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2012-08-06

備後方面情勢

さてさて、まだまだ続く尼子の撹乱。

備後の国神辺城合戦、並びに防州関所城合戦のこと

備後の国の神辺の城は、杉原播磨守盛重の家城だったが、自身は九州へと行っていたので、
留守代として荘原肥後守という者を置いていた。
こうしたところに、同国の住人の藤井能登守入道皓玄が尼子勝久に味方して、
備前・美作の兵を集め、永禄十二年八月三日、総勢五百余騎で夜中に突然攻め寄せ、
鬨をドッと上げて攻め入ってきた。

荘原は思いも寄らないことだったので、鎧を取って肩にかけると、
一の城戸口へと打って出て、命を惜しまず防戦する。
左右に立っている兵と一緒に八人まで打ち倒したが、荘原も三ヶ所傷を負った。
そのほかの城中の兵たちは皆寝ぼけて物の用には立たず、
ただ騒ぎまわるだけだったので、敵はしめたとばかりに攻め入ってくる。

荘原は一の城戸が破られるどころか本丸も危ないと思えて、
潔く自害しようとしたが、前原入道がこれを止めた。
「あなたが自害してしまったなら、播磨守殿のご子息たちは、皆敵の捕虜にされてしまいます。
急いで一方を打ち破ってお逃げください」と言われると、
荘原もこれに同意して、播磨守の次男、八郎景盛を連れ、一方を打ち破って落ち延びた。
敵はしきりに追いかけてきたが、主を無事に逃がそうとして、
高橋の何某などがあちこちで足を留め、敵と渡り合って討ち死にした。

藤井はやがてこの城に入ると、なおも近郷を打ち従えようとしていた。
荘原は手を尽くして養生し、ようやく傷が平癒すると、杉原の家人たちを集めて、
神辺の城を取り返すために、攻めかけようとしていた。
そこに、楢崎三河守(豊景)が、嫡子の弾正は立花へと下り、
自身は隠居した身ではあったが、末子の少輔三郎を連れて、杉原の家人と一緒になって、
同じく神辺の城へと押し寄せた。

藤井もかねてから予期していたことなので、矢間を開いて弓・鉄砲を散々に撃ちかけ防戦したけれども、
荘原は先日城を落とされた恥を雪ごうと、射られても切られてもひるまずに攻めかかる。
楢崎も無二にかかっていき、少輔三郎は怪我を負い、そのほかの郎党も多く討たれてしまっても、
まったく気にかけなかった。
城中の兵が防ぎかねて甲の丸へと逃げていくと、逃すまいと追い込み、
その勢いのまま、ついに藤井を討って城を取り返したのだった(八月七日)。

また、防州は岩国の関所の城には桂兵部丞が籠もっていたが、
同国の山城の一揆勢が大規模に蜂起して、関所の城を稲麻竹葦のように隙間なく取り囲んだ。
兵部丞はどうにもかないようがなく思えたが、急にハッと思いついて、
二、三十人ほどいた一揆勢の人質を拘束すると、塀のところに楯のようにしてくくりつける。
一揆勢が矢を放ち鉄砲を撃とうとすれば、敵を撃つのではなく、
逆に自分の妻子を殺してしまうことになるので、弓・鉄砲を撃ち止めにして、何もできずにいた。
こうなってはこの城を攻め落とすことができず、皆引き揚げていった。
桂の飛びぬけた智謀によって、城は固く守られ、虎口の難を逃れることができた。


以上、テキトー訳。

うーん、杉原さんてのは、けっこう重要なポジションに思えてきたわ(いまさら
荘原ってのは、その後吉川の直臣になったのかな?
杉原家滅亡後は、杉原衆をだいぶ吉川家が召抱えたようだけれど、
まだこのあたりは調べてないんだよな。
やはりそろそろ分限帳が欲しくなってきた……
分限帳に手を出すと、ズブズブ深みにはまっていきそうで怖い。

まあこれでなんとなく、毛利の味方と尼子の賛同者がそろってきた気がするけど、
次回、いよいよ大内の亡霊(?)が動き出す……!
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