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2012-10-05

鹿介大暴れ!

だいたいの流れ:
一度は元春に出雲を追い出されたものの、再び勢力を盛り返してきて出雲奪還に動き始める
尼子勝久・山中鹿介だったが、毛利に味方する国人衆にはほとほと手を焼いていた。

……ていうかコレ、毛利側の軍記物だよな???
尼子中心に描かれてる部分が多くてちょっと混乱するんだぜw
最近サボりがちだったので、短い章をあわせて一気に三章進んじゃおう!


因幡の国鳥取の城合戦のこと

同九月二十二日、山中鹿介・立原源太兵衛尉・牛尾大炊助・森脇市正・横道源介・同権允・
足立次郎左衛門・同治兵衛尉など三千五百余騎は、毛利入道浄意が籠もっている鳥取の城へと押し寄せた。
先陣の一千余騎はそのまま一気に天王(主か)の尾根まで攻め上った。

これを見て城中からは弓・鉄砲を散々に射かけ、敵の足並みが乱れてきたところを見計らって、
三百余人が門を開けて突いて出た。
尼子勢の先陣はたちまち突き立てられて引き退いたが、
森脇市正・牛尾大炊助・足立次郎左衛門の三人が鑓を取り直して散々に突き返してくる。
足立治兵衛は太刀を抜いて切りかかってきた。
この者たちの働きは、実に一騎当千のつわもののようであった。
この四人の勇に助けられて、寄せ手は安心して退却することができた。

その後仕寄をつけて楼を組み上げて攻めていると、城中はたまりかねて城を明け渡した。
勝久がすぐに入れ替わって入場すると因幡の半分以上が尼子になびき従った。
こうしたところ、山名大蔵大輔豊国は鹿介に使者を遣わして、
「鳥取の城はこの豊国の端城ですので、どうか私に返してください。
そうすれば毛利家に味方するのをやめて、勝久と水魚の間柄となり、伯耆口へと兵を差し向けましょう。
もしこれをご了承いただけないのであれば、但馬の山名と相談して、
是非もなく一戦をするつもりです」と言い送った。

勝久・鹿介は「このことはどうしたらよいだろう」と立原・横道・森脇たちと話し合った。
「豊国は但馬の山名入道宗詮にとっては婿に当たる。
だから豊国と一戦することになれば、宗詮とも鉾楯を交えることになるだろう。
これと仲違いしては、この国にとどまるのは難しくなる」と結論して、
甲の丸を豊国へと返し与え、勝久・鹿介たちは二の曲輪へと移っていった。

そうしたころ大坪神兵衛尉が豊国に諫言した。
「尼子と一味なさって毛利家に背くのは絶対によろしくない。
尼子が数十ヶ国を従えていたとき、毛利は芸州のたった半国をようやく切り従えて、
あちこちで合戦をしたものです。
けれども尼子は何度も利を失い、ついに義久が元就の捕虜になってしまいました。
その後吉川・小早川が九州へと発向したときには、その隙をうかがって勝久が出雲に入国しましたが、
一度も合戦に勝てないまま国を追い出されました。

こんな流浪の身となってしまった尼子勢が、どうして本国を取り戻せるというのでしょうか。
鳥取の城のことは、輝元へと加勢をお願いすれば、
きっと元春父子がこの国へと打ち出てきてくれるでしょう。
そうなれば勝久は一日もこの国に足をとどめていられません。
城などは易々と奪い返せるはずです。
それなのにどうして、鳥取城を勝久から返してもらうためにあちらに味方する必要がありましょうか。

見ていて御覧なさい。すぐに元春父子がこの国へと出張りなさってくるでしょう。
そうすれば因幡一国の尼子方は、ぼろぼろと敗れ、滅びていくはずです。
そのときにはあなたも罪を逃れられませんぞ。これをよくよくお考えになれば、
尼子と一味することなど、まさに自ら滅亡を招くようなものです。
勝久に同心するとの約束を考え直して、どうか毛利家に一味なさってください」

大坪は再三諫めたけれども、豊国はまったく耳を貸さなかった。
大坪は、「私は元春の幕下に属すと約束しました。それは金石よりもなお固い約束です。
いまさらこれを違えるわけには行きません。
しかしこのまま国にとどまって鹿介と勝負を決しようとすれば、主君の豊国に弓を引き、
矢を放つのと同じことになってしまいます。
ですから、早々に国を出るより他ありません」と言って、芸州へと下っていった。

