだが、
特に何が変わったわけでもなかった。
これを口惜しく思ったのか、同七月二日、豊後勢は古沢右馬允・姫嶋閑斉などの五千余騎が、
備中の国の住人、穂田の庄式部少輔元祐の陣へと、鬨をあげて切ってかかった。

元祐はなかなかの古つわものである。
「中国には私に勝てる者はいないだろう」と豪語するほどの者なので、
手勢の七百騎をひとまとめにして、ドッと切って出る。

寄せ手もしばらくは応戦して戦線を支えていたが、元祐はこれを難なく追い立て、
山の下までまくり落とす。
けれども敵は猛勢なので、押し返して山の上へと追い上げる。
追い上がれば追い落とす。
汗が滝のように流れ出てもなお四、五回も戦い、
ついに元祐は戦いに勝って鬨をあげ、陣中に入った。

敵が引いた後で、元春・隆景から、「今日の元祐の戦いぶりは、実に勇壮であった」と、再三称えられた。


以上、テキトー訳。

鹿ちゃんも騙されているばっかりじゃないんだぜ!
あれこれ手回しして味方もたくさん引き入れるし、大友と手を組んだりしちゃうんだぜ!
パーフェクト鹿ちゃん! ※馬鹿にしているわけではなく、なんとなく私の中で鹿のイメージが迷走中
ゲリラ戦仕掛けてくるだけじゃないから、手を焼くよなぁ、これは。
ぜひとも自分のところに引き込みたい元春の気持ちがじわじわとわかってくる……

大友との対陣の方も、なかなか大変だね。
この段階ではまだ立花城は落ちてないっぽいし。
元祐、カッコイイなぁ(*´∇`*)
7月だよ。夏真っ盛りだよ。暑さで死ねるよ!
そんななかで長時間の合戦……見物さえ参加したくないw

さぁて次章は。次々と国人衆が尼子に寝返るお話のようだよ。
タイトル見ただけで鬱だね!
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2012-07-21

尼子再興軍VS月山冨田!

打ち込み終わって更新ボタン押さずに寝てしまったあああぁぁぁぁぁ!
アホだwww

さて陰徳記。
尼子再興軍が始動したところで、じゃんじゃん仲間を集めている勝久・鹿チームに対して、
今回は月山冨田城ではどんな反応だったかというお話。


天野紀伊守、敵を方便ること

天野紀伊守為清は、わずか三百ほどで冨田の城に籠もっていたが、
どうにかして尼子と一戦して敵の強弱を確かめようと思った。
しかし、敵はすでに六千余騎にも及び、対して味方はわずか三百騎なので、
下手に合戦をして敵に利をつけては、かえって愚の骨頂になると、思いとどまった。
「しかし今こうして私がこの城にいながら、軽く一戦でもしないで城に籠もってばかりでは、
まるで武略が足りないようではないか」と、ひそかに秋上庵助のもとへと試写を遣わした。

「勝久がこの国へお入りになって、あちらこちらの城を攻め落とされたので、
皆御手に属して、兜を脱ぎ旗を巻く者は幾千万と数知れません。
ですからこの隆重が一人でこの城を守ろうとしても、
蟷螂が隆車を遮る(カマキリが前足を振り上げて大きな車に立ち向かうこと、
無謀で身の程をわきまえない意味)のたとえに等しいではありませんか。
それにこの城はとりわけ、尼子家にとっては数代の間家城でありました。
私の望みを受け入れていただけるなら、この城を明け渡しましょう。

毛利家を滅ぼした後、私の現在の本領に加えて、
どこなりとも五万貫の所領をいただけるのであれば、お味方に加わります。
そうはいっても、ここで何の抵抗もせずに城を明け渡してしまえば、私のこれまでの武名が汚れ、
ずっと大臆病者のそしりを受けることになるでしょうから、それも口惜しい。
芸陽の吉田に置いている妻子も皆首を刎ねられてしまうかもしれないので、それではあまりに不憫です。
ですからどうか策謀をめぐらして、妻子の命を助けたいと思います。

そちらの兵たちを切岸まで詰め寄らせていただければ、私は防戦しかねた振りをして、詰の丸に退却します。
それで和平を結んで城を明け渡し、芸陽へ帰って妻子を自分の城へ移してから、
尼子の発向を待ち受けて、国中で旗を挙げます。
このことを勝久に仰せになっていただき、勝久が了承してくれるのであれば、
早々に兵を差し向けてください」天野がこう言い送ると、秋上はこのことを鹿介に話した。

山中は、「これこそ天が与えてくださった好機だ。
天野が味方に加わって城を明け渡せば、この国に敵城は一つもないのと同じだ。
そうすれば伯耆も残らず手に入るだろう。
尼子を再びこの国の主にしようという杵築大明神の計らいに違いない」と喜んで、勝久にもそれを伝えた。
すぐに秋上庵介を大将として、疋田・遠藤・岸・池田・相良・有村などの二千余騎が冨田の城に押し寄せ、
非常に険しい七曲を一息に攻め上がり、切岸に着くと、ドッと鬨の声を上げた。

以前からの取り決めなので、天野は防戦するふりをして退却するだろうと、寄せ手がすっかり油断している。
隆重は「敵をまんまと騙しおおせてやったぞ」と喜んで、
弓・鉄砲をそろえると、矢間を開けて散々に撃ちかけた。
秋上が想定外の攻撃にあい、「さては騙されたか」と慌てふためいているうちに、
早くも死傷者が数百人も出てしまったので、一旦退却しようとする。
とそこへ、天野紀伊守隆重は、「いい時分だ。切って出よ」と下知をして、
三百余人を前後に立て、七月初旬の朝霧にまぎれて、鬨を上げ鑓衾を作って突いて出る。
さしもの秋上も予想だにしていなかったことなので、
まったく戦線を維持することができずに大勢の兵を死なせつつも、
自身はどうにか命からがらその場を逃れた。

鹿介をはじめとして、皆「天野めに騙されて大勢死なせただけでなく、
浅い智略で敵の思う壺にはめられたと、人々の笑い種になるとは口惜しい」と、歯噛みして悔しがった。
今回討たれた者は、岸与九郎・相良新三郎をはじめ十七人、
負傷したのは岸左馬進など六十余人に及んだそうだ。


以上、テキトー訳。

天野さんの「方便」て……最初はわりと本気だったりしない?
本当に尼子につくつもりじゃなかったの? それで時が経ってから思い直したとか……ちがう?
まあこんな方便がまかり通るんだから、世の中なんて信用できないよね。
ままある手だったのかな、こういう方便。

それはそれとして、今回気になった箇所は、「天野隆重の妻子が吉田にいる」というところ。
つまり人質ですよねっていう。
子供や重臣の子をを人質に送るのは把握してたけど、今回初めて「妻」ってのを見たわ。
妻子を証人として出府させるってのは、どうしても江戸幕府のイメージが強くて、
あと思い浮かぶのは、朝鮮出兵時に秀吉が大名の妻を上洛させたこと程度。
妻を証人にすることも、もっと以前から、習慣や制度としてあったのかな。
けっこう簡単に連れ帰れるようだから、城を預かっている間だけの措置なのかもしれないけどさ。
統治システムも、連綿と続いてきたものを土台に成り立ってるんだなぁと、ふと思った。

さて次章も引き続き、尼子の動きを追っていくようだよ。
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