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2012-08-11

元春・隆景「 や ら な い か 」

前回のあらすじ:
元春・隆景が九州で大友とメンチ切ってる隙を突いて、
出雲で暴れまくる尼子勝久(実態は鹿)、そして山口に乗り込んできた大内輝弘。
一揆も多発して、「こりゃヤバイね」と考えた元就は、二人の息子を呼び戻す。
どうにか落城させた立花城には坂・浦・桂の三羽烏が残ることに


元春・隆景、立花の陣を引き払わるること(中)

こうしたわけで、明後日の十五日に立花表を引き払おうということに決まった。
ではしんがりは誰が務めるかという話になり、元春と隆景がしんがり役を奪い合ってしばらくもめていたが、
しばらくして元春に決まった。
そして元春が「しんがりの備えについては、出雲・伯耆・石見の者たちで適任の者に申し付けよう。
隆景は、南前の諸軍士と吉田の旗本勢を率いて退却してくれ。
もし敵が後追いをしてくれば、この元春が一の合戦をするから、隆景が次の合戦をしてくれ」と言うと、
吉見大蔵大輔正頼は、「私は近年大友の押さえとして置かれていましたので、
元春の御手に属して、一番のしんがりはこの正頼が務めましょう。
しかしながら、兵が千人とおりませんから、あの大軍を一身のみで受け止めるとはさすがに言えません。
私は元春の後に引きますので、その後は誰であれ、
出雲・伯耆・石見の兵たちに仰せ付けてください」と言った。
すると元春は「それが一番よさそうだ。
ではしんがりは正頼、その次にはこの元春の手勢から申し付けることにしよう」と言うので、
皆もこれに同意した。

さてこれは十月のことだったので、宵のうちから風が激しく、ときどき時雨れた。
明け方には雪が混じって、外はだいぶ寒かった。
諸軍士は十月十五日の寅の上刻(午前三時ごろ)に兵糧を食べて腹を満たし、
腰に二日分の食料を結びつけた。
「敵が後を追ってきたなら勝負をかけた一戦をしようではないか。
しかし敵は大軍だから、二度や三度の決戦では勝負が付かないだろう。
きっと一日がかりになる」と覚悟した。

さて隆景とそのほか吉田旗本勢が順を追って出て行き、その後に元春、正頼と続く。
合戦への備えとしては、一番に正頼が長門勢を率いてしんがりについている。
二番は三沢三郎左衛門・三刀屋弾正左衛門・益田越中守、
三番は元春の旗本勢に杉原播磨守盛重・熊谷伊豆守、そのほか出雲・石見の勢が六十余騎。
これは正頼の二千騎と二番手の三千とで大友と勝負し、大友は勝っても負けても備えが乱れるだろうから、
元春の旗本が六千騎で無二にかかって、一気に突き崩そうという策であった。
その次に吉田勢、そして隆景と定められた。

隆景は「元春の手勢の戦で敵が負けて引くだろうから、味方が勝ちに乗って備えが乱れるだろう。
そうなれば最終的な勝利が危ぶまれる。
旗本勢一万五千をもって備えを固くし、陣を守って控えていよう。
もし元春の本陣や吉田勢までが乱れて引き退くようであれば、
隆景の旗本勢で、敵の備えの乱れたところに無二にかかって一戦しよう」と決めていた。

五万に及ぶ勢で立花へ出張りしてきたが、出雲・伯耆・備後・石見の城へと先に帰している兵もいる。
また長府へと元長につけて五千余騎を差し上しているので、
今元春・隆景のもとにいるいる勢は三万ほどしかいなかった。
こうして戦の掟や備えの順序を厳しく定めておき、両将から軍使を遣わして、
豊後勢の陣へと引き払うことを言い送ろうということになって、
元春からは境与三右衛門、隆景からは神田右馬允を遣わした。

二人は馬で敵陣近くまでやってくると、颯爽と降りて、
「吉川駿河守元春・小早川左衛門佐隆景がこう申されている。
当陣において興亡をかけた勝負の一戦を遂げようと思っていたところ、
大内太郎左衛門輝弘・尼子勝久などが防州・出雲両国へと乱入した。
まずは自国の敵を退治するために、これからこの陣を引き払う。
これまで数ヶ月も対陣していたとはいえ、ついに田原・蜷川・戸次の人々と、
元春・隆景が直接勝負を決することができないのは残念至極である。
おそらくそちらもそのように思われるだろうから、後を追って打って出られよ。
通の途中で一戦しようではないか。
合戦の勝負の様子を物語りにして、愚父元就への土産にしたい」と、さも声高に叫んだ。

