FC2ブログ
2011-12-09

鳥取落城

前回のあらすじ:
鳥取城を取り囲む秀吉と城方の間では和睦交渉が進められていたが、
大将の経家が求められてもいないのに切腹を申し出て引かない。


鳥取丸山扱いのこと、付いて吏部以下自害のこと(下)

また二、三日してから、秀吉から同じ使者が送られた。
「経家の言い分は至極もっともだとは思いますが、互いに和睦すれば、
自害は必要ありません」と再三説得しても経家は受け入れなかった。
また秀吉としても、城を落としたとしても大将を送り帰したとあっては、
武勇のほどが疑われ、世人もどう思うかわからない。

「経家が義を守られれば、この秀吉の武名も上がります。
この上は、互いに固く誓いを交わして和睦すべきだと思いますので、誰か一人遣わしてくだされ。
起請の判を押し、その証拠をお見せしましょう。
もしおかしな考えを持つようなら、弓や鉄砲で攻めるのをやめて、
兵糧攻めにして飢え死にさせることになります」と伝えた。
これに答えるために、城中から野田左衛門・小野太郎右衛門が遣わされた。

経家が山県源右衛門に向かい、「秀吉への書状をおまえが書け」と言ったので、
山県は「承りました」と、筆を執った(石見吉川家文書一五一=山県長茂覚書)。
その書状にはこう書いてある。

「このたび、因州鳥取において京都・芸州が弓矢を戦わせ、
大軍を相手にし、切腹に及んで諸人を助けるのは、後代の名誉のためです。
この通りの趣旨を天下に広く知らせてください。恐惶謹言。
(天正九年)十月二十五日      吉川式部少輔 経家
    羽柴筑前守殿」

吉川元長公への別れの手紙は自分で書くと言って経家が書いた。
もとより達筆な上、これが最後だと思って書いたのだろう、
文字には誤字脱字もなく、筆の跡も非常に美しかった。
また、父の和泉守(経安)・母・子息の亀寿丸へも、後の形見ともなるようにと思ったのか、
とても細やかに手紙を書き綴った。

そして同十月二十四日、森下出羽入道道与・中村対馬守の二人は、
どちらも自分の屋敷でひっそりと自害していた。
丸山の城でも、奈佐日本助・佐々木三郎左衛門・塩冶周防守がともに自害した。
誰もが潔かったという。

式部少輔は秀吉の起請文の到来を待っている間に、数百人の手勢に最後の盃を与えた。
そして野田・小野が起請文を受け取って帰ろうとしたとき、
秀吉が二人に向かって「式部少輔の首は天下にお送りするので、介錯は念を入れてくだされ」と言う。
二人が城に帰ると、時刻は寅の刻になっていた。

式部少輔は秀吉の起請文を改めると、客殿に出てきた。
その肌には越後の帷子、上には浅黄の縮(しじら)の袷、その上に、
萌黄の裏をつけた黒い羽織を着けている。
具足櫃に腰をかけて座していたが、静間(源兵衛)に向かって
「信長の実検に入れる首なのだ。よく打てよ」と言った。
福光小三郎・若鶴神右衛門は、兼ねてから追い腹を切ろうと思い定めていたので、
どちらも肌に白い帷子を着けて、数珠を手にかけて座していた。

こうしたところで、経家は左右をキッと見て、「秀吉からの検使をここに通せ」と言う。
小坂永左衛門がそれに答えた。
「至極ごもっともな仰せにございます。検使は何のために来ているのか。
大将のご自害を見せるためですとも。ここにご案内しなされ」
野田も「承りました」と言って、検使を案内しようとしたけれども、
堀尾茂介・一柳市介は何を思ったのか、しきりに辞退するのだった。

さて、式部少輔は羽織を脱いで捨て、押し肌脱いで、
一尺五寸はある脇差についている卵型のつばを抜いて中巻にすると、にっこりと微笑んだ。
「日頃から稽古していたことだって、こうした折には心乱れて仕損じることもある。
ましてやこのようなことは稽古などしようもないものなのだから、
きっとみっともなく見えるだろうな」
また、辞世として「武士の取り伝えたる梓弓帰るや本の栖なるらん」と口ずさむ。

その声の下から、脇差を左の脇腹に突き立てる。
「エイヤッ」と右に引き回し、また心本に突き立てると臍の下まで引き下ろす。
刀はそのままに、両手を突いて首を差し出し、「よく打て」と命じた。
静間は刀を振り下ろした。
しかし、さすがに先祖代々仕えてきた主君だからか、
静間の目はくらみ、心も消え果て、太刀をどう打ち下ろしていいのかもわからず、
刃は経家の首に届かない。
式部は弱った様子もなく、「ばか者。切らぬか」と声をかけた。
ようやく二の太刀でその首を打ち落とした。

これを見届けた福光小三郎は、押し肌脱いで腹を一文字に掻き切り、
「お供いたしますぞ」と二度言ったところで、竹崎市允が首を宙に打ち落とした。
若鶴神右衛門はこれまで長く患っていたたので、腕の力が弱って見えたのだろう、
刀を腹に当てようとしたときに、竹崎が首を切って落とした。
そして式部少輔の首を洗い清めて首桶に納め、野田左衛門尉が秀吉の本陣に持っていった。
秀吉も「立派な義士であった」と、鎧の袖を絞ったということだ。

