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2012-08-21

毛利・尼子それぞれの計略

前回のあらすじ:
元亀元年正月、ついに尼子勝久討伐のために芸陽を打ち立った毛利勢(まだ幼い広家も一緒)。
しかも今回は輝元が初の総大将を務めるので、どうにか華々しい一戦をと力む叔父ズ。
尼子は本来なら戦は避けたいところだけれども、
目の前で月山冨田城に兵糧を入れようとしている敵軍を横目で指くわえて見ているわけにはいかない。
どうにか勢を掻き集めて毛利勢を牽制しようとするが、はたしてどうなる?


出雲の国比部合戦のこと(2)

さて山中・立原は前もって檄文を飛ばして勢を集めていたので、
守山から秋上伊織助が七百余騎で打ち出てきて、三笠の城からは牛尾壇上忠が五百余騎で駆けつけてきた。
熊野兵庫助は四百余騎、高瀬の米原平内兵衛尉は七百余騎、宇波から真木が五十余騎、
山佐から吉田八郎左衛門兄弟が三百余騎、
そのほか淀井・末石・稲石城などから福山弥二郎・隠岐三郎五郎・遠藤・疋田・中井などが
二百や三百、五十や七十ずつ群れ集まってきたので、総勢六千七百余騎が布部表へと打ち出てきた。

鹿介は智謀に長けた者だったので、布部の峰や谷のあちらこちらに空の陣屋をたくさん作らせた。
なかに人がいるかどうかは他所からはわからないので、そこには一万以上の軍勢が陣取っているように見えた。

立原源太兵衛尉は、鹿介・横道兄弟に向かってこう話した。
「芸陽勢は一万騎しかいないといっても、出雲・伯耆の勢が駆けつけてくるだろうから、
一万五千か七千ほどにはなるだろう。
味方は六千ほどいるとはいっても、この三分の一は因幡・美作・備前の諸牢人たちだ。
自分自身を顧みずに合戦に臨む者は、尼子家譜代の恩顧の者たちしかいない。
だから今回の合戦で勝利を得るのは難しいだろう。

しかし、あちこちの城に五百や三百ずつで立て籠もってばかりで、
はかばかしい合戦を一度もしないまま敵に捕らわれるのを口惜しく思うからこそ、
今回は皆一緒になって生死をかけた合戦を遂げようと思い定めている。
もし芸陽勢が噂通り、今回は兵数が少ないからといって、
合戦をつつしみ冨田へ兵糧を入れて引き揚げていけば、味方は天の加護にあずかったようなものだ。
だからこちらからは、合戦をしたそうに見せかけておき、裏では合戦を謹んでほしい。
絶対に敵が合戦を仕掛けてくる前に、こちらから合戦を始めないでくれ」

鹿介はこれを聞いて、「私もそのように思っているけれども、
はじめから皆の前でそんなことを言えば、軍勢の気持ちが緩んでしまうだろう。
これは、長井斉藤別当実盛が東国の兵の勇と兵の多さを話してしまったがゆえに、
味方が怯えきって、富士川の小鳥の羽音に驚いて逃げ出してしまった故事と同じことだと思う。
味方を勇気付けるために、敵を侮ったように言うのだ。
敵を強そうに言うのは、兵書でも戒められていることだ。
味方を力づけようと思って、戦を好んでいるように言っているのだ」と言った。
立原は、「まったくその通りだ。
このことは、森脇市正・牛尾弾正忠など数人だけがよく心得て、絶対に人に言ってはならないぞ」と言った。

元春は先年から冨田近辺の在郷の一揆衆に金銀を与えて間諜を入れ、
「敵の謀略・策略を報告するように」と言い含めておいたので、
その者たちから日々敵の様子や計略などの報告が入った。
このことは尼子勢にも察知されて、布部の一揆勢の三人が鹿介に捕らえられて首を刎ねられたという。
しかし報告してくる者はたくさんいたので、軍勢の到着の様子、空き小屋のことなどが事細かにわかった。
また杉原播磨守が付け置いていた佐田彦四郎の中間も走ってきて、
「芸陽勢は兵数が少ないと聞いて、一戦しようと布部へと打ち出てきました」と告げてくる。
元春・隆景両将は、「さては敵の様子を聞くに、皆同じように言うから、謀の内に落ちてくれたな」
と大いに喜んだ。

