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2012-12-24

吉川衆「move! move! move! move!」

だいたいの流れ:
上月城を攻め取り、初の対織田の正念場を勝利で飾った毛利勢だったが、
南では宇喜多直家の裏切り、北には南条元続の裏切りが露見し、元春たちはその対応に追われていた。

というわけで、久々に生き生きとした合戦です!
聖夜? 知るか。
今日は私の好きなプロレスラーのお誕生日です。


美作の国、所々の城没落のこと

さて、宇喜多直家が信長に寝返ったので、その領国を攻め取るべく、
翌年の天正八年二月初旬、毛利右馬頭輝元様・吉川駿河守元春様・嫡子の治部少輔元長・
三男の民部太輔経言・小早川左衛門佐隆景らは、総勢三万余騎を率いて美作の国に発向すると、
宇喜多が勢を入れ置いてある方々の城を取り囲んだ。
宇喜多は沼本新右衛門に下知して、大寺畑・小寺畑・篠吹の城を接収させ、
大寺畑には直家の婿の江原兵庫佐に羽柴筑前守から送られた加勢を付けて入れ置き、
篠吹には市五郎兵衛尉を差し籠めた。

そして同九月、小寺畑(城番芦田太郎と)を取り囲み、尾首に仕寄をつけて攻め近づいていくと、
朝枝源次郎が一番に攻め上り、比類のない戦いをして討ち死にした。
今田玄蕃も同様に先を争って戦ったが重傷を負った。
同十二日には城中がたまりかね、兜を脱いで旗を巻き、降参してきた。
彼らは大寺畑へと入った。同十六日には大寺畑を取り囲み、
尾首からは輝元様の旗本勢と隆景の手勢が仕寄をつける。
川の方からは元春の手勢が仕寄を寄せた。

これを聞くと、砥石山の城は取り囲まれないうちにと考えたのか、城を空けて逃げ出したが、
吉川勢がいち早く追いかけて数十人を討ち取った。
こうしたところに大寺畑の城中では謀反人が出て、
高田の城にいた楢崎弾正忠(元兼)のもとへと密かに内通してきた。
「お手勢を切岸まで寄せてください。そのとき城に火をかけます。
火の手が空中にほとばしったら、一気に乗り崩してください」と言うので、
楢崎はすぐにこれを了承して合図の火を待っていた。

さて取り決めていた日程になり、寅の下刻(午前四時ごろ)ほどに城中の小屋から火が出たので、
楢崎が一番に駆けつけて切岸へと寄っていく。
ここには、直家から富山半右衛門が使者として遣わされていたので居合わせていたのだが、
味方を励まして散々に射掛けさせた。
城中の者たちは、「敵は襲ってくるし小屋からは火が出ている。これはかなわない」と思い、
皆逃げようとして門の外へと出てきた。
これを富山が制したので、立ち戻ってきた者も多かった。

吉川衆が切岸へ迫ろうとして上ってくるのを味方だと思ったのか、
逃げ出そうとしている敵が三十人ほど城中へ入って行き、
長刀を持った兵が後ろをキッと振り返って、手を上げて招いた。
吉川衆は、「味方はもう城中に乗り入ったのか」と思って、間近に寄っていった。

城中からはこれを見て、矢先をそろえて散々に射掛けてきたものの、
最初は霧が濃く漂っていて敵のいる場所さえわからなかった。
東雲がほのぼのと明けてゆくと朝霧も吹き払われ、
寄せ手が切岸に付いてすぐ近くまで迫っているのが見えたので、
敵はここぞとばかりに射立ててきた。

吉川衆の松岡安右衛門・境外記・児玉市助・同朋の少阿弥たちは同じ場所にいたが、
少阿弥が立ち上がり、
「なあ市助、味方には鉄砲が一挺もない。これでは的にされて射られるばかりだ。
鉄砲衆を呼んで、あの矢間を撃とう」と言った。
それを敵が狙っていってきたので、少阿弥は一矢で死んでしまった。
松岡安右衛門も怪我を負い、また楢崎弾正忠も手傷を負ったので、
この城を乗り破ることができずに退却した。

