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2012-07-30

鹿の誘い

昨日は頭痛でほぼ1日寝てたから、夜中に起きて陰徳記読んでみたw
あれだけ寝てまだ眠いってどういう了見なの……

さて陰徳記、だいたいの流れは、
毛利が九州立花で大友の大軍勢と交戦してる虚を突いて、
山中鹿介・立原源太兵衛らが尼子勝久を奉じて出雲入り。
尼子につく将兵は多く、月山冨田城の天野はどうにか踏ん張っているものの、
ドタバタしつつもそのまま破竹の勢いで進む尼子軍、というところ。


神西三郎左衛門心替えのこと

神西三郎左衛門尉は、先年、尼子が月山冨田城に七年間籠城をとげたときに降人に出て、
その後は毛利家に対して忠勤を貫いていた。
だからこそ元就様は、まさか裏切ることはないだろうと頼りに思ったのか、
伯耆の末石の城に中原善左衛門・小寺佐渡守二人を添えて、神西を籠もらせておいた。

勝久が入国すると、山中鹿介・立原源太兵衛尉たちは、
「神西は味方になるかどうか、これまではっきりと言ってこない。
どうも怪しい。少し心を引いてみよう」と、とある同心の者(在地の豪族?)を呼び寄せ、
「おまえはこうこう言え」などと教えてから、神西へと遣わした。

その同心の者は末石に赴いて、神西と話をした。
その後美しい扇を取り出すと、「これに一筆、何か書いてください」と言う。
神西が「なぜそんなことを言うのだ」と尋ねると、
「山中殿・立原殿がおっしゃるには、『尼子家に人は多いが、神西殿とは特に朋友の契り浅からず。
今は敵味方となってしまって簡単に会うことはできないが、それも昔のよしみは忘れられずに、
朝となく暮れとなく懐かしく思い出される。
人の思い出としては、筆跡以上のものはないという。
神西殿はなかなかの名書家であるから、何でもいいから一筆書いてもらってきてほしい。
顔を合わせていると思って筆跡を見たい』とのことです」と答えた。

神西はこれを聞いて、「なんと、山中・立原はこんなにも私を思っていてくれたのか。
実に昔のよしみが深い。私もどうして忘れられようか。それならば一筆書こう」と言って硯に向かった。
そしてふと思いついて、自分の忠志を表すために、
「ふるかう小野の本柏」とだけ書いて、同心の者に渡した。
同心の者がそれを持って帰って山中・立原に見せると、
二人は「これは、神西は味方になるつもりがあるようだ。
この歌は、『石の上ふるかう小野の本柏もとの心は忘られなくに
(いその神ふるから小野の―本の心は忘られなくに:古今和歌集)』という歌だ。
旧交を忘れず、という心を書き表している。よし、味方に引き入れよう」と、
またその同心の者を遣わして、神西を誘った。
神西はもとから望んでいたことなので、すぐに尼子に味方した。
けれどもこのことは深く秘匿して態度に表さなかったが、中原善左衛門が早々に感づいた。

この中原は、何度も武功を立てているばかりか、智でもまた世の人より優れた者だったので、
目ざとくそれに気付いても、そ知らぬ顔をしていた。
しかし早急に解決しなければならないので、小寺佐渡守を呼び寄せ、
「あなたは神西を見て何か気付いたことはないか」と尋ねた。
小寺は「何も気付いたことはない」と答える。
中原は、「いやいや、神西には逆心があるように見えるぞ。
そうはいっても、何の確証もなしに今刺し違えて死んだとしても、
胡乱のきわみだと人にあざ笑われるだろうから口惜しい。
そう思ってこれまで見過ごしてきたが、この調子で行けば、神西はおそらくそろそろ、
あなたと私の二人を討ち果たそうとするだろう。
少しでも目の色が変われば、ただ一打で切り殺し、返す刀で刺し違えて死んでやろう。
絶対に油断はしないでほしい。

このことはすぐにでもあなたに聞かせたいと思っていたのだが、
もしあなたが驚いて騒ぎ立てれば、何もないのに事を起こし、
風もないのに波を立てるようなものだったから、今までは押し隠していたのだ。
もう今は神西の悪逆が疑いないように見えたから、お知らせしたのだ。
私はここで討ち死にし、元就様のご厚恩に報謝しようと、一途に思い定めている。
あなたはどうだ」と問いかけた。

