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2012-12-04

宗教勧誘は間に合ってます

前回からすっかり時間が空いてしまったけど、
体調不良と忙しかったのとただぼけっとしてたのと、いろいろ重なったから。
それに漢文過多でよくわかんないんだもん(´;ω;`)

とりあえず前回のあらすじ:
上月城落城の際に腹を切った神西三郎左衛門。
籠城についてきていた妻も、夫と一緒に死出の旅路に赴こうとするが、
三郎左衛門の必死の説得で、女房は自害を思いとどまり、城を落ちていった。


神西の女房のこと(2)

こうして、神西の郎党たちは、その女房を身支度させて京都まで連れて上っていき、
とあるところに宿をとった。
女房は「出家をするのだから尊い知識人のいらっしゃるところに連れて行ってほしい」と言うので、
郎党たちは、「そういうことでしたら、何でも仰せに従います。
同じ御仏の教えではありますが、八宗十宗などといって、
さまざまな流派に分かれていると聞き及んでいます。
さて、どちらの宗門のお寺へお連れいたしましょう。
どこであろうとも、仰せのままにお連れしますぞ」と応じた。

女房がどこの寺がいいだろうと考えていたとき、念仏宗の僧が一人居合わせたのだが、
女房に向かって説法を始めた。
「とにかく女の身ほどつらいものはありません。
五障三従の罪が深く、十方の浄土にも入れてもらえずに、三世の仏の国からも厭われて、
仏となれるときは来ないのですから。
五つの障りというのは、勇猛で我欲が強くなければ男として生まれることができたのに、
雑多な欲望が強いために女人となってしまったので、帝釈天になれないこと。
清浄の行を行って垢や汗をかかないのであれば、四等の心を修め、四禅を尊んで梵天ともなれるのに、
邪淫をきわめて節操がないからこそ女人となり、梵天にはなれぬこと。
十善具足の三宝を敬い、両親に孝行をすれば魔王にもなれるのに、
軽率で従順ではないではないばかりに正教を毀損して女人となり、魔天にもなれないこと。
菩提道を行い、慈悲の心を修めれば輪王となれるのに、
清い行いがないために女人となり、転輪聖王にはなれないこと。
菩薩のような心をもって、一切の念を断ち切り、無我の境地を解せば成仏できるのに、
色欲に執着してしまう業のために女人となり、仏にもなれない。
これを五障というのです。

また毘尼母経にはこうあります。
『女人が出家しないから、仏の正法が千年続くべきところ、今は五百年も減じてしまっている』とか。
宝積経には、『女人は地獄の使いでありときどき仏の種子を断じ、見た目は菩薩のようなのに、
内面は夜叉と同じだ』とあります。
一度女人を目にすると、功徳を見失うこともよくあって、
たとえ大蛇を目にしたとしても、女人を目にするべきではない、とも説かれています。

こうした経文を見ると、女人が成仏できないのは嘆いてもしかたのないことにも思えますが、
古い言葉にも、『仏性は男女に隔てない。真理を識得すれば女もすなわち男となる』とも言われています。
また、法華経の堤婆品には『変成男女』のことが説かれていますし、
薬王品には『女としての本分を尽くせば、二度と女に生まれることはない』とも説かれています。
また仁王経には『多くの女人が姿を現して神に通じる』ともあります。

しかしそれは大昔の女人のことで、彼女らはとても優れていました。
今は濁った世の中で、末法の世の人間では、公は行きません。
倩女という娘から魂が抜け出たという話もあります。
また、劉鉄磨のような、利発で悟りを思うままに開いた女人だって、いくらでもいるとか。

我が朝では、橘后が弘法大師に密教について、
『法をよくわかっている者はいるのか』と問いかけたそうです。
弘法大師はこう答えました。『大唐に物心宗があり、これは達磨大師が伝えてきたものです。
だから彼の地に行きたいのです』と答えました。
この空海は、まだ見聞は浅かったのですが、日夜励んで、ついにこの道を究めました。
しかしこれらは皆、本来の教えとは別に伝わっているものなので、
愚かな女の身で、どうして仏性を悟ることなどできましょうか。
祖師の意図するところには到達できないと思います。
阿弥陀如来は、五劫思惟生因、十八本願に、すでに十方の衆生を救おうと誓っていらっしゃるのですから、
それに女人が含まれていないわけがありません。