その(十七日)仕寄を間近に寄せると、江原兵庫助は城から逃げだして、篠吹の城へと引いていった。
この城には、市三郎兵衛尉・嫡子五郎兵衛尉・芦田五郎太郎など三千余騎が立て籠もっている。
すぐに取り囲もうとしたが、江原は城を空けて備前を目指して退却していった。
これを見て岩屋の城も空け退いたので、その後は宮山の城を取り囲んだ。
宇喜多から羽柴筑前守秀吉へと使者が送られ、
「毛利三家が美作へと侵攻してきて、味方の城を次々に攻め落としていきます。
どうか援軍をお送りください」と再三言い送ったが、
秀吉は何を思ったのか、「今回は出張できそうにない。
もし岡山近辺へ打ち出てくるならば、秀吉が後詰に向かおう」と言って、美作には出張してこなかった。

こうして宮山の城を攻めている途中、在郷のそばに風呂があり、
寄せ手が毎日入りにきているのを知って、城中から打って出て、
風呂の用意をする人足たちを討ち取ろうとした。
これを見て江田新右衛門・山県源右衛門・同次郎右衛門などが鉄砲を手にして助けに駆けつけてきたので、
敵はさっと引いていった。

敵は竹が茂っているところに籠もると、江田たちがかかってくるのを待ちかける。
城中からは、味方が難儀に及んでいるとわかると、次々に七、八百人ほどが打って出てきた。
元長はこれを見ると自ら一千余騎を率いて打って出てきたので、
城中の者たちはたちまち押し立てられて退却していく。
これを追い詰めて、門の前まで攻め寄せた。
城の者たちも、敵が引くなら追いかけるつもりで、手に手に鑓を構えて控えていた。

寄せ手の血気盛んな者たちが門前近く攻め寄せて柵の木を切り破ったとき、
井下左馬允・森脇弥五郎・小笠原源次郎右衛門らが怪我を負った。
城の備えが堅固なので、そのまま乗り破ることはできなかった。
元長様の下知で、鉄砲を段々に備え、敵を打ち払いながら少しずつ引いていくと、
まったく備えが乱れないので、城中の者たちもあとを追ってはこなかった。
その後さらに詰め寄っていくと、宮山の城は明け渡され、敵は命からがら備前へと逃げ上っていった。

こうして毛利三家は同四月初旬に芸州へと引き上げたが、
輝元様・隆景は南前への仕置きのために備中へと出て行き、
あちこちの境目の城に兵糧などを入れて、やがて開陣した。


以上、テキトー訳。

おー、なんかどこかで見かけた名前が……と思ったら、
大寺畑の城にたまたま来てた富山半右衛門というのは、
だいぶ後のことだけど、広家が宇喜多の娘を娶る際に、
嫁さんに付けられていた人じゃなかったっけ。
何かと縁のある人はかっこよく描かれてるのねw
こうやって敵対してた人たちが、所縁を結んで仲良くなるってのは、
なんだか嬉しくなってしまうものだけど……今は合戦!

朝の暗いうちに切岸に迫り、矢玉の降り注ぐなか攻め近づいていく吉川衆、いいわぁ。
なんか、戦争映画のワンシーンに出てきそうっていうか、そんなのあったよね。
題名が思い出せないけど。
しかし少阿弥、自分で「的にされちゃうよ」って言いながら立ち上がるのはどうなの。
的にしてくれてと言ってるようなものじゃない。
そしてやっぱり死んじゃうフラグだったわけで……合掌。

あと気になるのは、風呂です! そこか!
これまでも何度か風呂が登場してるけど、戦争中でも近くの風呂に通ったりするのね。
みんな風呂好きなんだな。
このころは蒸し風呂が主流だったようで、「風呂を焼く」という表現だったよ(陰徳記では)。

てなわけで、次章、直家さんの怪しい動向を追う!
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