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2012-12-17

上月の別れ

昨晩は20:00くらいから睡魔に襲われて朦朧としており……
気がついたら朝だったわけだが、これは……風邪だね! たぶん!
投票所でウイルスもらってきたかな? 今回は気管支炎になりませんように!

さて陰徳記、だいたいの流れ:
病が癒えたといって上月攻略の祝辞を述べに来た宇喜多直家は、一方で信長とも手を結んでいた。
直家を討ち果たすべきと主張する吉川父子・国人衆を、理で押さえ込む隆景。
国人衆との当初の約束を履行すべく、但馬に向かおうとする元春だったが、
隆景の再三の要請によって、もう少しだけ南前への侵攻に付き合うことになった。
しかし行軍の途中、無二の毛利方であった中村(直家の婿)が、直家によって討たれてしまう。


両将、黒沢山を引き払われること

さて中国勢は黒沢山から中村が討たれるのを見て、「これはどういうことだ」と怪しんでいたところ、
その日の夜半ごろになって、明石飛騨守のところから弟の勘次郎が遣わされてきて、
「直家は逆意を構え、明朝に八幡山で両将を討ち果たすつもりでいます。
そのようにお心得ください」と、密かに告げてきた。
また、直家の弟の七郎兵衛尉忠家のもとからも、同じような密告があった。
忠家は、直家は実の兄でありながら、表裏第一の者だと考え、直家に心を許すことなく、
対面するときには着物の内側に著籠(鎖帷子?)を着て会っていたそうだ。

両将は、「それなら明朝にこの陣を引き払い、再び兵を出して宇喜多を滅ぼそう。
宇喜多が今もし平地に陣取っていたなら、今夜中に逆に攻めて討ち果たすのも簡単だろうが、
本人は八幡山に立て籠もり、兵たちが山の麓に陣を固くしているから、勝利は確実ではない」と決めた。
そして翌朝、黒沢山を引き払うために、鶏が夜明けを告げるころに兵糧を使い、
出立の準備をして夜明けを待った。

東雲がたなびいてほのぼのと日が昇ってくると、元春・隆景から武者三騎が八幡山の麓の陣へと遣わされた。
三騎の者たちは陣の一町ほど手前に馬をかけると、
「少々話がある。どなたでもいいので、ここまでおいでください」と言った。
陣中では、「両将からの使者がおいでだ。陣中へ入らずにこんなことを言うとはおかしいな」と言いながら、
我も我もと出てきた。

三騎の者たちは、「元春・隆景が言うには、
直家は毛利家の重恩を忘れ、元春・隆景を討って信長への貢物にしようと陰謀をめぐらせて、
今朝八幡山で饗応をしたいなどと騙してきたことは、是非も及ばぬ次第である。
だからこれからこの陣を引き払い、芸陽へ罷り下ることにした。
直家もきっと、こういうなりゆきになったのを残念に思われるであろうから、
こっちへ攻め寄せてくるといい。一戦しようではないか。
もし道すがら追いかけて一戦するのであれば、隆景は多数の警固船を尺志・名波あたりに置いてあって、
そこまで行って、船で備中まで下る予定であるから、尺志あたりへおいでになるといい。
元春は陸路で下るので、あとをつけてくればいい」と言い送った。

隆景は元春へと、「私は船で帰るつもりです。元春は陸路を行くのですか」と言った。
元春は、「前夜にも言ったように、関船を三艘貸してくれるとは聞いている。
しかし私一人が無事に引き退いたとしても、諸卒を捨てていっては、これから生きる甲斐もない。
どちらにしても、兵たちと存亡を共にする」と答えた。
すると隆景は、「敵は場所柄に精通しているのだから、道の思いもかけないところに伏兵などを置き、
不意を突いてくることもあるでしょう。どうかご用心ください」と言う。
元春は、「直家の程度など知れている。狐が化けたような者だ。
私に対して一戦しかけてくることもできないだろう。安心してほしい。
とはいっても、私は慢心しているわけではない。道々の警固を万全に申し付けてある」と言って、
兄弟は東西へ別れていった。

