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2012-11-22

能き将、好き兵、佳き合戦

これまでのあらすじ:
天正六年六月二十日、上月城を攻める毛利勢と、城方の援軍に来た秀吉の勢との間に、
それまでにないやや大掛かりな合戦が勃発。
やる気みなぎる吉川勢。隆景は危うい戦を慎む良将なので動きません(キリッ
元長も杉原盛重らの協力もあって、即座に駆けつけ、采配を振るう。
中国勢は、秀吉の本陣の麓まで、上方勢を追い詰めたぞ!


上月合戦のこと(下)

さて、中国勢が鑓衾をつくって待ちかけていると、敵も馬を入れようと躍起になったが、
中国勢の備えは堅固だったので、敵もかかってくることができない。
そのなかでも大谷刑部少輔はたった一騎で中国勢の間近まで馬を進め、
中国勢の備えをうかがって、隙間さえあれば味方を進軍させて乗り入れようと、馬を走らせた。
この様子は、なんとも大の剛の者に見えたという。

中村式部少輔は、五本はごの鉄砲ばしょうで数百挺をそろえて散々に撃ち掛け、
敵が少しでも色めき立てば、その隙に乗じて虚を突こうと思い入れ、
その気概は見ただけでも溢れ出さんばかりだった。
秀吉の配下は数多くいるが、そのなかでも神子田・中村は何度も武名の誉れありと、
世を挙げて人々が賞賛しているのも、実に道理だと思える。

中国勢は、「ここまで逃げる兵を追って深入りしてしまったのだから、とにかく一戦したいものだ。
勝ったとしても負けたとしても、ここで退却するのはどうかと思う。
後ろの山に誰か一人を上げさせて備えたい。
けれども熊谷伊豆守信直は、今は周防の富田の若山にいる。
杉原盛重はここにいるが、はたしていったい誰が、自分の武名を上げる好機を目の前にしてそれを捨て、
味方の合戦の勝利を確実たらしめるための策謀を運ぶのだろうか」と考えていた。

そこに、誰かはわからないが、武者が三百人ほどで後ろの山へと上がった。
誰だろうと見てみると、真っ先に進んだ武者は、なげ首だった。
「これは天野紀伊守隆重だろう」と思って見守ったが、そのとおり、
天野がその山に登って備え、味方の背後を固めた。

今回が初めての京都・芸陽の合戦なのだから、
誰もが皆我もわれもと勇を顕し分捕り高名を極めたいと考えている。
それなのに隆重は自分の小勇には目もくれず、味方全軍の必勝の策を胸に、後ろの山に控えたのだ。
隆重は実に仁義ある勇士である。
「今までも花も実もある文句なしの侍大将だと聞き及んでいたが、
今の振る舞いで、花には香りを添え、実は味を増したようだ」と、人々は皆感心した。

穂田治部太輔元清も、杉原たちより右のほうへ打ち出てきていた。
敵は高倉山の草むらの中に隠れていて、鉄砲をしきりに撃ちかけてきたが、
その後は山の麓まで降りてきて、散々に射撃してくる。
元清は鑓を五十本ほど揃えて、ドッと叫んでかかっていった。
敵はたまらず、蜘蛛の子を散らすようにさっと散って、また草むらの中へと逃げ入っていく。

児玉小次郎は輝元様から「上月表の陣中の様子が心配だ」と差し遣わされていて、
轉与三右衛門を物頭として鉄砲三十挺を添えられていた。
児玉も高倉山近くに打ち出てきたところ、敵も堤を楯にして鉄砲を撃ちかけてくる。
児玉も堤の陰から鉄砲を打たせてせめぎあった。
小次郎がややもすれば突いてかかろうとしたとき、「もうしばらく待て」と、
そばにいた若林藤兵衛尉が児玉の草摺をつかんで引いた。
そのままよき時分をうかがっていたが、敵に少し隙ができたとき、「さあ懸かれ」と手を離す。
児玉は鑓を打ち振りながらかかっていき、敵はたまらず逃げ退いて、細竹が茂っている陰に隠れた。
しかし児玉はそれを追う。敵はこの藪を楯にして散々に防ぎ戦う。
そのなかで、「藪内匠」と名乗って児玉小次郎と鑓を合わせ、
汗を滝のように流しながら突き合う者がいた。

若林藤兵衛尉は祖父の伯耆守にも劣らぬ大の剛の者だったので、真っ先に進んで敵を多数突き散らし、
その気概だけであたりの敵が引いていくようだった。
菅田三郎左衛門は太刀で戦っていたが、敵に股を突かれながらも、
その鑓を引き抜くと、それを取り直して戦う。
児玉はなかなかの勇士なので身命を惜しまずに戦い、敵は足並みをしどろに乱しながら、
ついには後ろの茂みの奥へと引いていった。

