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2012-08-30

元春、翻弄される

どうもシステムが不調のようで、昨夜の更新記事が長時間反映されていなかった……
いつ復旧したんだろう。
まぁ無事更新されたのでよしとしますか!

だいたいの流れ:
鹿介を中心とした尼子再興軍と対陣する毛利勢だったが、初の総力戦に勝ったこともあり、
また元就がいよいよ体調を崩したこともあり、元春を月山冨田城に残して、
輝元・隆景・元長たちは芸陽の吉田へと帰っていった。

今回は出雲表で奮戦する元春さんの活躍を二本立てでお送りします!


羽倉の城合戦のこと

羽倉(和倉とも)の城には、横道源介・同権允などが何度も攻め寄せてきて、
民家に放火したり足軽を暴れまわらせたりしていた。
はじめは城中から弓・鉄砲を撃ちかけていたものの、敵が無二にかかってくるので、
その後は城を攻め破られないのを勝ちとしてこらえていた。
その後、山中鹿介が横道兄弟を連れて1千余騎を率い、羽倉の城へ攻め懸けてきた。

寄せ手が防衛のための備えを乗り破ろうとするところに、城中からも打って出て散々に防ぎ戦い、
寄せ手の上田与三郎が鉄砲に当たって死んだ。
城中でも井上源左衛門・中島善左衛門らが鑓を合わせて武勇をあらわした。
けれども横道兄弟らが先陣に進み、毛利勢を城中に追い込んで、
外構えの小屋も一つ残らず焼き払って勇み進む。
「長屋、もう降参しろ。命だけは助けてやるぞ」と叫びながら、仕寄を寄せてものすごい勢いで攻め立てた。

城中は防ぎかねて難局に陥っていた。
元春が、新山から大軍が出て羽倉の城を攻めていると聞きつけて、
「急いで救援に向かうぞ」と言うと、益田越中守藤兼が進み出て、
「長屋は先年、陶五郎が切腹してから、富田の若山に籠め置かれていましたが、
大内義長が大軍で攻めてくると聞いて城を明け退きました。
今回もこらえきれずに逃げ出すかもしれません。どうか急いでください。
まず私が馳せ向かいましょう」と、急に座を立って、手勢の一千五百余騎で羽倉に駆けつけた。
三刀屋・三沢も益田と同じく向かうようにと、元春が命を下したので、
これらも一千余騎で馬に鞭を打ちながら進んだ。

益田は後陣の到着を待たずに山中の陣にかかっていたので、
尼子勢はたちまち打ち負けて新山へと逃げ入っていった。
三刀屋・三沢も敵の後を追って、少しではあるがいくつか首を取って帰ってきた。
益田の武勇のおかげで、長屋は運を開くことができた。


源勝久、末次を攻め給うこと、同後詰並びに米原降参のこと

尼子勝久は山中・立原・横道・森脇らを呼び集め、
「元就の老病が重くなって、輝元・隆景は芸陽へ帰っていった。
だから敵軍は大幅に減って、わずか三分の一が当地に残っているだけだ。
いざ、この隙に乗じて、あちらこちらの城郭に籠め置いている兵を集め、
国中へ打って出て敵城の山下などを焼き払い、味方の勇気を呼び覚まし、
敵の威勢を奪ってやろう」と言った。
皆は「それがもっともです」と賛同して、このことをあちこちへと触れまわった。

秋上三郎左衛門は自分が病気なので、嫡子の伊織助久家に五百余騎を差し添えて新山へと遣わした。
米原平内兵衛尉が四百余騎、寺本安芸守は隠岐から二百余人で渡ってきて、同じく馳せ加わる。
福山二郎左衛門・同弥次郎・神西三郎左衛門・加藤彦四郎なども七百余騎で集まってきた。
そのほか大山の衆徒の教悟院などをはじめとして、百や二百、あるいは数十ずつ集まってきたので、
尼子勢は程なく四千余騎に膨れ上がった。
こうなったら少しも待っている必要はないと、同十月三日に新山を出立し、
同五日の早朝から、末次の土居を一気に切り破ろうと、揉みに揉んで攻め懸けた。

城中には河口刑部少輔久氏・小鴨四郎次郎が籠もっていたが、
身命を捨てて防戦していたので、まったく落城する様子がない。
そのことが月山冨田城へと報告されると、元春様は、
「末次は堀も一重すらめぐらしておらず、守備には適していない。
それに河口・小鴨の兵数はたった三百もないだろう。乗り破られないうちに後詰しよう」と、
総勢五百ほどで冨田の城を打ち立った。
途中で杉原・南条・三刀屋・三沢・益田なども駆けつけてきた。

