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2012-11-23

秀吉の決断

だいたいの流れ:
織田方の尼子勢が上月城に籠もり、宇喜多直家の要請を受けた毛利勢がそれを攻め、
城方の援軍として秀吉が高倉山に陣を張っていた。
秀吉のもとには信長から数万の援兵が送られて、しばらく両軍はにらみ合っていたが、
ついにやや大規模な合戦が起こる。
元長が采配を振るい、上方勢を辟易させたのが、天正六年六月二十日。

さて、どう出る、秀吉?


羽柴秀吉、上月表を引き退きたまうこと

さて織田信長卿は、上月の後詰のために諸軍勢を先に立たせ、自身も京都を打ち立とうとしていた。
そこに、羽柴秀吉が「中国勢は陣取りも堅固で兵糧も多く、
何十年在陣しても屈してきそうにありません。
とりあえず今回は後詰の出兵を延期され、また後日ご出張ください」と申し入れた。

秀吉は、「信長卿が尼子を捨てて出陣しないのは、これからの武名の傷になってしまう。
こうして秀吉が中国勢の戦の様子を見ていると、聞いていたよりさらに緊迫しているようだ。
大将は文武の大機大用を兼ね備え、
士卒は進んで死ぬことを誇りと思って退いて生きることを恥だと考える勇士猛卒のようだ。
だから味方は戦のたびに利を失ったのだろう。
このままでは、いつかは高倉山の陣も危なくなる」と思った。

そして惟任・荒木・筒井などといった諸将を呼び寄せ、合戦についての話し合いを行った。
そこで宮部善乗坊が進み出ると、
「敵陣の様子をうかがい聞くに、兵糧が十分にあって陣の構えも厳しく、兵もまた多いようです。
これまで何度も足軽をけしかけ、敵を誘い出して一合戦して強弱を確かめ、
賢愚を判断しようとしましたが、かえって敵に欺かれてきました。

呉子にはこうあります。『武候は問いかけた。
敵味方の軍が対峙しているが、大将を知らない。
私は相手の大将の力を見てみたい。それにはどうしたらいいか。
起は答えて言った。身分が低く勇のある者を将として、少数で敵に合戦を仕掛けます。
もし逃げたとしても罰することなく、そのときの敵の様子を見極めます。
きちんと兵を統率して、逃げる敵を追わず利を目の前にしても知らぬふりをしていたら、それは智将です。
このような敵とは戦わないほうがよい』と。

今回、元春父子と隆景の行状を聞くにつけ、彼らは五材を兼ね備え、
下の者たちを愛し仁政を施しているので、上下の息が合っていて、
皆父子や君臣のように絆が固いのです。何度戦っても、我が方に利はありますまい。
もうこの陣を引き払い、また後日信長卿がお出になって、
敵の根を絶ち葉を枯らせばよろしいでしょう」と言った。

秀吉はこれを聞いて、「尼子を救うために長陣を張れば、
最終的に城を落とされるばかりか、この陣もまた危うくなる。
だからといってこの陣を引き払うのは、頼みに思って立て籠もっている尼子を捨てるようなものだ。
そうなれば、私は千年の先まで義将の名に傷を負うだろう。
この二つのうち、何を是として、何を非とするべきか。
進退窮まった。ともかく皆の意見に従おう」と言った。

惟任・筒井たちは、「宮部善乗坊の言うことがもっともでしょう。
また秀吉が尼子を見捨てるのは口惜しいと仰るのも、実にそのとおりだと思います。
けれども、正面衝突を避けて虚を突くのは、良将の策謀というものです。
今は両川が数万の精鋭を率いて陣を固めています。
味方は大勢いるといっても、陣を張っている場所はあまり堅固ではなく、兵もまた一心同体とは程遠い。

こんなところに長く陣を張れば、味方が敗北するのは目に見えているでしょう。
大きな流れの中では、小さな傷など気にしないほうがよろしい。
尼子を見捨てるのに、それほど問題はありません。
どうか、まずは敵との正面衝突を避けてください。
後日再度大軍を催して、会稽の恥を雪げばいいでしょう」と、皆一同に言った。
秀吉もこの意見に同意し、同二十九日の早朝に上月表を引き払い、書写山まで引き上げていった。

このとき織田信忠・信雄・信孝兄弟三人は、播磨の嘉子川にいたが、
このまま兵を引くのも外聞が悪いと思ったのか、神吉の城へ攻め寄せた。
そのまま乗り崩そうと、ひたひたと塀を乗り越えようとしていたところ、
古つわものの神吉民部が散々に射立ててきたので、
寄せ手は怪我人や死人が二、三百人にも及んだため、一度にさっと引いた。

信忠様は、「この城を力攻めにしても、味方が多く討たれるばかりでよくない。遠攻めにしろ」と命じて、
攻め口を和らげて仕寄をつけ、勢を籠め上げて攻めだした。
城中は屈することなく防戦したが、八万余騎の敵に対し、味方はわずか千人が籠もっているだけで、
それほど長くは堪えられなかった。
ついに二、三の丸を攻め破られてしまうと、城主の民部太輔は仕方なく降参を申し入れた。

上方勢は「無理もない」と了承したが、民部を騙して城中から呼び出し、
討ち果たしてしまった。ひどい話である。
帰る者は招き、服する者は活かし、降伏した者はこれを許すのが当然である。
それなのに、このように振舞う信忠兄弟は、自身の心の醜さを露呈させてしまった。

信長は生まれつき智勇が世に超えていたとはいっても、仁義礼信の四つが欠落している。
とりわけ武の学がないので、賞罰は明確な基準がなく、政道も邪なものばかりであった。
だから、一旦は自身の勇をかさに天下を掌中に収めたものの、
ついには天下を保つことができずに終わった。
趙高・禄山・王莽の、たった一時の栄華と同じだと思わない者はいなかった。


以上テキトー訳。

あわわわわ。後味の悪い話だよ><
あの最高の合戦から一転、これかよ。信忠ェ……
「苦しからず」と切り捨てられる尼子……つれえな(´;ω;`)
鹿介は、絶対に秀吉が見捨てることはないと踏んで、上月城に籠もったのにな。
こういうのが、「運が尽きた」って感じなんだろうか。

そして次章、ついに上月城が(´;ω;`)ウウッ
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