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2013-01-02

織田VS毛利、境目の合戦

だいたいの流れ:
織田と毛利の対決が表面化してからというもの、
境目を領する南条・宇喜多などは、巨大な勢力二つの間で揺れ動いていた。
無二の毛利方だった南条宗勝の死後、元続・小鴨元清兄弟は織田に寝返り、
宇喜多直家も、隆景・元春の暗殺に失敗すると、双方の情勢を注意深くうかがっている。
元春たちは、南条勢を攻め滅ぼすために、伯耆の仕置きを厳しくしていた。

今回は少し短めの章を二つ連続でお送りします。


羽衣石の城の向城を構えられること、付けたり宇津吹の城合戦のこと

吉川元春・同元長・同経言らは、羽衣石の付城を築くために伯耆へと打って出ると、
数ヶ所に城を構えた。
まず高野宮の城には山田出雲守、松カ崎の城には小森和泉守、
条山には岡本大蔵・日根兵部少輔、また南条(小鴨)元清の籠もっている岩倉城の向城には、
宇津葺に羽根兵庫助元安・牛尾大炊助・北谷刑部少輔、
島田の城には正寿院の西堂利安・小鴨四郎次郎(経春)らを差し籠めた。

こうして元春父子は芸陽へと引き上げていくと、
南条兄弟はそれから宇津ふきの城へ攻め寄せて攻め破ろうとして、
南条伯耆守元続・同左衛門尉元清らは三千余騎を率いて宇津葺へと攻め寄せた。

これは天正七年十二月二十三日のことで、雪が急に降り出して、
兵たちは手足が凍えてしまったので、弓を引いたり鉄砲を捧げ持つことができなくなった。
城中では、下戸は餅を煮て腹いっぱいに食い、上戸は酒を温めて好きなだけ飲んだ。
そうして敵が近づいてくるのを待ち受けていると、元続・元清はしきりに太鼓を打ち、
采配を打ち振るって、「かかれ」と下知した。
寄せ手の兵は、「エイ、エイ」と声を上げて進んだ。

城中から羽根・牛尾・北谷、そして元春から検使として置かれていた二宮杢助が、
散々に敵を射立て、突いて出て行く。
敵がひとたまりもなくさっと引いたところに、
城中から牛尾大炊助・卯山善四郎が、逃げる敵を追っていった。
南条の郎党の一条猪介が取って返して牛尾と散々に突き合っていると、
卯山善四郎が駆け寄って、一条の胸板をしたたかに突いた。
一条は下の川に突き落とされてしまった。

このまま水中でできしてしまうかと思われたが、一条は屈強な水練の達人だったので、
具足をつけたまま泳ぎ上がってきた。
命が助かったのを幸いに帰っていくのかと思いきや、
猪介はかかることばかりを考えて引くということを知らない猪武者なので、
また取って返してもとのところにやってきた。
「牛尾、卯山よ、先ほどの鑓勝負に決着がつかなかったのが口惜しくて、またやってきたぞ」と、
にっこりと笑って駆けてくる。
牛尾・卯山も至強のつわものなうえ、敵一人に対して自分たちは二人だということもあって、
勇ましく進んで渡り合った。
そのまま火花を散らしながら戦っていたが、二対一なので、ついには一条が討たれてしまった。

そして、城中の者たちはその翌日に、昨日の合戦の鬱憤を散じようとして、
それに南条がまた何か仕掛けてくるかもしれないと、山の麓に柵の木を結いめぐらしていた。
そこに、南条の組頭の赤木兵太夫の嫡子で大力という者が、馬で攻め懸けてきた。
この馬が極めて頑強だったので、力強く手綱を引いても一向に止まらず、
大力の意図に反して、柵の木を結ってあるところまで来てしまった。
城中の者たちはこれを見ると、「やった」とばかりに駆け寄って大力を馬から引き摺り下ろし、
数人がかりでそこで討ち取ってしまった。
城中の者たちは、「南条との初めての合戦に勝利を得たのみならず、
またこうして思いがけずに敵を討てたのは、軍神の加護があったからだろうか。
先行きが楽しみだ」と、皆勇みに勇んだ。


但馬の国、竹田の城合戦のこと

羽柴筑前守秀吉・その弟の美濃守秀長は二万余騎を率いて但馬の国に発向した。
この国の竹田の城には太田垣軍監が立て籠もっており、この太田垣は無二の毛利方だったので、
羽柴勢はこれを攻めようとしてひしひしと取り囲んだ。