さて本道筋のせめぎあいが始まってからどれくらい経っただろうか、
互いに弓・鉄砲を打ち違える矢弾の音、鬨の声が天地を揺るがすほどになった。
そこに、秀吉が軍使を遣わして、味方に「早々に引き取って来い。
敵がこの陣の麓まで詰め掛けてきたとはいえ、吉川元春・小早川隆景の旗はまだ本陣にある。
となれば、大将の下知がなければ、この陣へと突き入ってきて合戦をするはずがない。
早く引き上げてこい。元春は懸かり合いの戦を好む大将だと聞いている。
もし後詰に出てきたならば、こちらが引こうとしても引かせてくれないだろうから、
今のうちにさっさと兵を引き上げてしまえ」と下知した。

さすがに物慣れた上方勢は、備えを堅固に立ち設けて、順繰りに一段ずつ引いていった。
芸陽勢は敵が引くと見ると、安心して狙いを定めながら鉄砲を撃ったので、
無駄弾はほとんどなく、撃つ度ごとにほとんどが敵に命中した。
上方勢の怪我人、死人は数知れなかった。

吉川経言・杉原元盛・その弟の景盛は、
「ここで懸かっていって敵を食い止め、残らず討ち果たしてやろう。
敵の引こうとしている道は狭いのだから、一ヶ所で混雑して備えが乱れるはずだ。
これこそ好機、一人残らず討ち果たせる」と強く進もうとしたが、
元長・盛重はこれを聞くと、「いや待て、それは違う。
行く先が広い場所であれば、追いかけていって蹴散らして討とうとすれば、
浮き足立った大軍など、易々と打つことができる。
ここは先が狭くなっている。敵が退却したくともできないという状況になれば、
心を一つにして無二に取って返してくるだろう。
決死の覚悟を胸に抱いた敵勢には、なかなか歯が立たないものだ。
さあ、ここまで敵を追い詰めて、大勢討ったのだから、これを勝ちにして、味方の勢も引き上げよう。
逃げる敵を追うにも、場所により、時により、敵にもよるものだ。
『逃げるを追って百歩に過ぎず』とは、こういう場面のことを言うのだろう」と制した。

そしてそのまま備えを固め、敵が取って返してきたときには渡り合おうと、静まり返っていた。
鉄砲足軽二、三百人をあちこちに走り回らせて敵に撃ち掛けさせ、敵が引く様子を見守る。
敵が次第に引いていき、はるか山上まで退却したのを見ると、それから中国勢も静々と兵を引き上げた。

この日は合わせて三ヶ所で競り合いがあったが、いずれも中国勢が勝ちに乗って二十余町も敵を追い立てた。
上方勢との初の合戦で、敵に塩をつけたと大いに喜び、勇まない者はいなかった。
けれども元長は、敵があっけなく引いてしまったので、
入り乱れた大合戦にならなかったのを、それは残念に思っていた。


以上、テキトー訳。おしまい!

いやー、いいですねぇ! 元長がお兄ちゃんしてる!(゚▽゚*)
保護者、保護者だ! この好戦民族元長でも、弟相手に止めるときは止めるんだ!
「大合戦にならなくて残念~」とか言っちゃうくせに! くせに!!!
吉川兄弟可愛いわ。まじ可愛いわ(興奮が収まらない)!

さて無理やり他に目をやってみると、大谷さんがだいぶageられてるんですけど。
江戸時代初期から人気だったんだろうなぁ、という想像。
なかなか心を揺さぶるもんね、大谷さんの死に様は。
朝鮮の描写でもそうだったけど、軽やかに一人馬に乗って敵の陣様を見てくる、
というのが、陰徳記での大谷刑部の得意技っぽい。
かっこええな。

あとあと。若林藤兵衛尉が出てきたよ! びっくりした!
このころのポジションはどんなもんだったんだろう……
あ、若林さんというのは、後に娘が広家の側室になり、広正を産んでいます。
この活躍が本当だったかどうかはかなり怪しいけど、
なんかそういう称揚っていうか、盛ってる部分が多大にあると思うよ!

元服していないはずの黒田吉兵衛尉が出てきたり、福島正則が初高名したり、
大谷さんが馬で疾駆したり、若林のじいちゃんが出てきたりと、
この合戦描写はオールスター戦みたいな感じで楽しかった。
経言も活躍したしな(*´∇`*)
天野さんもかっこよろしいで(*´∇`*)

そんなわけでたぶん次章からは尼子勢が追い詰められていく感じになると思うので、
先を思うとちょっとどんより……鹿ちゃん好きやねん……
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