弥陀経には、『もし善男善女がいるならば、阿弥陀仏の教えを聞け。
その名前を心に、一日から七日の間、一心不乱に唱えれば、その人が臨終のときには、
阿弥陀仏が多くの聖人たちとともに降臨してくださる。
その人々が目の前に姿を現せば、人は生命が終わるときに心を乱すことなく
阿弥陀仏の極楽浄土に往生することができる』とあります。

また阿弥陀如来は、誓願の三十五に、とりわけて女人の往生を誓っています。
その文には、『私が十万無量不可思議を会得したら、諸仏世界は私の名を唱える女人のために開かれる。
歓喜して往生を信じ菩提心を起こし、女の身を厭うことはせず、
寿命が終わってからまた女の身に生まれることはない』とあります。
ですから、善導の説にも、『弥陀の本願の力があるからこそ、女人も仏となることができる。
まさに命が終わろうとするときに、女人から男子になれるのだ。
弥陀が手を差し出し、菩薩が身を支えてくれて、宝の花の上に座ることができる。
仏に導かれて往生すると、仏の世界に入り、ついに悟りを開く』といいます。
また、『もし弥陀の願力に頼らなければ、すべての女人はどんなに長い時間がたったとしても、
未来永劫女の身から解脱することはできない』とも書かれています。

韋堤希夫人は、如来が光明を放ち、十万仏土を現したとき、西方浄土を選んで西方の修行をしました。
依報が終わり、正報が始まって、第七華坐観に至り、仏は阿難と韋堤希に対して、
『よく聞いて、善を思念しなさい』と告げました。
仏はこの者たちを理解させ解脱させるために、苦悩を取り除こうとしていたのです。
『おまえたちはこれを会得し、大衆に説いて聞かせなさい』と言ったとき、無量寿仏が空中現れます。
観世音菩薩と大勢至菩薩の二大士がその左右に侍っていました。
盛んに光り輝いて、つぶさには見えません。
どんなにたくさんの閻浮檀金(砂金)であろうとも、この色とは比べ物になりませんでした。
韋堤希は無量寿仏を見て、その足に触れて礼をしたそうです。

また十六観を説き終わったときには、韋堤希は五百人の侍女とともに、
仏の身と二人の菩薩を見ることができたそうです。
心に歓喜がわきあがり、確然として大悟し、無生忍を得たそうです。
五百人の侍女たちは、阿耨多羅三藐三菩提心を発し、その国で生きることを願ったそうです。

阿弥陀の世に超えた悲願は、この濁世の下々の衆生を助けてくださる、親しみやすく修めやすい法なのです。
平等覚経には、『閻浮檀金を投じて、大きな仏像を一万三千体、千度造る功徳より、
念仏一返の功徳の方が勝る』ともあります。
ですから、あなたも弥陀の本願に願をかけ、誓願寺に行きなさい。
俗世を去って念仏三昧の暮らしに入り、夫の後生をよく弔うとともに、
自身の厭離江戸・欣求浄土の祈りも捧げるとよいでしょう」

念仏僧がそう言うと、神西の女房は、「では浄土宗に帰依しましょう」と答えた。
すぐに郎党たちを連れて誓願寺に参詣し、それから高僧に手ほどきを受けて出家した。
緑の黒髪を剃り落とすと、「その昔は振分髪も悪くないと思っていたのに、
今は打って変わって、『たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪をなでずやありけむ(後撰集)』
という気持ちがよくわかる」と、袂で顔を覆って泣き伏してしまった。
その様子は、見るだけでも心が痛むものだったという。


以上、テキトー訳。まだ続く。

まー……坊さん、よくしゃべるなぁ。
毎度おなじみ女人成仏の話は、一通り読んだだけでうんざりしてるので触れないw
こうグイグイこられると、私なんかはがっつり引いてしまうと思うけど、
神西の女房はよくこの坊さんの宗門に入る気になったねw
アレかな、あまりにまくし立てられすぎて、正常な判断力がなくなって、
とりあえずこの状況から解き放たれたいと思うばかりに高額契約をしてしまう、
一種のセールストークと似たような効果があるのかな、この種の説法って。

というか、この女房はたぶんいい年だろうに、宗派の意識とかが薄かったのかな。
さあ出家しようって段階になって、ようやくどの宗派にするか悩むとかw
なんかおかしい……これくらいが普通だったのかしら?

とりあえず頭が疲れたので今日はこのへんで。
今週も夜はいろいろバタバタしてるので、週末まで更新できそうにない……_ノ乙(.ン、)_
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