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2012-07-24

天野、奮闘す

さてさて九州ではやっと立花城を落としたようだが、まだ大友の後詰の大軍に囲まれてっぞ!
というころの?出雲情勢。
勝久・鹿介たちがそりゃもうたくさんの国人衆を味方につけちゃった。
月山冨田城を預かってる天野隆包は「味方になる」と嘘をつき、尼子勢の一隊を誘い込んで撃破。
でも尼子勢はずんずん数増してんだ。悲しいけどコレ戦争なのよね~(・ε・)


雲州冨田の麓合戦のこと

さて、山中鹿介・立原源太兵衛尉は、先日天野隆重に騙されて多数の兵を失ったことに憤っていたので、
「こうなったら味方から伏兵を出し、敵を騙して討ってやろう」と考えた。
そして同十七日、山中鹿介。立原源太兵衛尉・牛尾弾正忠・秋上庵介など一千余騎は、
浄安寺の中に陣をとった。

「三ヶ所に伏兵を置いて、城中から山の下の田を刈ろうとする者が出てくるとときに、
足軽をけしかけて殺そうとする。
きっと天野はこれを討たせまいと山の下へ出てくるだろう。
そうしたらこの浄安寺から出て行って一戦し、いかにも弱そうな降りをして敵が追ってくるように仕向け、
浄安寺に誘い込んで、そこで伏兵を起こし寺の中に閉じ込めて一人残らず討ち取ってやろう」と企んでいた。

山中たちが夜中から兵を動かして伏兵を三ヶ所に配置し待ち受けているところへ、
天野隆重は夜中に斥侯を放ち山の下を見張らせていたので、「伏兵が三ヶ所にいる」と報告があった。
城中から弓・鉄砲を手に手に提げ、ヒタヒタと忍び足で山を下っていき伏兵の真ん中に弓・鉄砲を撃ちかける。
伏兵たちはひとたまりもなく、散り散りになって逃げていった。

山中・立原も浄安寺から駆け出て戦ったが、難なく押し立てられて退却した。
これを見て隆重は待っていたとばかりに静々と打ち出で、足軽を七、八十人ほど前に立てて追いかける。
牛尾弾正忠は、白い帷子まで肌脱ぎになって引き返し、これに渡り合って追い払った。
天野の足軽衆の神代の何某という者が名乗って真っ先に進み、
敵が押し返してくるとさっと引き、敵が引こうとするとまた跡を追う。

尼子勢が足軽を追い払って討とうとすると、天野が後陣に備えて控えているので、なかなかそれもできず、
また足早に引こうとすると、先に散っていた天野の足軽がハエのようにむらがって追いかけてくる。
牛尾は、「味方が口ほどもなく退却して敵に利をつけてしまったから、
合戦が思うように行かないではないか。
私が後詰であれば、あの天野を追い立ててやるものを」と、
目を怒らせ歯噛みをして後陣に下がり防戦した。

これで尼子勢は虎口の難を逃れ、岩坂から引いていった。
天野も「これまでだ」と思ったので、やがて兵を引き揚げさせた。
このときは敵を十四人討ち取ったとのことだ。
山中・立原も、その後は天野の器量智謀を侮りがたく思って、
ただ遠巻きに攻めて勝負を決する一戦には打って出なかった。


以上、テキトー訳。

天野さんてば、たった数百の手勢でがんばってんなぁ。かっこよす。
対して尼子勢はわちゃわちゃしててかわいい(*´∇`*)
たぶん実際には必死こいてたのは天野の方だと思うんだけど、
そこはそれ、吉川の軍記だからいーじゃない。

そりゃそうと、元春や広家を称揚したのは子孫なり家臣なりだってわかるんだが、
景さまはいったい誰が称揚しはじめたんだろう。
いい評判しか聞かないとこ見ると、景さまageの仕掛け人は名プロデューサーだったよね。
だって子孫もいないのに、これだけ爆ageってのも珍しい。んじゃないかと思う。うん。
子孫いないといえば秀吉だけど、秀吉は天下人だしな。
外征してるから明治~戦前まではイメージアップ強化されただろうし。

そんなことを気にしつつもとりえず放置しておいて、
次章もまたまた合戦なり~!
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