さて、芸州勢は三沢の鎌倉山に陣を変え(正月二十八日)、同二月十二日には比田に到着した。
敵がすでに布部に陣取っているとわかっていたので、まずは冨田の城へ兵糧を入れるのは後回しにして、
布部の敵を退治しようと、翌十三日に布部表へと打ち出た。
布部の城には森脇位置正(久仍)が三百ほどで籠もっていたが、
鹿介が使者を遣わして「その城を空けてこちらに集まってほしい」と言い送った。
市正は「敵を防ぐためにこそ城に立て籠もっているのだ。
敵が猛勢だからといって城を捨て、退却する者がどこにいる。
私の三百騎の勢は芸州勢の三千余騎にもまだ倍すると考えてほしい」と、まったく聞き入れなかったので、
鹿介は今度は横道源介・同権允を差し遣わし、同日の夕方ごろに、市正はようやく退却してきた。

鹿介は芸陽勢の数が聞いていたより大勢に見えたので、驚いたようだった。
そして諸侍を呼び集めて、「戦は明日になるだろう。
どんな策謀をめぐらせれば勝利できるだろうか。皆思うところを残さず話してほしい」と言った。
すると森脇市正が、「味方の勢は六千七百が参集しているとのことですが、
私の勢も二百ほどいますので、七千騎にはなるでしょう。
これは皆尼子家譜代恩顧の兵たちばかりなので、心を一つにして戦うでしょうから、
芸陽勢の五万や十万にも勝てると思います。
敵勢は一万と聞いていますから、数ではほぼ互角だとはいっても、
もともとの手勢と寄せ集めの勢では雲泥の差があるでしょうから、
水谷口・中山口へと二手に分かれて、勝負をかけた一戦をなさってください。
味方の必勝に何の疑いがありましょうか」と言った。
鹿介は「東市允殿の仰ったとおり、味方の勝利はもとから決まっていることだ。
当家を再興するときが今まさに来たのだと思っている」とにっこりと笑って座していた。

「それでは手分けをしよう」ということになり、
西の水谷口は、山中鹿介幸盛・立原源太兵衛尉久綱・真木与三左衛門・同与市・
中井平蔵兵衛尉(久家)・米原平内兵衛尉(綱寛)・森脇東市正・隠岐三郎五郎・
加藤彦四郎・神西三郎左衛門(元通)・寺元市允・進左橘兵衛尉・力石九郎兵衛尉・
馬田兵左衛門・高尾右馬允・同宗兵衛尉・目賀田段右衛門・同采女允・池田与三郎・
相良勘九郎・比田十郎太郎・徳吉孫九郎・真野・黒正・屋葺など四千余騎となった。

東の中山口は、牛尾弾正忠(信久)・秋上伊織助・岸左馬進・同孫右衛門・羽倉孫兵衛尉・
平野賀兵衛尉・横道兵庫助・同じく弟の源介・その弟権允・遠藤神九郎・疋田右近・
同右衛門尉・松田兵部丞・熊野兵庫助・同次郎・古志新十郎・福山次郎左衛門・吉田三郎左衛門・
同八郎左衛門・長森吉内・馬田入道(慶篤)・浅山太郎次郎・日野助六・牛尾大炊助・足立次郎左衛門・
目黒・熊谷・原・吉岡など、二千八百余騎が、明日を最後の合戦と思い定めて待ち受けていた。

さて出雲勢が布部の参上に二手に分かれて陣取ると、各家の旗が紅白色を交えつつ、
二月半ばの春風に吹かれ、峰の木々の間から翻るのが見えて、花や雪と見まごうほどだった。
萌黄や緋縅など種々の鎧の袖が並ぶさまは、秋の野辺の露時雨が、
昨日はまだ散り残っていたもみじ葉を打ち落としたかのようであった。