尼子勢は敵に援軍が来たと見ると攻め口を退却し、自分たちの陣を固めて、
敵がかかってきたら一戦しようと待ちかけていた。
元春は、「今日はもう日が暮れてしまった。合戦は明日にしよう」と、こちらも陣を構えるのに専念した。

益田・三刀屋そのほか国人衆が「明朝にいっせいにかかって一千しますか」と言うと、
元春は、「一戦して勝つのは簡単だが、ここで合戦すれば、
勝ったとしても勝久を討ち漏らしてしまうだろう。
まずは明日の合戦を先延ばしにして、敵が退却できないようにつなぎとめ、
その間に新山へと兵を差し向けて、敵の退却する道を塞いでおくのがいいだろう。
それから合戦を始めれば、勝久をはじめとして鹿介・源太などもすべて討ち取れると思うが、
いかがか」と言った。
皆は「まったくそのとおりです」と賛同した。
それならば、今夜のうちに出立して新山の麓へと行き、敵の退路を遮ろうと、
南条豊後守宗勝・山田出雲守重直たちは、一千余騎で急いで出発した。

一方、山中鹿介は勝久にこう言った。
「末次の土居を一気に乗り破れば、冨田から援軍が駆けつけてきたとしても、
『賊が過ぎたる後の張り弓、六日の菖蒲(手遅れなこと)』だと思っていましたが、
案外に城中の抵抗が激しくて、元春が出てきてしまわれました。
ここでいたずらに対陣していれば、敵勢は日を追うごとにあちこちから集まってきて、
いずれ雲霞のようになって味方の退路を断とうとするでしょう。
そうなれば一人残らず討ち取られてしまうはずです。
どうか少しでも急いで退却なさってください」

勝久はこれに同意して、その日の夜半に密かに末次表を引き払った。
芸陽勢は明け方に敵陣の篝火が次第に消えていくのを不審に思って、人を遣わして様子を見させたが、
そこには敵は一人もいなかった。
諸軍勢は「あと一日こらえていたなら、一人も残さず討ち取って、尼子を根絶させてやったのに。
よく感づいて逃げ出したものだ」と言い合った。

元春が河口・小鴨に対して、
「おまえたちが粉骨砕身の働きをしてくれたからこそ城を持ちこたえることができた」と褒め称えると、
この二人は「早々に後詰にでてきてくださったからこそ、
城を落とされずに済んだばかりか、我ら二人の命も助かりました」と、功を譲って元春に謝した。

元春様はそれから新山の麓を焼き払った。
鹿介たちは、「これをおめおめと眺めていては、まるでいくじなしだ。
打って出て一戦しよう」と言ったが、
立原が「進軍してくる敵の大軍に立ち向かって戦っても勝利はできないだろう。
帰ろうとするところに奇襲をかけよう。これが兵法では重要な部分だ」と制止したので、
皆勇気を抑えていた。

元春は三日間陣を据え、同投下に南条・杉原をしんがりにして新山表を引き払おうとした。
こうなるとなかなか後をつけて一戦するのも難しく、新山からは足軽が少々走り出て、
遠くから毛利勢に矢を放っただけで城中へと引き返していった。
元春はそれから高瀬表へと向かって、この城を攻めようとしたので、
米原はかなわないと思ったのか、降人になって城を明け渡し(元亀二年三月十九日)、
新山へと入っていった。

元春は高瀬の城にすぐに軍勢(口羽春良)を差し籠め、
そこからまた神西を攻めるために末石へ向かおうとしたが、
その方面から「神西は城を空けて因幡あたりへ退却したようです。
その後へと山中鹿介が七百ほどで入れ替わって、
稲石で暴れまわって郷人たちを数多く討ち取ったとのこと」と報告が来た。
元春は「それなら山中を攻めよう」と出発しようとしたが、
急に体調を崩したので、「再度米原を攻めるように」と言い置いて、療養に専念した。


以上、テキトー訳。

益田パパ(藤兼)、頑張ってますなぁ!
このころには長男が亡くなって跡継ぎとなった次男元祥の元服を終え、
元春の娘を元祥の嫁に迎え、相続手続き等を済ましたか進めてるあたりだね。
うまいこと一門に食い込めたから、ここで手柄をあげておきたいといったところか。
ずっと後に、広家の娘がこの元祥の曾孫に嫁ぐんだからすごいよなぁ。
それどころか元祥の子供は小早川にも入り込んでたりして、抜け目のない益田が怖い!

今回のハイライトは、個人的には鹿介を押しとどめる立原源太兵衛尉だな。
突っ走ろうとする鹿介をうまくサポートする女房役だね。
尼子勢もそれぞれキャラクターが立ってて魅力的だな。
それほど興味がなかったけど、だんだん好きになってきた!

さて次章は結構長いので、こちらは分割する予定。
ついにあの……三村一家のことですぞ!
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