豊国はこれを聞いて、「大坪め、憎々しいことをするやつだ」と、
これまで散々忠志を貫いてきた大坪の、人質としてとっていた二人の子を、
人々への見せしめのためだと言って、鳥取の山下で磔にかけた。
これを見た人は皆豊国を憎んだ。


若桜合戦のこと

翌けて天正三年二月五日、山中鹿介は鳥取を出て、同じ因幡の国の若桜の城を攻めようと、
しばらく陣を据えていた。そこへ、草刈三郎左衛門尉景継が一千五百騎で攻め寄せた。
鹿介の先陣は亀井新十郎・武田源三郎の八百余騎、
二陣は鹿介・源太兵衛尉をはじめとして千三百余騎である。

先陣の武田・亀井は歯が立たずに突き立てられて、散り散りになって退いていった。
二番の山中・立原は無手と渡り合い、切りつ切られつ戦っていたが、
この勢もやがて敗色が濃厚になってきた。

草刈の手勢には、美作の住人で高村何某という鑓使いがいて、
真っ先に進んで敵数人を突き伏せ、勇み進んでいた。
ここに横道権允が駆けつけて刃を合わせた。
高村は有名な鑓の達人で、横道の具足の胸板を三ヶ所突き削ったけれども、
とうとう武運が尽きたのか、横道の体には傷一つつけられない。
そのうち、横道が突いた鑓が高村の高股に当たり、高村がそのまま倒れこんだところを横道が取り押さえ、
首を掻き切った。

これに励まされた尼子勢は一気にドッと突いてかかってきたので、
草刈は突き立てられて四、五町ほど引き退いた。
しかしすぐに取って返すと、備えを固めて控えていた。
尼子勢も敵の様子がものものしいと感じたからか、あえて深追いはしてこなかったので、
その後双方ともに引き揚げていった。


諸寄合戦のこと

山中鹿介は五百余騎を率いて諸寄(もろよせ)の民家に放火した。
そこから退却しようとするところに、陰山・蓑部らが八百余騎で打ち出てくる。
これを聞きつけて、山口左馬允の七百余騎、毛利入道浄意の四百余騎が後ろの山に陣を据えたので、
鹿介は網の中の魚のようになってしまった。

鹿介はもともと勇気盛んで大敵を者ともしない者だったので、背後の敵には目もくれず、
陰山たちに切ってかかっていった。
「今日の合戦は勝とうと思うな。ただ一太刀でも敵にくらわせ、打ち違えて死ぬつもりで、
私は皆より先に討ち死にするつもりでいる。皆も私より先に討ち死にせよ。
もしこのように一途に思い切っていれば、かえって死中に活路を見出すこともあるだろう」と、
鹿介は市場暗に切りかかっていった。

陰山たちは懸命に渡り合ったけれども、手下の有能な兵たちが数十人も突き伏せられてしまったので、
かなわずに突き立てられて散り散りになって退いていった。
鹿介は六、七町ほど追いかけて引き返したが、毛利・山口勢も戦利はないと考えて、
もう退却しようとしていた。
ここに鹿介が無二にかかっていったので、まったく戦線を支えることができずに、散り散りに逃げていった。
鹿介は十死に一生の難を逃れたばかりか、敵を数人討ち取って鳥取の城へと帰っていった。


以上、テキトー訳。

あー、大坪って豊国の配下だったのか。それなのに元春にも恩を受けてて……
いろいろと複雑だな><
目をつけた家の陪臣を取り立てて可愛がるってのは、
秀吉の特徴的な政策だと思ってたんだけど、
こういうのを読むと、それ以前からままあったことなのかなって気もするね。

あと、こういう流れだと、本当に尼子勢元気だなっていうか、
ほんとエネルギッシュだな、鹿ちゃん……ゆっくり休んでるところとか想像できないわ。
こんだけアグレッシブに攻めてこられると、元春もさぞうっtモゴモゴ

そんなわけで次回も続きの章から読む!
早く元春なり元長なり経言なり出てこないかな……

そうそう、余談だけど、この天正2年くらいから元長も政務に参画しだしたようで、
初名の「元資」から「元長」に改名したのもこのころ、
また十宗兼学の万徳院を建立したのもこの時期らしいよ~
いろいろ思うところあったんだね。長男はツライなぁ、元長(´;ω;`)
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