小寺はこれをつくづくと思案して、「中原殿のお覚悟も、実にそのとおりだと思う。
しかし一歩引いて愚案をめぐらしてみると、
今このときにこの城でやすやすと討たれてしまっても、何の意味もなく思える。
だから命を全うして、再び主君のお役に立ちたいと思う」と答えた。

中原は冷笑して、「あなたの仰せは確かにもっともだ。
今うかうかと討たれて、その首を神西が勝久への捧げ物にするかと思うと、実に口惜しいことだ。
あなたのご存念は本当にその通りだ。
しかし一隅を守る私は、何の才覚・智謀もなく、ただこの城に籠もった日から、
神西に野心があれば差し違えよ、もしまた毛利家への味方を貫いて敵に囲まれれば、
神西とともに自害せよ、と命じられたと考えている。だから特に気にすることもないのだ。
あなたは命を全うしして、五百八十歳まで生き永らえるとよろしい。
私は死して善道を守り、忠義の名を子孫に残そう」と言った。

小寺はやがて神西に向かって「少し両足を痛めたので、牛尾の出湯に入って養生したい」と暇を請うた。
神西は「好きにするといい」と言うので、小寺は非常に喜んで、すぐにその城を出て逃げていった。
しかし芸陽には帰れず、豊後へ渡って大友金吾入道を頼り、
また老後になってから本国に帰ってきたという。

さて中原は、神西と刺し違えようと思い定めていたが、
「何の証拠もなしに討ち果たしてしまえば、きっと人々から
『中原自身の思慮が足りずに、さしもの忠功の神西と刺し違えたのだ』と口さがなく言われるに決まっている。
どうにかして、神西が私を討とうと目の色を変えたときにこそ、一打に斬るしかない。
あの小男一人なら、掴み殺すのも簡単だと思って今まで放っておいたが、
もし私が討たれてしまえば、私が油断したから易々と討たれたのだと、
人々はあざ笑うだろう。これも口惜しい」と思った。
それでこのことを詳細に書き記すと、「妻子に伝えよ」と言って、下人一人を故郷へ帰したのだった。

こうして中原は、神西の反逆の証拠があれば一刀のもとに切り捨てようと考えて、心を許さずにいた。
神西もなかなかのつわものなので、少しも態度に出さずに時が過ぎていったが、
あるとき神西は、同朋(近侍の僧体の者)の林阿弥という者と中原の囲碁対戦を所望した。
中原は「よろしいですとも」と答えて神西のところへと向かう。

神西は碁を討っているそばからのぞくように見物して、
指を折りながら「十、二十、三十、四十」と数え、
「そこに打って取れ、ここの石を拾え、投了させるな」などと言っていたが、
「そこで切れ」というのを合図に、討手にキッと目配せした。
神西が林阿弥に「切れ」と言ったのと同時に、討手の者たちが抜き打ちにそばから丁と切る。
中原は前から覚悟していたことだ。自身も屈強な太刀の達者であったので、碁箱でもって受け流し、
一尺八寸の脇差を抜いて討手の眉間を二つに切り破る。
二の太刀で碁の相手の同朋を袈裟懸けに切り捨てる。
その際に神西は中原の左手をしたたかに切った。
中原は切られながらもスッと立って打ち払い、八面に敵を受けながらしばらく戦って、
数多くを切り伏せまたは怪我を負わせて、自身もぼろぼろになって死んだ。
勇といい義といい忠といい、まさに類まれな者だと、これを聞く人は皆たいへん感心した。
神西も情けのある者なので、これまでのよしみが忘れがたいと、中原を手厚く供養したとのことだ。


以上、テキトー訳。

中原かっけー(゚▽゚*)
しかしどうして「神西が怪しい」って元就に密告して、対処を仰がなかったのかね。
証拠がないから? 証拠がなくても早期の段階で報告・相談せんと!
ってのは今の考え方なんだろうけどね。

それにしても鹿、やりよる……
まさか昔のよしみとか感情的なことだけで神西を釣り上げたわけじゃないんだろうが、
こういうふうに伝えられるってことは、やっぱりきっと、とても魅力のある人だったんだろうな。
しかし何だね、調略って、女を口説くのに似てるよねw
「今は敵味方で会えないから、思い出のよすがに筆跡を見たい」だなんて。
ちょっとキュンとするじゃない。このたらし!
きっとモテたんだろうなー。妄想ですけど。

さて次回は合戦! 私の兵部が活躍しそうで今からウハウハー!
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