敵陣はこれを聞いて、「芸陽勢こそ武威も尽きて敗北するだろう。
いざ追いかけて討ち取ってやろう」と勇んだ。
しかし豊後の諸将のなかで、戸次道雪がこれを一番に聞きつけて、
「当陣を敗軍なさると仰せられたことはしかと承った。詳しくはこれから申し入れよう」と返事をした。
柳川・田原、そのほか臼杵・清田・佐伯などが馳せ集まって、
「芸陽勢の後を追うか、またはそのまま引かせるか」と話し合った。

吉広賀兵衛尉が進み出て「芸陽勢が威勢も尽きて引き退くのは、
前には我らが猛勢で後詰しており、とりわけ大友家の旺盛な軍事力に恐怖した上、
後ろには輝弘・勝久が蜂起して周防・出雲を掠め取ろうとしているからだ。
だから進むべき道を見失って力を落として退いていくのだ。
勢い盛んに勝ちに乗っているときは、たとえ年来怯将・弱将と呼ばれていた者でさえ、
勇気が湧き上がって猛将と大差なくなる。
いかに勇将・猛将といっても、力が尽きて退くときには、心臆して弱将になる。

したがって、日ごろは智勇全備している隆景・元春であっても、
さっき言ったように他国にはるばると踏み入ってきたものの、
大友の一族が数万騎で陣を張って隙を突いて自陣を破ろうと狙っている上、
自国ではまた大内・尼子があちらこちらで勝利して、
堀を深め塁を固くし兵を集めて恨みを晴らそうとしている。
北条宗鑑(高時)が滅びようとしたとき、赤松・楠討伐のために、一家でことごとく上洛した。
このとき関東では新田義貞が大軍で蜂起して鎌倉を攻め落とそうとした。
今の状況もこれと同じだ。ようやく毛利家の領国が大友に与えられるときがきたのだ。
これを取らなければ後難を招くようなものだろう。

さあ、引く敵の後を追って一人ずつ討ち取ってやろう。
元春・隆景さえ討ち取れば、元就・輝元のことは、輝弘・勝久と示し合わせて、
何の苦もなく滅ぼすことができる。
敵が大軍で引いていくときに、小勢で追いかけて勝利を得るなど、日常茶飯事だ。
ましてや今、引く敵は小勢、追いかけるのは大勢だ。
味方の勝利に何の疑いがあろうか。

昔の赤松二郎入道円心は、わずか三千の勢で六波羅の二万の勢の後を追って、
京都へと攻め寄せたのだぞ。勇将とはこういうものだ。
この大勢で追い討ちをかければ、中国勢は十方へと逃げ散るだろう。
ことごとく首を切り捨ててやろう。さあ早く出発しよう、片時もためらっているべきではない」と進言する。

立花弥十郎などは城を落とされて面目がつぶれたと思ったので、このときの無念を晴らそうと思って、
「宗行の仰せはもっとも至極です。先陣は私が務めましょう。
急いでください。必勝の秘訣は、相手の疲れに付け入るほかにありません」と賛同した。


以上、テキトー訳。もう少し続く。

うひゃぁー、退却するって大変なんだね。戦より面倒そう。
こりゃ元春・隆景が立花退却をすぐに受け入れなかったのもうなずける。
それにつけても、退却するに当たってしんがりを奪い合う元春・隆景、
おまえら仲いいなwww 首は譲り合うくせにチクショー><

元春「長幼の序とかそのへんを考えて、お兄ちゃんにしんがりを譲りなさい」
隆景「長幼の序とか言うんだったら、兄さんが先にお引きください。
   危険なしんがりは私が務めます」

とかナントカ、そんな会話が交わされていたのだろうか(*´∇`*)
これが仲良く喧嘩するということだろうか。
両川兄弟くっそかわいい!!! もうね! ジャンケンで決めればいいんじゃないかな!!!

あとあと、わざわざ大友に軍使をやって挑発するのもイイ!
しかも吉川家中の問題児というか人を食った振る舞いに定評のある境与三右衛門だよ!?
ヒャッホー! 私大歓喜ヾ(*´∇`*)ノシ
「俺たち引くけど、後ろからバッチコイよ大友さ~ん♪ 一発やろうぜ」ってことだろ?
そんなに誘われたら襲わずにはいられないじゃないか……ジュルリ

そんなわけで次回、いきり立つ豊後勢はどう出るか!
楽しみだなー!
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