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2012-07-28

大波乱の美保の関

前回のあらすじ:
石見に攻め込もうと考えていた鹿介たちは、伯耆からの誘いに乗って進路を伯耆へと変更した。
しかし程近い美保の関で火の手が上がり、隠岐為清の反乱だとわかったので、これを鎮圧することに。
山の手から攻めてくるだろうと予想しているであろう隠岐の裏をかき、
寄せ集めの小船で浜手から襲い掛かる鹿介たち。
しかし本陣にいた兵たちに切り返され、鹿介・立原は山の中への逃走を余儀なくされる。


出雲の国美保関合戦のこと(下)

このとき横道源介・同権允・松田表部丞はというと、
州崎で船に乗ってあれこれとしている間に時が過ぎてしまい、最初の合戦には間に合わなかった。
ようやく船を漕ぎ着けると、町の方から味方の勢が崩れ出てくる。
「どうしたのだ」と問うと、
「鹿介殿・源太殿は合戦に負けなさって、生きているのかどうかもわかりません。
皆はどうにかここまで逃げてきたのです。
敵が大勢、関の明神の方へ追いかけていったので、
きっと鹿介殿・源太殿もそこでどうにかしているのでしょう」と答える。
横道・松田は、「なんと口惜しいことだ。
臆病神に取り憑かれて、我らを待たずに退却するとは口ほどにもない」と味方を押し立て、
総勢百五十人ほどで、町の外れから鬨を上げると、為清の籠もる門前へと押しかけていった。

隠岐守の勢はほとんどが山中・立原を追いかけていったので、
このとき寺に残っていたのは、わずか二十五人ほどだった。
しかも敵がまた攻め寄せてくるとは思いも寄らず、
まったく油断していたところに突然敵がかかってきたものだから、寺の者たちは非常に慌てふためいた。
寺本の一族二、三十人ばかりが、大門を破られまいと、身命を惜しまず防ぎ戦った。
横道兄弟は短兵急に攻め破ろうと、揉んで揉んで攻め入った。

こうしたところに、備後の国の住人、長森与一という者が弓を取り直し、
横道の鑓脇で敵に向かって散々に射掛けていたたが、もどかしく感じたのか、
弓はどこかへガラリと捨て、太刀を抜いて切りかかり、たちまち敵を一人切り捨てた。
横道たちはこれに勇気付けられて、「進めや者共」と勇み進んで突きかかっていく。

ここに、真野ヶ嶽・聖返しに配備していた隠岐勢が、急いで走り戻ってきた。
鬨の声や矢の鳴る音が谷に響いてしきりに山彦が響くので、寺の方で戦いが始まっていると気付いて、
敵を追い払おうと鬨を上げ、「エイエイ」と声を出して駆け下ってくる。
隠岐勢はこの声を聞いて、味方とは思いつかずに、
敵がまた山の手から攻めてきたと勘違いして、寺の中へと引いていく。
松田・横道はこれで力を得て、息も継がずに攻め入った。

隠岐守為清が「もうこれまでだ。自害しよう」と鎧の上帯を引き切ろうとすると、
一族の若党たちは、「ひとまずお逃げください。もう一度兵を整えて、この鬱憤を晴らしましょう」と
無理矢理手を取って引き立て、小船を一艘見つけ出して為清を乗せた。
そして漕ぎ出そうとすると、皆我もわれもとその船に乗ろうとする。
それを払うために太刀・長刀で切り払っているうちに、敵に討たれたわけではなく、
味方に切られて水中で溺死した者の数は百人に及んだ。
立原・山中を追っていった兵たちは退却しようもなくなったので、皆山中へと逃げ隠れていた。

さて立原・山中はといえば、とある藪の中に隠れていたが、
二度目の合戦に打ち勝ったと聞いて喜びを抑えきれずに走り出してきた。
「横道兄弟・松田の武勇のおかげで敵を挫けたばかりか、二人の十死一生の命も助かった」と、
手を合わせて喜んだ。