こうして出雲勢が二手に分けて備えているのを見て、芸陽勢も追手と搦手の二つに軍勢を分けた。
輝元様は床几に腰を打ちかけて、元春・隆景、
そのほか宍戸・平賀・熊谷・杉原・福原・桂たちに向かって話し出した。

「敵は合戦に臨むつもりですでに布部の山上に控えている。
今日の合戦はどうすれば速やかに勝利できるだろうか。
敵が少ない兵数でここまで出てきたのは、天が与えてくださった好機だ。
敵の兵数を見るに、味方の五割にも満たない。
すぐに押し寄せて一戦を始めれば勝利は決まっているとはいえ、小敵を侮るなかれという言葉もある。
しっかりした計略もないまま合戦を始めてもし仕損じれば、これからの武運にけちがつくというもの。
寄せ集めの牢人たちとはいっても、皆一騎当千のつわものどもだ。
敵は大将の勝久から足軽たちに至るまで、今回諸人の目を驚かす武勇をあらわして、
先年冨田の城を落とされた会稽の恥を雪ごうと思い入れて、歯を噛み締め肩を震わせている者たちばかりだ。
きっと興亡をかけた勝負を挑んでくるだろう。絶対に侮るなよ」

三刀屋・三沢・杉原は、
「仰せの通り敵は一戦をしようとここまで出てきたのですから、激しい合戦にはなるでしょう。
しかしながら、この三人の国方の問題ですので、我らが先陣に進んで身命を惜しまずに戦えば、
どうして一時の間に攻め破れないことがありましょうか。
今回の先陣はどうか我らにお任せください」と進み出る。

元春・隆景はこう言った。
「元就様がまだ芸陽すらすべて切り従えていらっしゃらなかったとき、
陶と戦争をして、その後の尼子、大友との合戦のときも、
この二人が先陣に進んで手を砕かなかったときはありませんでした。
今回は輝元公がこちらの総大将として打ち出されましたが、これが最初のことです。
ですから、今回は元就の吉例にならって、我ら二人に先陣を仰せ付けください。
このこと、また備えの定めは先日申し合わせたはずです。
今日になってこれを変えるのはいけません。
きっと敵は興亡をかけた一戦をと望んでいるでしょうから、先陣は何度も切り崩されることになりましょう。
それを我らが後ろからひたすら押し上げて、あっという間に追い崩してご覧に入れます。
通り一遍の戦では、味方に怪我人ばかり出て、勝利はなかなか決さないと思いますので、
三沢・三刀屋はこのあたりをよく知っているはずですから、
左右の尾根から攻め上り、横合いから攻め懸けていただきたい。
赤穴・宍道はあの谷からかかっていってほしい」

こうなると、吉田譜代の重臣たちも、
「輝元公が初めて大将としてお出になったから、
元春・隆景さえ自分が先陣を務めると名乗り出ているというのに、
我らがどうしてニ陣に控えていられましょうか。
一方の先陣をお任せいただきたい」と勇み進んで、死を一途に思い定めている様子だった。


以上、テキトー訳。まだまだ続くよ~長いよ~!

なぁ……立原の「こっちから仕掛けちゃならんぞ、絶対だぞ!」ってのはもしかしてフラg(ry
いやまあこの時代にそんなお約束あるわけないかーとは思うけれどもw
しかし戦の備えをして、毛利勢にガチでかかってこられた場合はどうするんですかね、この人たち。

そしてやる気マンマンの毛利勢。
輝元がかっこよく大将らしいこと言ってる……だと!?
軍議の最中は才寿(後の広家)のほっぺたムニってるだけかと思ってたのに。
なんか新しい(゚▽゚*) そんな輝ちゃんも好きよ(*´∇`*)
そして大将ではなく一介の武将っぽく先陣争いをする叔父ズもなんか新鮮(*´∇`*)
負けるもんかと勇む吉田衆も頼もしいじゃないの。

さてさて、この先どう転ぶのか、次回が楽しみ~♪ヾ(。・ω・。)ノ゙
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