この軍監は西国無双の勇士として名高い、丹波の赤井悪七の甥であった。
悪七は兜に唐の冠をつけたものを用いていたが、
敵は唐冠の兜を目にしただけで戦わずに逃げ出すほどの剛の者だった。
赤井は最強の名を得た者だったので、近隣には赤井をはばかって、唐冠の兜を用いる者はいなかった。

軍監は伯父の悪七に向かい、
「今日の合戦では、唐冠の兜を私に貸してください」と言ったが、
悪七はカラカラと笑うと、「唐冠の兜はおまえに貸してもいいが、
私の指一つ分の働きさえ、さて、できるかどうか」とからかった。
すると軍監は、そのとき十七歳だったので、「私を若輩だと思って、伯父でありながら侮っているな」と思い、
意固地になって、「私が悪七殿がこの兜を着けていたときほどの働きができなければ、
八万大菩薩もご照覧あれ、ここに帰ってきて悪七殿に再び対面することはありません。
この兜には絶対に恥をかかせません」と言う。
悪七は愉快そうに笑って、「おまえがその心意気でいるのなら喜んで貸そう」と言うと、
すぐにその兜を渡した。

軍監はこの兜を受け取るとすぐに身に着け、三千の敵に対してたった五百の勢で駆けつけると、
一戦して大勝利を得た。
敵を数人討ち取って三十余町を追い崩してから帰ってくると、
軍監は「どうです悪七殿、兜には一通りの働きをさせることができたと思いますよ」と言った。
悪七は大いに感心し、その兜は軍監に与えられた。
それから後、あちこちの合戦で、軍監は何度も勇を顕した。
これほど強い将がなので、秀吉の猛勢さえ恐れずに、自分の城に籠もって堅固に守りを固めていた。

こうしたときに羽柴美濃守が先陣として、五千余騎で竹田の城の虎の丸というところへ攻め上がり、
一息ついて城中をキッと見上げた。
太田垣は屈強な兵五百余人を前後に立てて、門を開けてまっしぐらに打って出てきた。
寄せ手の大軍は、「おっと軍監が出てきたぞ。思っていたよりも小勢だ」と言って、
我先に討ち取ろうとして渡り合った。
太田垣は万死一生と思い定めていたので、敵が射っても切ってもひるまずに、
無二に切ってかかっていった。
寄せ手は猛勢だったけれどもたちまち一戦のうちに突き立てられて、一度にさっと引いた。
太田垣は勝ちに乗って逃げる敵を追い、山の麓まで追い下し、
屈強な兜つきの首を三百余り討ち取った。
そのほか雑兵も数知れず討ち取った。

秀吉は激怒して、翌日、二万余騎を五段に備え、またその山の上へと攻め上っていった。
軍監はその日三度打って出て、三度の戦すべてに勝利した。
寄せ手は大勢の味方をあてにして、自分が危なくなるような戦い方はしない。
軍監は、小勢なので最初からかなわないと思っていたので、
快く一戦して討ち死にしようと心に決めていた。
そうして命を投げ捨てて戦ったので、毎度勝利を得て、手に手に首を提げて城中に帰っていった。
秀吉も軍監の勇気を侮りがたいと思ったので、また今度攻め落とそうと考えて付城を構え、
やがて兵を引き上げていった。


以上、テキトー訳。

前回の御伽噺のロマンチックさがかけらもないほどの小競り合いなわけで。
なんというか、名前に獣の文字が使われてる人はアレやな、というのが前半の印象。
真冬に胸板を突かれて川に落ちているというのに、
泳ぎ上がってきて戦場に戻ってくるとにっこり笑って、「決着をつけにきたよ」って、あーた。
そんなネジの外れた少年漫画のキャラクターみたいな……ねぇ。
でも好きだ。
こういう描写そのものが、生き生きしてて好感が持てるんだ。

そして後半、天空の城として有名な竹田の城だね。
私は不勉強で、ここの城主のことなどまったく知らないままこの話を読んでいたけれど、
伯父さんと甥っ子の心温まるというか血潮の滾るやりとりに、すっかりホの字。
若い者を年配の者たちがからかったりしながら成長させていくんだねぇ。
若い太田垣も、ガッツがあって頼もしいこと。

さてさて、次回も続き。相変わらず南条勢と吉川勢がわちゃくちゃやってるみたいだよ!
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