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2012-07-27

鹿飛び出し注意

山中鹿介・立原源太兵衛尉たちが尼子勝久を奉じて出雲に入ると、次々と味方に降ってくる付近の国人衆。
月山冨田城は攻め落とし損ねるも、出雲の原手での合戦でも、
豪将小田を相手に勝利を収めたよ! この勢いはとどまるところを知らないのか。


出雲の国美保関合戦のこと(上)

さて、山中・立原などが原手表の合戦に難なく打ち勝つと、
その報を聞きつけて尼子に付き従う勢力は格段に増えた。
こうなれば勢いに乗って石見へと討ち入り、佐波・益田といった者たちの家城を攻め落とそうか、
と話し合っていると、伯耆の国大山の宗徒である経悟院のもとから使者が送られてきた。
「どうか早く伯耆の国に来てください。
この国にはお味方しようという気持ちのある者が多数いますから、
お出ましになれば、ばらばらと御手に属しましょう。
経悟院が先陣を務めますので、杉原の家城を攻めましょう。
岩倉は備前の牢人たちが攻め落とします」と言ってきたので、
山中・立原は大いに喜んで、「それなら伯耆へ討ち入ろう」と決めた。

あちらこちらの城郭に籠め置いていた軍勢を一ヶ所に集め、三千余騎で伯耆へ旅立とうとしていると、米子の浜の民家からおびただしく煙が上がって、勢いよく立ち上る炎は天を焼くかと思えるほどだと報告が入る。
山中らが「それはおそらく、住民の失火ではあるまい。
伯耆にいる敵が攻め寄せてきて、民家に放火したに違いない。
幸いにも隠岐守が美保の関にいるから、手痛い合戦をしているかもしれない。
もし敵が押し寄せていたなら、隠岐守に力を合わせよう。様子を見てこい」と足軽たちを向かわせた。
戻ってきた足軽たちは、「伯耆の者たちの仕業でもなく、また住民の失火でもなく、
隠岐守が反逆しました」と報告した。

山中たちは、「隠岐守め、憎い行いをするものだ。
それなら伯耆へ向かうのは後にして、まず隠岐守を攻め滅ぼしてやろう」と合戦の軍議をした。
「隠岐の勢も七、八百はいるだろう。
そのうえ一戦しようというつもりで待ち受けているはずだから、勝負の決着をつけてやろう。
合戦に勝利することは疑いないとはいっても、ここで手勢を多く失えば、
再度戦いを挑もうにも力が足りないはずだ。

さあ、船に乗って一晩で片付けてやろう。
隠岐為清は、おそらく陸側から攻められると思って、山の手ばかりを堅守しているはずだ。
そこに我らが夜半に船から上陸して、隠岐が備えていない海辺から鬨をあげて切り入れば、
隠岐は不意を突かれてひとたまりもなく、素っ裸のほうほうの体で逃げ惑うだろう。
散った兵をあちらこちらで追い詰め、一人残らず討ち果たしてやろう」と、
まるでその場に臨んでいるかのように会議した。

すぐに近辺の船を探させると、折悪しくたいした船がなく、ようやく八艘の小船が手に入っただけだった。
大勢は乗せられないので、軍兵たちの多くを残し置き、
山中・立原・横道・松田・遠藤・疋田など四百余人が船に乗り、美保の関へと向かった。

一方、美保の関の隠岐守も、きっと敵が攻め寄せてくるだろうと予想してはいたが、
船手から攻めてくるとは思いも寄らなかったので、山の手が重要だと考えていた。
それで真野ヵ嶽の聖返しというところへ三百余人の手勢を向かわせ、向陣を固めた。
隠岐隠岐守為清自身は他の四百騎を従えて、美保の関にある古い禅寺に陣を構え、
敵が来たらそこに向かって有無の一戦をするつもりだった。
これで毛利家への忠勤の証が立ち、今回尼子へ与した罪を帳消しにできると、
弓の弦を締めなおし、矢束を解いて待ち受けていた。