隆景は謀略に優れ思慮深い良将なので、もしかしたら敵が鉄砲隊などを伏兵として置き、
狙ってくることもあるかもしれないと思い、
自分の鎧は井上又右衛門に着せて自分は井上の鎧を身に着け、馬も乗り換えていた。
井上は大将のふりをして先へ進み、隆景は供奉の者たちに混じって進んだ。

元春は陸路を進んだので、敵が伏兵を仕込んでいたらいけないと、
三刀屋弾正左衛門久扶・湯佐渡守が一千五百余騎で、味方よりはるかに先立って物見をしていた。
谷が深く切れ、峰がそびえている怪しそうなところは、
永禄のころに本庄の城を攻め取ったときのように、峰ごとに勢を分けて備え、深い谷を真上からのぞきこみ、
将が通り過ぎるのを待った。

先陣の三沢三郎左衛門・嫡子摂津守が弓・鉄砲を前に立てて進むと、
小鴨・正寿院・岡本・佐波などが次々に続いた。
そしてしんがりは杉原播磨守父子三人が二千余騎で続いたが、いつもの備えとは違って、
一番先に旗を備え、その次に自分の旗本を配置し、
追う敵があったなら最初にぶつかる一番最後には鉄砲を立て、その次に長柄、
その次に侍たちが馬一騎に弓を一挺ずつ持っていた。
これは、敵が後を追ってきたら取って返すために、
一番最後の鉄砲がすぐに敵に対応できるようにした備えであった。
これは元春の工夫によってこのようにした。

そして盛重の次は宍道五郎兵衛尉で、盛重の相備えとなるので、宍道も同じように備えた。
その次は天野紀伊守、そして益田越中守をはじめとして、
周布・出羽・富永などの勢が、それぞれ備えを固くした。
元春の旗本から後ろの勢は皆、杉原のように備えて、敵が後ろからかかってきたら、
一足踏みなおせば先は鉄砲・弓・長鑓・侍旗の順に備えられるようになっている。
元春の旗本は前後左右から不意を突かれないように、弓・鉄砲などを備えてぎっしりと固まって進んだ。
明石飛騨守は、弟の勘次郎に人数を六十人ほど添えて、一日ほどこれを送っていった。

道の途中で直家の領国の勢が雲霞のように馳せ上っていくのに、何度も行き会った。
その日は延原に到着して、すぐに延原弾正忠・同内蔵丞に宿を提供してほしいと使者を送って申し入れると、
弾正父子は「もちろん承ります、かしこまりました」と、道まで迎えに走り出てきて、
袴の脇を高く上げ、道の脇にかしこまった。

その後延原が饗応の膳を整え、風呂などをたいて進めてきた。
元春が湯浴みに行こうとすると、家之子郎党たちは、「それはどうかと思います。
もし浴室で延原が討とうとしていたらどうなさるのですか」と諫めたが、
元春は「直家でさえ後をついてきて討つことができなかったのに、どうして延原に討たれるというのだ。
それに用心はよく言いつけておく」と言って、旗本勢に厳しく警固を申し付けたので、
おいそれと討たれるようには見えなかった。

それから美作の高田に着いた。
ここからは味方の国になるので安心して、国人たちを皆国もとに帰したのだったが、
南条は一人陰謀を抱いていたので、暇乞いの際には自分は参集せずに使者を送って言上して、
高田の奥万行山というところを越えて自分の国へと帰っていった。
杉原・三沢・三刀屋などの出雲・伯耆の者たちは、皆ここから自分の城に帰っていった。


以上、テキトー訳。

へえ、陰徳記では隆景が直家の魂胆に気付いたって筋ではなく、
明石さんと忠家さんが忠告してくれたってことになってるんだね。
送ってくれる明石さん、やっさすぃ~♪
しかしその後も直家に従いながら、元春たちにこんな警告をしてくれるってのも不自然な気がするが、
いつか自分が直家に狙われたときのことを考えて、恩を売っておいたってことなのかな。

そんでまあ、撤退するときの捨て台詞がいいじゃない。
「こういう経路で帰るから、襲ってくるといいよ!」
かっこいいなw
兄の身を心配して船を貸すと申し出る隆景、
兵たちと生死を共にすると決断する元春……こういうシーンもいいなぁ。

さて、イレギュラーな朝の更新になってしまったから、
とっとと仕事に行かねば!
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