夜が明けると、秀吉は一柳の陣所の尾崎の矢倉に上って、下城する者たちを眺めていた。
袋川に橋を渡し、左右に検使を数百人置いて、芸陽勢と森下・中村の子を帰国させ、
この国の者たちはそのまま残し置いた。
また丸山では、諸卒が下城するとき、寄せ手が城戸を支えてこう言った。
「ほこり銭といって、城を明け渡して出る者は、一人当たり銀子五分を出せ。
これは京都の戦の流儀だ。もしこれに背く輩は、一人も残らず斬り殺すぞ」
城中の者たちが「なんてことを言い出すのだ」と思っていると、
境与三右衛門が出てきてカラカラと高笑いした。

「美濃・尾張、また五機内の腰抜け者どもが、命惜しさに侍の法を忘れて出すんだろう。
中国ではそれを首銭というのだ。侍である者が首銭など出すものか。
こんな恥辱を受けては、命があったとしても生きる意味などないわ。
城中の者たちよ、一人残らず私とともに討ち死にしようではないか!」
こう言って槍を引っさげて近づいてくる有様は、
いかなる鬼であっても真ん中を突き貫いてやるとでも言うような面魂だ。
寄せ手は、「確かにおまえの言うとおりだ。そのまま通ってくれ」と返した。

境が真っ先に立って城中を出ると、藤堂与右衛門が馬上で下知をして回っているところだった。
森脇次郎兵衛尉がこれに飛びかかって馬から引き摺り下ろし、
境も同様に組み付いて、藤堂を難なく人質にとる。
敵たちはこれを見て、山県九左衛門を人質に取った。

こうして鳥取の者たちを、検使の堀尾茂介・一柳市助が一里ほど先に立って、
河口刑部少輔久氏が籠もっている留(とまり)の城まで送っていった。
藤堂についてもそこで人質を取替え、敵と味方は東西に別れた。

式部少輔の首は秀吉によって安土へと送られ、信長父子が諸侍とともに実検した。
これほどの義士の首をいたずらに捨て置くべきではないと、
とある禅院に送り、ねんごろに供養したそうで、実にありがたいことである。


以上、テキトー訳。

ダメだ。最後の堺さんにすべて持ってかれてしまった。
経家と近臣の最期の有様に浸っている余裕なんかない。
まじでいいキャラすぎる。
藤堂さんを人質に取っちゃったり、かなりお茶目だな。
おとなしく人質にとられてる藤堂さんもなかなか茶目っ気がある。
この人はかなり上背があったみたいだから、飢餓で痩せ細った男の一人や二人、
簡単にねじ伏せられたんじゃないかと思うんだ。
とばっちりを受けた山県さんはかわいそうだけど、この人も肝が太そうだよね。
虎の子の弾薬を敵方に送るとなってもノリノリだったし。

うーん、ちゃんと経家のことを考えよう。
まあ戦略的にどうとかは置いといて、切腹のシーンはイイね!
服装まで細かく描かれてるから、絵としてイメージしやすい。
これは石見吉川家文書収録の山県長茂覚書に事細かに書かれてるらしい。
また今度読んでみよう。

静間さんがなかなかに切ない。
「ちゃんと首を打てよ」って念押されて、それでも心乱れて仕損じちゃう。
「ばか者」って言われてようやく務めを果たす。
そうだよね、そうなるよね。ずっとお仕えしてきた主君だもんね。
飢えでフラフラなはずだし。
ここで一刀のもとに打ち落とすのもカッコイイのかもしれないが、
みんな潔く自害しちゃうなかで、静間が見せる懊悩・迷いってのが強烈に人間くさくて印象に残る。
福光・若鶴の追い腹もその介錯も見事だねえ。

そういえば石見吉川家文書には、経家が鳥取から書き送った状況報告もいくつか収録されてるんだが、
ちらっと見た限りでも、ものすごく細かくて長い書状だった。
きっと真面目一本な性格だったんじゃないかなと思う。
元長に送られた書状は収録されてるかどうかわからないけど、
広家(当時は経言)に送られた経家の手紙はウィキペディアにも掲載されてて、有名なようだ。
息子への形見の刀を広家に託すから、息子に与えてやってほしいという内容だった。
経家の息子の亀寿丸は成長して経実という名になり、その子の正実ともども、広家にずっと大事にされてた。
広家が経実の病気を心配する書状がたくさん残ってるんだ。
「今日の容態はどうかな」「食欲はあるかな」とかね。
こういうのを見ると、経家の忠死も報われたような気がするね。

さてさて、次はどこを読むか。やっぱ元春かな。
スポンサーサイト



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

鳥取落城

鳥取落城の前半を読みたいのですが。New York の住人です。佐藤紘彰

Re: 鳥取落城

> 鳥取落城の前半を読みたいのですが。New York の住人です。佐藤紘彰

ご訪問ありがとうございます。
下記、目次ページをスクロールしていただき、
「巻之第六十一」あたりからが鳥取城攻防戦です。
http://kinpukrin.blog.fc2.com/blog-entry-219.html
検索フォーム
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
訪問者数