山中鹿介・立原源太兵衛尉・遠藤神九郎・疋田右衛門尉など二百五十余人は、
一番に船を着けてひらりと飛び降り、隠岐守の本陣目指して押し寄せた。
町屋に火をつけ鬨の声を上げて寺に向かうと、寺にいた者たちは驚いて、
隠岐兵部少輔・中畑藤左衛門・真野三郎左衛門・中畑忠兵衛尉・田平市允などが
ドッと突いて出て散々に防戦した。

出雲勢のなかでは原田孫六が一番に鑓を入れ、勇み進んで戦っていたが、
胸の板が外れたところを突かれて討たれてしまった。
寺中の勢がこれを見て大いに勇み、鑓衾を作ってまっすぐに突いて出ると、
山中・立原たちは突き立てられて美保の関の明神目指して引いていく。
残った軍兵たちは皆、船に乗ろうと渚を目指して逃げていった。
隠岐勢は端武者などには目もくれず、山中・立原を討ち取ろうと、
明神の鳥居の前に迫り、階段で追いついた。

鹿介は、もう逃れられないと思ったのか、立ち止まって太刀を抜きかざして待ちかける。
中畑藤左衛門が鑓で渡り合い、籠手の外れや草摺の隙間を突こうと、散々仕掛けてせり掛ける。
鹿介は剣技の達人なので、柄の長い三尺以上ある大太刀を打ち振るって、
中畑の鑓を打ち払いつつ切り結んでいたが、中畑の突く鑓を背後に流すようにして塩首を掴んで引くと、
中畑が足元へうつ伏せに倒れてきた。
山中は「やった」と太刀を振り上げ、首を打とうとして丁と切る。
しかしこの一撃は階段の石に当たってしまい、目釘のところからぽっきり折れて、
刀身があらぬ方へと飛んでいってしまった。

藤左衛門の後から続いてきた中畑忠兵衛尉はこれを見て、
鹿介が脇差を抜こうとしたところに、長めの槍で突いてかかった。
鹿介は太刀が折れてしまってはどうしようもなく、とにかく後ろの山に入ろうと、足に任せて逃げていった。
立原もしばらくは戦っていたが、勝てそうにないので、鹿介とともに山の中に入っていった。

隠岐勢が逃すまいと追ってくると、鹿介は
「立原殿、こうなっては逃げられるはずもない。討たれてしまうくらいなら腹を切ろう」と言う。
立原は「なんと思慮の浅いことを言うのだ。戦というものは、勝も負けるも時の運だ。
負けても恥辱にはなりません。どんなときでも、死ぬのは容易いもの。
命を全うして、この鬱憤を晴らそうではないか。自害はもう少し待ってくれ。
どうしてもかなわないときには、二人で手と手を取り合って、刺し違えようではないか」と諫めた。
すると鹿介もそれがもっともだと思ったのか、さらに山奥深く逃げていった。


以上、テキトー訳。続く。

いやぁ、鹿介……味方にしても厄介だな、この人w
なんつーか、目的が定まってないというか、思いつきで行動してるように見えるのは、
もし私の気のせいじゃなかったら、きっと正矩のせいということでひとつ←ひどい

三千も兵がいて、船に乗せられるのが数百なら、
信頼できる仲間に数百の手勢を預けて隠岐守討伐に向かわせればいいんじゃない?
鹿介自身が船に乗ってく必要なくない?
船手から奇襲させて混乱させたところに、山の手から挟み撃ちすればもっと確実なんじゃない?
と、ど素人の私が思うわけだけれども、
この鹿が前の章で呉子を諳んじてた人と同一人物には思えないわけさ。
つまり鹿介のキャラクターが迷子というか。

鹿ちゃんのことで「ほほぉ」と思ったのは、実際の元長の手紙で、
鹿介のことが「鹿」と一文字で書かれていたことだったな。
たぶん「鹿」だけで通じてしまう何か強烈なインパクトがあったんだろうな、と。
そういう人なら、軍記物でキャラが迷子でもしょうがないよね☆テヘペロ

あ、そうだ。立原と鹿のコンビ、イイネ(゚▽゚*)

そんなわけで次回も続きだす。
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