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2012-09-19

川中島合戦評

これまでのあらすじ:
元春から使者として信玄・謙信のもとに遣わされた佐々木が帰ってきて、
元春に甲斐・越後で見聞きしてきたことを語る。
話は川中島合戦、西条(妻女)山に陣取った謙信を追い払うべく作戦を練る信玄と、
それを察して密かに山を下り、不意打ちをかける謙信だったが、
謙信もまた思わぬ敵襲に遭って退却を余儀なくされた、というのが甲斐で聞いてきた話。


佐々木、信玄・謙信の物語のこと(3)

「また越後では、大筋は同じなのですが、最初の合戦には謙信が打ち勝ったので、
信玄の旗本も川を越えて退却したということになっています。
謙信がそのまま追いかけていらしたならまさに大勝利だったのに、
謙信は割り菱の具足をつけた対象と思しき者を、
三尺一寸あった兼光の刀で具足の上からズンと切って落とし、
「信玄を我が手で討ち取ったり」と大いに喜び、油断していました。
これは、実は信玄の弟の武田左馬助という人でした。

その場所は竹の俣というところだったので、その刀を「竹の俣兼光」と名づけ、
門外不出にして秘蔵していると聞いております。
また、その刀は竹の俣という者が謙信に献上したものだから
「竹の俣兼光」と呼ばれるようになったとも聞きます。

こうして信玄を討ち果たしたと気を緩めていたところへ、
西条山へ向かっていた一万ほどの勢が後ろから思いもかけずに襲い掛かってきたので、
謙信は二度目の合戦に打ち負けて退却したそうです。
また謙信は信濃の国下米宮において信玄に大勝し、武田大坊をはじめとして、
信玄の譜代の侍大将数人、それに駿河の今川家から援軍として差し向けられた朝比名などを討ち取って、
大勝利を得たとも言われていました。

関東では「家康には信玄、信玄には謙信」と言い習わしています。
けれどもどちらが優れていてどちらが劣った大将だと言うようなことはありません。
今は家康は兵数が少ないから信玄と戦って勝利できなかったものの、
兵が同数なら、勝つことはあっても負けることはほとんどないだろうと、
人々は皆言っているそうです」佐々木はこう語った。

杉原播磨守はこう言った。
「合戦の様子を聞くと、まさに名将の出会いというのは、二つの鏡を対面に置くようなものですな。
しかしこの盛重の愚案を申しますが、さしもの良将にも少しは間違いというものがあるのだと思います」
天野隆重が「では盛重の思うところを申されてください」と言うと、盛重は話しはじめた。

「では私の考えを口任せに述べてみましょう。
信玄の魂胆を、西条山から暗に見抜いていた謙信は、実に千里眼を得たのかとも思えるほどです。
ここでは、信玄に一つの誤りがあったと思います。
それは、信玄ほどの良将が、どうして西条山に忍びの兵をつけなかったのか。
忍びの物見を出さなかったがゆえに、謙信が密かに西条山を打ち立ったことも知らず、
かえって謙信に不意を突かれてしまったのです。
このせいで弟の左馬助・山本勘介などをはじめとして、一騎当千のつわものたちを失ったばかりか、
信玄も命からがら生き延びたのが幸運だと思えるほどの大敗を喫してしまうことになったのでしょう。
これは信玄の謀略が不足していたからにほかなりません。
それなのにどうして信玄に手落ちがなかったなどと言えるのか。

また、さしもの謙信も心を一方にばかり傾けて、信玄の不意を衝こうとばかり考え、
密かに西条山を忍び出て、馬がいななかないように舌を結び、
兵たちには声を出さないように木片を口にくわえさせて、
信玄の不意を衝こうとしたのは一隅を守るだけの行為です。

まさに戦を決しようというときには、まずは自分が負けないように準備をしてから、
その後に勝つための行動をするものなのに、
謙信は負けないようにすることはまったく顧みずに、勝つことにばかりこだわって、
自分の謀略を敵は知るまいと思って侮ったのは、地獄に向かって活計を寝るようなものではありませんか。

もし信玄が忍びの物見を出していたならば、どんなに越後勢が忍んで行動していても、
一万あまりの兵が行軍しているのにまったく気付かないというころはないでしょう。
もし信玄が西条山から謙信が出たのを知っていたならば、馬場・高坂たちを西条山に向かわせたりせずに、
謙信の後ろから備えを固めて攻めかかったはずです。
謙信がこれに渡り合おうとすれば、後陣はかえって先陣になってしまいますから、
まず最初に小荷駄隊が切り崩され、後ろ備えから乱れ立って旗本まで切りかかられ、
十中八九は西条山へ向かった武田勢だけに敗北してしまうと思います。

そうはいっても、義経以来の大強将と名高い謙信のことですから、自身で大いに防戦するかもしれません。
ここで利を失わなかったとしても、ここまで戦って乱れた隊列に、
信玄が七、八千の兵で攻めかかってくれば、
どんなに大強将の謙信といえども、たちどころに敗北するばかりか、
十中八九、長尾の家はこのとき滅亡することになったでしょう。
これを考え付かずに、敵の不意を衝いて勝つための作戦ばかり考え、
自分が負けて死ぬかもしれないということをわきまえないのは、謙信も十分に智があるとは思えません。

私が謙信ならば、西条山で陣を固めていたはずです。
信玄にさえ勝てる謙信なのですから、高坂・馬場がかかってきても、
たった一戦で勝利することができるでしょう。
そしてこの戦の後に兵を引き揚げるだろうと考えた信玄が、穴を見守って兎が出てくるのを待つように、
旗本の備えを固くして待っているはずです。
その思惑をそらして退却せずに、そのまま西条山に陣を固め、
勝った勢いを残したまま陣取っていればいいのです。
信玄は、「粗雑な一戦をして多くの兵を討たせたばかりか、敵に利をつけてしまった」
と深く後悔するでしょう。
そのときに再び戦ったとしても、謙信が勝つはずです。
また、サイ川を越えて引き揚げるにしても、勝って引くならまったく問題はありません。
こう考えると、良将ともに不足な点がありますので、十分な謀略があるとは思えません」


以上、テキトー訳。あと1回!

まあ切りどころが悪かったよねー、と少し反省している(´・ω・`)
そして、盛重と隆重、いつからいたのwwwww
佐々木が元春に報告してるシーンなんじゃないの。
盛重たちも同席してたの? いきなり名前が出てくるからびっくりするわー。
たぶん現代小説ではやってはいけない登場方法だろうね。

おそらくこの盛重の語りの部分は、「盛重が語った」ってことにしただけで
正矩自身の考えなんだと思う。
「家康には信玄、信玄には謙信」なんて言葉ができたのはこのころよりもっと後のことだろうし。
それにしても盛重さん、ホントよく出てくるな。
すごく気になってきたからそのうち杉原氏関連の論文とか読んでみよう。

今回気になったのは、忍んで行軍する様子を表す「駒の舌を結ぶ」「枚を銜える」という言葉。
意味がわからんので調べたら、「銜枚(かんばい)」なんて単語があるらしいよ!
ていうか夜討ちなどをするときに声を立てないようにするためのグッズがあったのか!
なんか、猿轡っぽいというか……まんま猿轡かwww やwwらwwwしwwwwwww

そんなわけで次回、これを聞いてた天野さんのターン!?
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