そして翌日、水練に長けた者を使って渚を突かせていると、
船に乗ろうとして切り払われ、そこで死んだ者が六十三人見つかった。
これらの首を取って美保の関の浜に並べ、また山の中に籠もっていた兵四百余人は生け捕りにして、
喜びの鬨を三度上げた。
その四百人の者は、命は助けたものの太刀を奪っておいて、大根島へと捨てておいた。

鹿介は「梨打烏帽子に赤熊の毛皮をつけた兜を着けた兵は討つな」と下知していたが、
すぐにその兵も生け捕られた。
その姓名を聞くと「中畑忠兵衛尉」と答える。
鹿介は「敵ながらも比類のない働きだった」と、太刀や鎧などにいたるまですべて返し渡し、
「今度の武勇は群を抜いていた」という感状を添えて、隠岐の国へと送ったのだった。

その後隠岐守はまた出雲へと渡っていき、
「先日謀反を企てたのは、隠岐の国はいただけないとの仰せでしたので、
一度この恨みをお知らせするためにしたことなのです。
大根島の者たちの一命を助けてくださいましたから、また以前のようにお味方に加わって、
忠戦を貫きたく思います」としきりに詫び言を述べてきたので、鹿介はこれを勝久に伝えた。
そして四百余人の者たちは命を助けて国へ返し、為清は美保の関で切腹させて、
その領国は約束どおり三郎五郎(景房・清家)に与えた。

勝久は合戦の様子をあれこれ尋ねて、横道兄弟・松田を大いに称揚したが、感状は出さなかった。
これは、横道・松田に感状を与えれば、山中・立原が恥ずかしく思うだろうと、
二人の心中を思いやってのことだった。

鹿介はこのことを伝え聞くと勝久の御前に急ぎ参上し、
「これこれこうしたわけで横道・松田に感状をお与えにならなかったと聞きました。
これはいいお考えではないように思います。
賞罰をはっきりさせなければ功臣が離れていくと聞き及んでおります。
賞すべきを賞さなければ、兵たちもやる気が出ません。
兵がやる気を出さなければ、戦でも勝利することができません。
戦に勝利できなければ、国が滅ぶではありませんか。
どうか早く横道・松田に感状をお出しになり、禄を与えてやってください。

また立原や私が最初の合戦に打ち負けて命からがら山の中に逃げ入ったことは、
私はまったく恥だと思っておりません。勝も負けるも世の習いです。
たとえにするのも恐れ多くて気が引けますが、かの聖徳太子も一度は守屋の逆臣に打ち負け、
源頼朝も土肥の杉山の合戦ではたった七騎になるまで打ち負かされて、倒木の穴へと逃げ隠れました。
どうしてこれを武勇の不足だと思いましょうか」と諫言した。

勝久が感状をしたためると、鹿介は自分でそれを持っていき、横道・益田へと渡した。
人々は皆、「鹿介は心優しい仁だ」と感心したという。


以上、テキトー訳。この章はおしまい。

喜びをこらえきれずに思わず走り出してくる鹿介とか……ちくしょー可愛いじゃねえか!
自分を追い詰めた中畑に感状まで与えて送り返すのはもうギャグというか……
なんでそんないらんことしてるのかとwwwww

それにせっかく勝久が気を使ってくれたのを、真正面から諫言して仲間に慕われる。
なんかこのパターン、親しみを覚えるわ。すごくヒーローっぽい。
少年漫画とかに出てきそう!
もうさ、鹿介を主人公に、勝久=主君で剣士、立原=女房(ツッコミ)役、
秋上=おっちょこちょい、横道兄弟=フォローに回る仲間A・Bみたいな感じで、
少年漫画化すればいいんじゃないかな! かな!!!

いやいや、まさか鹿介がこんな魅力的に描かれているとは思わなかったわ。
吉川家中にこのことを伝えた人(横道権允と勝手に予想)は、
きっと鹿介のことがすごく好きだったんだねー、なんて思った。

しかし隠岐隠岐守はあんまりイイトコないなwww
ドタバタすぎる合戦だったなぁ、美保の関。

さて次回も続きの章読むよー!
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