FC2ブログ
2011-11-30

煮詰まっていく

HPには多少余裕があってもMPがごっそり減っていく気がする。

前回のあらすじ:
織田に狙われた鳥取城に、吉川一門の経家が大将として入った。
しかし兵糧の備蓄がない。周辺地域はことごとく買い叩かれている。
本国から運び入れようとしても失敗。
さあ、秀吉が出てきたぞ。


吉川式部少輔経家、鳥取に籠もること、並びに秀吉出張のこと(下)

秀吉の本陣は摩仁帝釈山に据えられた。
西表の袋川と千谷川との間には、中村孫平次・少阿弥・山名大蔵太輔・木下備中・
荒木平太夫・神子田半左衛門・蜂須賀彦右衛門・小寺官兵衛尉・木村隼人佑・加藤作内、
東表には信長からの援軍一万騎、鳥取・丸山の間にある鷹金山には織田御万・宮部善乗坊、
備前からの加勢の明石飛騨守・長船紀伊守・福田五郎左衛門・楢原監物・
宇喜多七郎兵衛尉・宇喜多越前守など八千騎あまりが続けて陣取った。
また、芸陽からの後詰の押さえには秋里村に城を構え、
杉原七郎左衛門に二万騎あまりを差し添え、渡り口を押さえた。
また、海岸線には浅野弥兵衛尉が警護船を三百艘ほど並べ、家々の幕の紋、舟印が潮風に翻っていた。

丸山の東口には羽柴美濃守・増屋隠岐守・添田何某・山名但馬守、
北の方の山には垣屋駿河守・磯辺・秦・亀井・武田・蓑部など、少しの隙間もなく陣が張られた。
まず自分の陣に柴土手を高く築き、その上に木の柵を二重三重に結いめぐらし、
空堀を四、五間ほど堀り、塀を丈夫につけて矢間を重く切り、夜は一間ごとに提灯が一つ懸け置かれた。
これでは、空を飛ぶ鳥でもなければ通れない。
城中の兵たちは、網にかかった魚、籠に飼われる鳥と同じだった。

秀吉の陣は夜のうちに白紙で壁を貼らせたので、遠目には白壁に見えた。
また京都から乱舞の名手を呼んでおり、日夜鼓を打たせたり笛を吹かせたりした。
これは戦いの道をおろそかにしていたずらに日を送っているのではなく、
この城が名高い名城だからこそ力攻めにせずに数ヶ月を送って兵糧攻めにしようという謀略だ。
その謀略を敵に思い知らせ、城中の兵たちを退屈させようとの魂胆だった。
そして秀吉自身は一日に二度、乗り物に乗って諸陣を見回ったが、深い思惑があったのだろう、
まったく同じ乗り物を二、三丁ほど隔てて進めさせ、
供奉の兵たちも同じように整えて出立させたので、どれが秀吉なのか見分けることができなかった。

城中の兵たちは足軽を出し敵を挑発するが、秀吉が固く制していたので出合う兵もなく、
ただ鉄砲を陣中から撃ちかけてくるだけだった。
城中の兵たちは、敵陣との間に袋川があったので、
これを渡るのも難しく、近くまで寄ることもできない。

式部少輔・森下・中村は、そのほか出雲・伯耆の国人衆から送られた兵たちに向かって、
「敵陣に夜討ちをかけようと思うが、どうだ」と呼びかけるも、皆一同に首を横に振った。
「袋川の川幅はそれほど広くないとは言っても歩いて渡ることはできず、
舟で渡ろうとしても、船がいくらもないのでできません。
敵は斥候を出しているでしょうから、船で渡ってくるとわかれば大勢が対岸に集結し、
人数を分けて渡る兵を大勢で取り囲まれてしまい、皆なすすべなく討たれてしまうでしょう。
それでも城内の兵が志を一つにすれば、危ない状況をも顧みず、十死一生の戦いにも臨めましょうが、
今ここに籠もっている兵たちは、父が味方なら子は敵方にあり、
兄が城中に籠もれば弟は寄せ手の中にいます。
夜討ちが決まればすぐに敵方に知らされてしまうでしょう。
それどころか兵たちは、城中を出て夜討ちに臨もうとするときに、
心を変じて裏切り、または城に火をかけようとするかもしれません。
今しばらく様子を見て、元春の援軍をお待ちください」
式部少輔もこれに同意して夜討ちの評議は終わった。

しかしいかんせん城中の兵糧が乏しい。
急ぎこのことを吉田に報告するために、城兵の中から水練の達者を選んで、
袋川・千谷川の水底を通過させようとしたが、
敵はすぐに気付いて川に網を張り、所々に鳴子をつけたので、
水中を進む者五人がたちまち捕まって、皆首を刎ねられてしまった。

このせいで秀吉出張の知らせは芸陽に届かなかったが、
元春様が有地右近・新見新左衛門尉に鳥取に兵糧を入れるように命じた。
二人は大崎まで打ち出して、敵陣近くに近づき、隙をうかがって兵糧を入れようとしたが、
敵陣の備えがなかなか手に負えないもので、兵糧を入れられない。
有地右近・新見左衛門尉は三十町ほど離れて三日間陣を張ったものの、敵はあえて取り合わず、
その後二人も打ち入った。

鳥取城には食料が乏しく、飢えをしのぎがたくなった百姓・町人たちが、
城の外に出て木の実などを探しているのを見て、
あるとき、秀吉の本陣から勇壮な若者たちが駆け出て、町人たちを数名討ち取った。
これを見て、因幡の国衆の一人、尾崎の何某という者が、その翌日に敵が来るのを待ち伏せていた。
またその日も町人たちを殺そうと、寄せ手が尾上へ上ってくると、
尾崎はいきなり身を起こして斬ってかかる。
敵もたまらず我先にと逃げていくのを、城中の兵が追いかけた。

敵がこれを見て「味方を討たすな」といってわらわらと打ち出てくる。
その中でも七、八反ほど進んでいた兵たちが田の畦に鉄砲を構えているところに、
尾崎が不意に行きかかった。
敵がここぞとばかりに鉄砲を撃ちかけてくると、さしもの尾崎もどうしようもなく、
同じ場所であたふたとしていたが、敵はかまわずドウと撃ってくる。

尾崎の運が強かったのか、もしくは敵の鉄砲が未熟だったのか、すべて撃ち損じていたようだ。
尾崎はツッと敵に走り寄ると、硝煙の中に太刀を振り上げて躍り入り、
ヒラリと光ったと思えば、首を引っさげて帰ってきた。
味方はこれを見て、
「危機に瀕していた命が助かったばかりか、多くの人の目の前で高名を極めてやったぞ!」と、
声を上げて敵を罵った。
敵は音も立てずにいた。


以上、テキトー訳。

にぎにぎしく間抜けているように見えて、絶対に包囲網を崩さない。
連絡手段が断たれる。
食料調達も絶望的。
敵は弱い者を刀に掛け、反撃を受けて静まり返る。挑発には乗らない。
いやあああぁぁぁぁ。

心理戦で負けるわ。なんかマジで気味悪いわ。
もう白旗揚げたいんですけどダメですか?

こわい秀吉さすが怖い。
残酷さが、子供のような残忍さというか、善悪の分別がない感じなんだよね。
効果的に残酷さを演出しようとしてるんじゃなくて、
思いついたことを片っ端からやってみたら不要なくらい残酷だったというか。
小さな虫の羽や足を千切って喜ぶガキンチョ(在りし日の私の姿)と何が変わろうか。
官兵衛……やっぱり官兵衛がこれを仕切ってたのかなぁ。
あの人の空気読めなさ加減なら、嬉々としてやってたのかもしれない。
だってKYってのは「くろだ・よしたか」の略だもんね、さもありなん。

あと、毛利家は合議制で運営されてると認識はしてたが、
やっぱり末端の方でも、大将だからといって専制的な軍の運用はできなかったんだね、と再認識した。
反発を減らせるという点でうまい統治方法なのかもしれないが、
やっぱりスピードが求められる場面では弱いんだな。
中国大返しを成したスピードの鬼とは、そりゃ相性が悪すぎるわ。
スポンサーサイト



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

検索フォーム
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
訪問者数